Gilles Marchal (ジル・マルシャル)
1984年 「メッツ」のクロード・ブルギニヨン氏に2年間師事ののち、パティシエ/ショコラティエとしてのフランス国家資格CAP(職業適性証書)を取得。ジャン・バルデ氏が経営する当時ミシュラン二つ星レストランの「シャトールー」にて最初のキャリアをスタート
1985年 ルクセンブルグの「パティスリー オーバーワイス」
1987年 「オテル・ド・クリヨン」にて、クリストフ・フェルデー氏に次ぐ、セカンド・パティシエに就任
「プルニエ」、「プラザ・アテネ」にて3 年間、そして「ブリストルホテル」にて2007年までシェフ・パティシエとして活躍
2006年 フランス菓子を世界に広めた功績がパリ市から認められ、勲章を授与される 2007年 「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」クリエイティブディレクター就任





表参道に移転オープンしたラ・メゾン・デュ・ショコラのカフェスペースで行われたインタビュー。コックコートを脱いで、シャツ姿で登場したジル・マルシャル氏は、くるりと巻いたスカーフがおしゃれで、紳士的な印象を抱かせた。
「ガナッシュの魔術師」と言われたロベール・ランクス氏から引き継いで、2年前から、クリエイティブディレクターとして活躍している。
「ラ・メゾン・デュ・ショコラのショコラティエは、ここでだけ働いてきた人が多いが、自分は、4,5か所を経たのち、ここに来ました。だから、この2年だけをみても、充分新しいアイディアをもたらしたと思うし、新鮮な風を吹き込んでいると思う」と語る。



2Fのカフェでは、ショコラショオを始め、マカロンやチョコレートタルト、ボンボン・ドゥ・ショコラなどが紅茶やエスプレッソとともに楽しめる



そもそも、ショコラに興味を持ったのは何がきっかけだったのかと聞けば、父親がショコラティエで、家にはいつも、ショコラと料理のおいしい香りがただよっていたという。
「8歳か9歳頃には、父が持ち帰ってきたクーベルチュールを使って、チョコレートケーキを焼いたりしていました。大家族で、しょっちゅう親戚が集まっては宴会をしていて、そこにはおいしい料理とデザートが並んでいた。尊敬するパティシエの名をひとり挙げろと言われたら、迷うことなく祖母の名を出すでしょう」
そうしてつちかわれた味覚が、今の仕事に大いに役に立っているというわけだ。
「子供時代の味覚の記憶はとっても大事です。嗅覚や味覚と言うものは、子供のころからの蓄積で出来上がると思う。無塩バターが好きな人もいれば、塩入りのバターを食べて育つ地域の人もいる。生まれた地域や家庭環境で出来上がっていくものだから、それをあれこれ言うのは間違っているでしょう。仕事をする上では、これらの経験に、ノウハウというものがプラスされます。後者は、同じ職場にいる若い人に教育することができる。味覚は伝えられなくても、プロ意識、仕事の仕方というのは、伝えていけます」
食には分かち合う喜びがあると、子供時代からの経験から、その温かみを語るジル・マルシャル氏だが、一方で、ショコラは非常に化学的なものだともいう。
「料理やパン作りと比べても、非常に化学的な部分が強い。もともとは植物だけれど、温度の管理をしっかりしないことには、いいチョコレートはできない。マーブル台を使いながら、温度を上げたり下げたりする。輝きのあるチョコレートを作るのはまさに化学といっていいよね」



そのフレンドリーな人柄も魅力のマルシャル氏。ショコラティエらしい几帳面さと、日本の食材への探究心など意欲的な想いが伝わるインタビューとなった



化学的な面を管理しながら、新しい味作りにまい進するジル・マルシャル氏だが、味のヒントはどんなところから得るのだろう。
「旅に出ること。新しいものを見て、食べ、調理法も学べる。時代はどんどん軽いものを求めていて、そういう現代性がチョコレートにも要求されている」
食後のデザートのあり方も、以前とは確実に変わっているという面白い話も。
「食事の延長というより、別の世界にリフレッシュするものという感じが強まっているのでは。バターとクリームの重さに、フルーツなどの酸を加えると一見食べやすい。でもやはり重い。全体のバランスを考えた上で作っていきたい」
つまりは、ベースとなる油脂の量から考えるということなのだろう。
「デザートを口にした時、違う世界が広がるようなものを作りたい。ガナッシュにも、フルーティーさよりも、スパイシーだったり、フレッシュだったり、リフレッシュするものが求められている」
と、「リフレッシュ」という言葉を何度も使ったのが印象的だ。



ガナッシュの魔術師と称された創始者ロベール・ランクス氏。フランスのショコラを語るときもランクス氏の存在は欠かせない



この秋発売になった「コフレ・ガナッシュ」には、ロベール・ランクス氏の永遠のレシピ「キト」と、ジル・マルシャル氏の新レシピ「イツァムナ」の2つのボンボン・ドゥ・ショコラが詰め合わさっている。ミルクやバニラの優しい香りがふんわりと口に広がる「キト」に対して、「イツァムナ」は、もっとストレートに、力強いカカオの味が口の中にのびる感じがする。キトには安心、イツァムナには革新を感じるとでも言えばいいか。
「今はそう感じるかもしれませんが、キトが世に出た時は、センセーショナルだったんですよ。あれから30年。人々がチョコレートになじみ、今ではイツァムナの、強いカカオの味が受け入れられるようになったということ。ショコラに初めて触れる人はキトから入るといいと思います」
なるほど。2粒を食べることは、すなわち、ラ・メゾン・デュ・ショコラ30年の歴史を一気に体感していることになるのか。



コフレ・ガナッシュ
〜ロベール・ランクスの永遠レシピ&
ジル・マルシャルの新レシピ〜 (9月15日発売)

ランクス氏の永遠のレシピとマルシャル氏の新レシピを一緒に限定ボックスに詰めて発売。その第一弾、9月15日に発売になったのは、ランクス氏の「キト」とマルシャル氏の「イツァムナ」の2種類の詰め合わせ





インタビューの会場、3時間前にオープンしたばかりの、表参道店の小さなカフェスペースは、ショコラを頬張る人で満席だった。それを見て、
「ここはテスト的な意味合いが強いけれど、この反応なら、いずれは30席、40席とあるカフェスペースを併設した店を作れるかな。まだまだ企画中だけれど、そうなればカフェメニューもラ・メゾン・デュ・ショコラらしい、新しいものを作ってみたいね」

旅行をはじめ、何にでも興味津々というジル・マルシャル氏だ。料理やワイン、美術品には特に興味があり、ビストロのような肩肘張らない店でフレンドリーにワイワイやったり、オープンスペースに展示された美術品を見たりするのも大好きだとか。
「洗練されたものは何でも、一日にしてそうなったわけではない。料理もパンも、食べ物以外のものもなんでもそう。それらを作っている人たちの話を聞くのも大切」
日本滞在中も、あっちこっちに出向く予定という。
いろいろな刺激を受けて、ラ・メゾン・デュ・ショコラのチョコレートは日々進化している。いつか、キト、イツァムナと、もう一つのショコラが箱に詰め合わされる日が来るのだろう。それはまだまだ先だろうが、もしかしたら、ジル・マルシャル氏には、漠然とでもイメージがあるのかもしれない。おそらくは、キトを生んだロベール・ランクス氏がそうであっただろうように、あとは食べ手がついてくるのを待っているのかもしれない。……などと、再び2種類のボンボン・ドゥ・ショコラを食べながら、勝手に思うのであった。



洗練されたエレガントな味わいのキト。1979年、ロベール・ランクス氏は、カカオの原産国エクアドルへの敬意を込めて、このボンボン・ドゥ・ショコラを作った



力強く個性的な味わいのイツァムナ。2009年、ジル・マルシャル氏が、カカオ豆から初めてチョコレートを作ったアステカの創造神の息子に敬意を込めて作ったという






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