『ノースプレインファーム』の『おこっぺ牛乳』をご存知だろうか。東京でも扱っているのはほとんど見かけず、かろうじてパン屋の名店『ベッカライブロードハイム』で見かけただけである。店主の明石氏をも唸らせたその牛乳は、ノンホモで低温殺菌、北海道でのびのび育った牛の、甘く柔らかな風味が口中広がる絶品だ。過去、パナデリアで数十本の牛乳を試飲したことがある。その時もスタッフみんなに好評で、いつか、この牛乳を作る町を訪ねてみたいと思っていた。
そんな思いがついに叶い、札幌から車で5時間近く(!)かかる小さな町、興部(おこっぺ)行きが実現! 北海道が一番いい季節といわれる、6月終わりのことだった。


おこっぺ牛乳




芦澤順三氏
興部は、オホーツク海に面した町だ。
冬になれば流氷が訪れる海は、初夏の爽やかな風に穏やかな波をうねらせていた。浜辺のすぐ近くにはハマナスの花が咲き、その横にはまだ植えたばかりの蕎麦の畑がある。蕎麦の種類は『だったん蕎麦』。この地域独特の蕎麦だ。

「蕎麦の収穫は8月下旬から9月上旬。牧草地を何かに変えるとき、穀物のあまり育たないこの地域で、ほっておいても出来るということで作っています」と教えてくれたのは、地元で北海道産小麦を使ったうどんやラーメンを中心に取り扱う、小林食品の芦澤順三氏。「だったん蕎麦にはルチンという体にいい成分が極端に多く含まれているので、それをアピールしていきたいのですが、実は蕎麦としてはいまひとつ風味が乏しいのです。ですから、蕎麦そのもので勝負するより、加工前の、例えば実や葉を使って面白い商品ができればと試行錯誤中」だという。

海を離れ、少し内陸に入ると、なだらかな斜面に牛が見える。ここが一番の目的である『ノースプレインファーム』、まさに目の前にいる牛が『おこっぺ牛乳』を生んでいるのだ。

「美味しい牛乳とはなんだろうと考えた時、健康な牛からとれる牛乳だろうと思った。では健康な牛ってどんな牛だろうと思ったとき、長生きする牛だろうと思った。長生きには餌となる草が一番大事で、いい草を育てるためにはいい土が必要だろう、と、土作りからはじまった」と、1988年にスタートしたこの牧場の根本姿勢を語ってくれたのは、経営者である大黒宏氏

ここと、近くの牧場の優良な生乳とを使って商品を作っていて、集める生乳は1日たったの3トン。隣接する工場に運ばれ、牛乳のみならず、チーズやバターにも加工される。温度や湿度を細かく管理されたチーズを寝かせる部屋、昔ながらの製法を守るバター作りのマシーンなど、小規模ながらも完璧な設備である。個人の注文も多く、「遠距離を運ぶ時は、やはり状態が心配。大手に頼まず、自分のところで発送手段を考えました。地元の運送業者を説得して、冷蔵状態のいい車を買ってもらい、これで納得の状態で東京までも運べるようになった」というから、遠方消費者としては心強い限りだ。しかし、やはり東京で飲むより、ここで飲んだほうが味は上! 生産地で牛乳を飲むという行為は、実に幸せである。








さて、町に今話題の小さなチーズ工房があると聞いて、これは行かねばと訪れたのは『チーズ工房 アドナイ』。木造の建物は、昔は牛舎だったそうだ。船大工が作ったというだけあって、天井はまさに船の底。上下逆にしたらそのまま船になる、といえば素朴なこの建物を想像してもらえるだろうか。

チーズ工房と聞いていたのに、ドアを開けるとまずパン焼き窯があって、さらに奥に行くと焼けたばかりの香ばしいパンの香りと、なぜか肉の燻製の匂い。ふと見ると、生ハムの塊がぶら下がっている。これらは全て、店主である堤田克彦氏の手によるもので、どれもが魅力の味だけれども、やはりチーズは絶品。塩味が薄めなので、口に入れた瞬間のインパクトには欠ける。しかし、後に続くしっかりとした旨みが素晴らしいのだ。1日12個しか焼き上げない丸く大きなカンパーニュは、このチーズをより美味しく食べるためのパン。たったひとつのテーブルについて、チーズにパン、ハムまで食べれば思わずワインを欲する至福の時。「じきにソーセージも作りたい」とは、なんとも楽しみ!

小さな興部の町で、人々の熱いチャレンジが続いている。どこか熱くなってしまった気持ちと名残惜しい気持ちを押さえながら、町を背にしたパナデリア一行。北海道のまっすぐな道を、ひたすら車は走った。


ノースプレインファーム北海道紋別郡興部町北興 Tel:01588-8-2000
小林食品北海道紋別郡興部町泉町865 Tel:01588-2-2069
チーズ工房 アドナイ北海道紋別郡興部町字興部914-12 Tel:01588-2-3133