フランスの文化と聞いて何を思い浮かべるだろうか?絵画、シャンソン、文学にフランス映画・・・そして食。フランスでは第9番目の文化とされる『食』。昨今『食は文化』というフレーズは何も目新しいものではない、だが歴史ある他の文化と同列に存在している、そのことがフランスのすごさではないだろうか。

『フランス文化を識る会』の発端は1976年にさかのぼる。代表を務める倉重眞琴氏の父 舜介氏は、1930年日本人として始めてパリへ音楽留学をした経歴を持つ人物。かの藤田 嗣治(レオナール・フジタ)氏をはじめとする様々な文化人と親交を深めたという。
舜介氏の帰国後のこと。藤田 嗣治氏とシャンソン歌手であるマドレーヌ夫人が来日し、某テレビ局に出演することになった。その間を取り持ったのが、伴奏者として出演した舜介氏。「お酒がなくちゃ、歌わないわ」そんなマドレーヌ夫人のフランス人らしいわがままは通用しない。なんと、氏がポケットにビールの小瓶を忍ばせての出演とあいなったのだとか・・。

そんなことから始まった、フランス文化を識る会。会員を対象にあらゆるジャンルのフランス映画の上映会を行うなど、そもそもは「食」よりも芸術や文化の意味合いの強い活動内容だった。ところが、フランス大使館から「フランスでは『食』は第9番目の文化と呼ばれるもの。ぜひお願いします」と頼まれたことから、今に至っているという。






舜介氏同様、フランス国家功労勲章シュヴァリエを受賞。フランス大使館を始め、フランス各地のパティシエやソムリエ、また学校と、幅広く信頼を受けて活動を行う倉重氏。日仏のプロを対象にした料理技術講習会、製菓技術講習会、レストランサーヴィス技術と運営についての講習会、さらにはソムリエ技術やラッピング、また病院調理技術の講習会やコンクールを定期的に開催。ヨーロッパ各地への研修旅行も行っている。



倉重 眞琴氏


取材へ伺った私たちに
「昨日空輸で届いたばかりのショコラです。最高のショコラですよ」
と、フランスらしい美しい包装紙にラッピングされたショコラを差し出してくれた。1つは上質なマール酒を封じ込めたウィスキーボンボンのようなショコラ。コルクの栓に似せた包装が洒落ている。そして、もう1つは刻んだアーモンドがたっぷりはいったロシェのようなショコラ。

マール酒のブション

ロシェのようなショコラ


「なんでもないけどおいしい」自然と出てしまったその一言に、

「その通りですよ。シンプルな方がおいしい。皿の上に絵画を描く必要はない、煮込みやテリーヌなんかのシンプルなおいしさはすばらしいですよ」

と少し意外な言葉が返ってきた。洗練された料理を好む、そんな先入観があったのかもしれない。

「1つの国の文化を体得しようと思ったら、その国の食事をするのが一番いい。煮込み料理なんて簡単そうに見えながら本当においしく作るのは難しいもの。そういう地味だけれど手間のかかるものが少なくなってきているのは残念です」

現代のような流通手段も情報伝達技術もなかった時代には、肉類が手に入りにくい土地、ワインが豊富な土地、そんなことからその土地独特の料理が生まれてきたのであろう。そう考えると、『食』は一番手軽に異国の文化をのぞき見ることのできる鏡なのかもしれない。






ふと席を立ち、何らや機会をいじり始めた倉重氏。すると、心地よいシャンソンが流れてきた。

「1900年の歴史的記念物になっているパリの某レストランでは、アンドレ・シトロエンがパリ・北京間のラリーの構想を考え、クロード・ドビュッシーは交響楽の草稿を練ったテーブルが今も残っているんです。フランス文化は、食卓で成り立っているという言葉もあるほど。コンサートの後にカクテルパーティを開く、そんなことが当たり前のフランスは文化性の中に食べものがあるんです。」

フランス人と食との結びつきの深さを伝える事実である。

「文化は人と人とのつながりや、長い歴史の中からから生まれてくるもの。今はそれが切れ切れになり、細分化していると思う。交響楽にたとえれば、料理のコースは1つ1つ想像力を膨らませて楽しめるもの。その1つにデザートがあるとしたら、やはり料理合わせた楽しみ方をするほうが豊かですよね。それを分断するのは良くない。」

と今日の風潮を嘆く。3つ星の高級店にばかり行き、高級なものを良しとすることへ違和感を覚え、頭で食べるようなフランス料理は好まないそうだ。

「メディアではなく、食べ手がリードするようにならないといけない。本当のメディアは人と人とのつながりだと思うんです。国民一人一人が変わること。あとは歴史が変えてくれる」





ラッピング講習会の作品


日仏の親善のため、フランスへ行く回数は50回を越えるという。

「自分の人生をかけてやっている仕事だから、その分きついのは事実。でも楽しそうに見えるんでしょうね。時々、趣味でやっているのかと聞かれることがあります。自分が好きでやっていることだから『そうだ』と答えていますよ。」

と笑顔を見せる。

「虚心坦懐、淡々とやっていきたい」

その言葉の裏に、他の人には真似できないフランスと日本との橋渡し役の重みを感じた。