はるか昔の狩猟民族のように、メラメラと燃える薪の火でガトー・ア・ラ・ブローシュ(ガトー・ピレネー)を焼くことができたら・・・。そんな夢のようなお話を、現実にしてしまった人がいます。フード&トラベルナビゲーターとして活躍し、パナデリアの会員でもある佐々木千恵美さんです。パン、スイーツ、ワインにチーズとあらゆる分野でその才能を発揮している佐々木さんは、好きなもののためなら国内外問わず、どこへでも飛んでいってしまうほどの情熱家。普段から、
「シチリアで菓子屋めぐりをした時の○○、食べてみてください!」
なんて、おいしいものを届けてくれたり、
「○○のシェフがこんな風におっしゃっていましたよ〜」
なんて情報を流してくれたり。パナデリア内ではもちろん、シェフたちの間でも、かなりのツワモノとして知られています。その佐々木さんが、いつかきっと・・・と夢見ていたのが、今回のイベントなのです。しかも、参加メンバーがまたすごい!なんと、オ・プティ・マタンの武井シェフと、ラ・スプランドゥールの藤川シェフが、このガトーに挑戦してくれるというんですから。それにしても、なぜこのお2人が?

炉などの設備が整った屋根つきのバーベキュー場だから、快適そのもの※


「私がフランスの地方でガトー・ア・ラ・ブローシュを見てまわった時のお話を藤川シェフにしていたら、2人で盛り上がってしまって。せっかくなら武井シェフにもお願いしてみようということになって、それなら皆さんにも声をかけて・・・という感じです。まさかこんなに早く実現するとは思ってもいなかった!」 と佐々木さん。

ちなみに、ガトー・ア・ラ・ブローシュは直訳すると“串刺しのケーキ”。バウムクーヘンの原形とも言われています。フランス・ガスコーニュ地方の伝統菓子で、「ガトー・ピレネー」と呼ばれることも。今でも、ピレネーの山奥では昔ながらの製法で焼いているところもあるといいます。製法はカトル・カールのようにシンプルですが、円錐型に長く焼き上げた姿はとてもダイナミック。スイーツ好きはもちろん、パティシエ達にとっても憧れのお菓子なのです。

事前に炉の長さをチェックするなど、準備万端の藤川シェフ※


イベント当日。会場となった八景島のとあるバーベキュー場には、お菓子好きの面々が20人ほど集まりました。前日の雨から一転、からりと晴れて爽やかな風が吹き、屋外で楽しむには絶好のお天気です。

AM9:30になると、藤川チームが先に作業を開始。お店のスタッフ3名も総出でサポートし、薪をくべるところから始めます。そう、今回は“昔ながらの”方法で焼くのが目的。そのため、何よりもまず火を起こすことから始めなければなりません。まずは紙に着火してから、その上に小枝などを乗せて火を広げます。それから薪を数本組み立てて、薪に火が移るまで待ちます。その後は薪を徐々に足していって・・・。いい火加減になるまでには暫く時間がかかるというのも、いかにも自然的。傍らでは、他のスタッフが並行して生地作りを進めます。なんでも、両シェフがそれぞれ別のガトーを焼き上げるということですが、藤川シェフの配合は・・・?
「はい。河田シェフのレシピを参考にさせてもらいました。薄力粉、砂糖、バターが各1kgに卵が30個(1.5kg)の割合で、他にフルール・ドランジュとオレンジのゼスト、それからラム酒が入ります」

藤川シェフが愛用しているルガールのバター

生地の状態は手で混ぜて確認


卵のうち、半量の15個分の卵白を別にしておき、残りの卵と砂糖と塩を白っぽくなるまでよく混ぜます。粉を入れたら少しグルテンを出すようにしっかりと混ぜ、その後溶かしバターを加えます。そこに卵白と少量の砂糖で泡立てたメレンゲを入れて混ぜれば完成。製法や配合はカトル・カールにも似てシンプルですが、そこは気合満々の藤川シェフ。ちょっとしたこだわりがありそうです。
「これ、すごくおいしいんですよ。フランス・ブルターニュ地方のルガールという発酵バターで、すっきりしているのに乳風味がしっかりとあるのが特徴。焼き菓子に使った時の後味がいいんです。せっかくだからこれで試してみたいなあと」 ブルターニュ地方の鮮度の良い牛乳から作られたというバターは、白っぽい色合いからしてなんとも上品。すっきりとした食べ心地で、後に牛乳そのもののナチュラルな風味が残ります。これは出来上がりが楽しみ!

スタッフ作の芯棒が登場。圧巻です!


そして、更なるしかけ?が目の前に。
「今回のために、作ってしまいました(笑)」
なんと、バウムクーヘン用の心棒と土台が登場!板金工場に特注して作ってもらったというこの土台、頑丈な上、高さも3段階に調節できるような優れもの。心棒には円錐形の長い筒が巻きつけてあります。これも特注品?
「これは、うちのスタッフが作ってくれました。長さが90pもあるんですよ。どうせやるなら大きいほうが盛り上がるでしょう?え、材質ですか?割り箸を束ねてまわりにアルミホイルを巻いています」
その数、なんと500〜600本!5〜6時間もかけて作ったという力作に頭が下がります。さあ、火も生地も準備が整ったら、いよいよ焼成作業をスタート!果たしてうまく焼けるのでしょうか?シェフ、ポイントを教えてください。
「いやあ、わかりません(笑)。僕も初めてなもので・・・」

武井シェフは息子さんと一緒に製作。息もぴったりです!※

銅のボウルで作ったメレンゲは、驚くほどキメ細やか※


対する武井チームは、家族で参戦。小学生の息子さんがパパの生地作りをアシストします。こちらも配合が気になるところ。
「河田シェフのレシピを使わせていただきました。え、藤川くんもそうなんですか?やっぱり、まずは基本にのっとって作るのがいいと思いますよ」
藤川シェフとの違いは、強力粉と薄力粉を半々で使っていること。それから香り付けにはオレンジのゼストにバニラを加えて優しい味わいに。しっとり感を出すために蜂蜜も加えます。作り方は基本的に藤川シェフと同じですが、メレンゲを作る際に銅製のボウルを使用。これは何かわけがありそうです。
「砂糖を入れないメレンゲを作って、ざっくりともろい食感にしたいんです。でも、普通のボウルで作るとどうしても離水しやすい。その点、銅のボウルで作ると、すごくいいメレンゲができるんですよ」
確かに、銅のボウルで泡立てたメレンゲはとてもキメ細かくてしなやか。見るからに質感が違います。お陰で、出来上がった生地はやわらかいけれど保形性のあるものに。長時間おいてもダレル心配が少なそうです。

強力粉も使っているからか、武井シェフの生地はしっかりしています※


道具の準備はいかがでしょう?木製の芯棒のようなものが置いてありますが?
「デッキブラシの柄の部分です。それから、もうひとつはちょうつがいが付いた細い木の板。これは壊れた看板の一部分(笑)。ここに柄を乗せてくるくる回そうかなあって」
心棒に通す円錐の筒は、長さが40pほど。ケーキを乗せる丸い金台紙をしならせたものを、何枚も巻きつけて作ったそうです。ということは、身近にある道具を使って作るのが武井流?同じガトーでも、ずい分取りくみ方が異なるからユニークです。

土台に芯棒を固定したまま生地を少しずつかけていきます。ここまでは順調、順調?!※

作業を続けていくうちに、自然と表面は凸凹に。生地の硬さや芯棒をまわす速度などによっても表情が変わってくるから面白い※


「もう少し右側に動かそう」
「ここ、焼きが足りないな。薪を持ってきてくれる?」
気がつけば、藤川チームのガトーは少しずつ層ができているようす。難なく進んでいるように見えますが?
「いやあ、まだまだ始まったばかりですよ」
先に書いたとおり、このお菓子に似たものにバウムクーヘンがあります。そしてバウムクーヘンといえば、ほとんどが工場製。生地が入っている大きなバットの中に芯棒をつけ、生地が焼けたらまた新しく生地をつけて・・・という作業は、全て機械がやってくれます。また芯棒は自転しながら全面に熱が当たるように設計されています。こうした作業全てを手動で行うのがいかに大変なことか!特に、火をまんべんなく当てるのが見るからに難しそう。

まんべんなく焼き付けるため、途中から手動に。汗だくで大変!※


「ちょっと炉が短すぎましたね〜」
と藤川シェフ。
シェフの筒は90p。対する炉は1m。一見問題ないように思えますが、実際にやってみると、1m30p程はないとうまくいかないとのこと。結局、土台から芯棒を外して両端をスタッフが支え、左右上下に動かしながら作業することになりました。しかも長さがあるため、初めに用意した生地だけでは到底足りそうにありません。
「あ、熱い・・・」
「我慢するんだ!」
「生地が足りないな。よし、もう1回作るか!」
「はい、わかりました!」
こうなると、ほとんど体育界系のノリ?!普段の厨房もこんな戦場と化しているのでしょうか?しかし、苦労しているのは藤川チームだけではありませんでした・・・。

ガトーを焼いている間、コンフィチュールだって作っちゃいます。目分量でダイナミックなのがいい感じ!※

お菓子研究家でSweet Caféを主催する下園昌江さん(中)、「お菓子の由来物語」の著書、猫井 登さん(右)の他、テレビチャンピオン甘味王者選手権優勝者の斉藤 愛さんや「アウスリーベ」の曽根 愛シェフなどたくさんのスイーツ関係者が揃います※


「もっともっと!ダンボールあったら持ってきてください」
「はい、探してきます!」
武井シェフも初めての経験なので手探り状態。試行錯誤するうちに、薪よりもダンボールで炎をメラメラと燃やす作戦を思いついたようです。
「始めは薪で焼いていたんですが、この方が一気に表面を固められるからいいみたいです。ただ、気をつけないとあっという間に焦げちゃう」
炎の温度は、実に1000℃以上!そのため、ちょっと油断すると見る見るうちに炭化してしまいます。しかし、そこは料理人経験もある武井シェフ、層を重ねるごとに焼き加減がいい具合になってきました。
「でも、零コンマ何秒のうちに黒くなるから難しい。良く、“火を制するものは料理をも制す”って言うんですが、まさにその世界ですね」
厨房にあるオーブンとは違って、温度にも時間にも頼れない作業。両シェフとも五感をフル回転して励みます。

ランチ担当は、武井シェフと仲のいい藤川竜男さん。ひと味違う食材で腕を振るいます※


「たっちゃん、そろそろランチをお願いできる?」
13時をまわった頃、武井シェフがある人物に呼びかけます。実は今回のイベントのために、強力な助っ人を呼んでくれていたのでした。その名も藤川竜男さん。2人はフランスでの修業時代を共に過ごした仲。藤川さんは現在、6月の自店(鉄板フレンチ「月島ビストロ」の予定)オープンに向けて準備の真っ最中です。この日は得意な焼きものを披露してくれました。鶏肉やソーセージの他、リー・ド・ヴォーやラム肉まで登場するあたり、さすがは職人!更に武井シェフの奥様の実家で作っている肉厚のシイタケや、ラ・スプランドゥールのスタッフのお父様が近くの山で採ってきてくれた新鮮な筍など、バーベキューにぴったりの贅沢な素材が揃います。山の清々しい空気を吸いながらいただくランチは、もう、最高!

おいしいランチをいただきながら、もうすぐ完成するガトーに想いを馳せて・・・。主催者の佐々木さん(右)も自然と笑みがこぼれます※


・・・と、ふと炉に目を移すと、武井チームも藤川チームも、いまだ炉の前に張り付いて動けないようす。皆、火の前で顔を真っ赤にしながらガトーと格闘しています。そう、一筋縄ではいかないのが、このガトーなのです。とはいえ、
「いやあ、面白いですね〜(藤川シェフ)」
「このアナログ感覚がたまらないよね〜(武井シェフ)」
両シェフとも活き活きとして嬉しそう。熱くて重くて時間がかかって・・・と大変なはずなのに笑顔が絶えません。
「普通のお菓子教室なんかより、ずっと楽しい!」
と佐々木さんも大はしゃぎ。どうやら、自然の中で手作りする醍醐味にはまってしまった?!

藤川シェフは、最後にグラスアローをたっぷりと※

慎重に、慎重に・・・。3人がかりで芯棒から外します

立ててみるとすごい迫力!※


かけては焼き、かけては焼き・・・の作業をひたすら繰り返すこと、3〜4時間。ついに、両チームのガトーが焼き上がりました。90pものガトーを仕上げた藤川チームは、何度か生地を作り足し、総重量が約10kgに!最後はコニャックアローで香り付けしたグラスアローを垂らせば完成です。武井チームのガトーは、シンプルに粉砂糖でお化粧。仕上げひとつでも、表情が違ってきます。粗熱がとれたら芯棒から外して、後は冷めるのを待つばかり。そしてついに、皆が夢見ていた瞬間がやってきました!

武井シェフは粉砂糖でナチュラルに仕上げます※

シェフ自らがカット。できたて切り立ての味はいかに?!


「うまい!!!」
「ほんと、すごい〜」
「どっちも最高!」
がっしりと焼けたガトーは、普段食べるお菓子とは全くの別物。バーベキューならではの、野生的な表情、力強い香りがなんともいえず魅惑的です。その上、2つのガトーを食べ比べできるというのも、この上なく贅沢な話!基本的な配合は同じでも、素材や焼き方、仕上げ方を変えることで、個性的な仕上がりに。武井シェフのものは優しい味に、藤川シェフのものは上品に・・・ということは、自然とお店のイメージに近くなるのかも?

最後はオ・プティ・マタンに場所を移して心ゆくまでガトーを堪能※

試作に試作を重ねて完成したオ・プティ・マタンのマカロンも登場!※


「普段は冷蔵庫やオーブンの温度管理、ミキサーのスピードや時間調節など、デジタルな作業ばかり。だから、マニュアル的な作業が、なんとも原始的で面白かったですね。今回はできませんでしたが、熱が逃げてしまわないように、炉を組み立てればもっとうまくいくと思いますよ(武井シェフ)」
「ガトーの長さに対して、火が足りなかったのが残念ですね。初めは土台に固定したまま焼いていましたが、結局、手で動かしながら作業することになってしまったので。でも、今度はもう大丈夫。是非、参加者の皆さんと一緒に焼きたいですね(藤川シェフ)」

武井シェフのガトーは蜂蜜とバニラが香る優しい味わい。しっかり硬さがありながら、ほろっと崩れるような歯切れの良さが魅力です

フルール・ドランジュとラム酒が効いて、大人の味わいに仕上がった藤川シェフのガトー。バターの味わいが上品で、口溶けもさらりとしています※


既に、両シェフとも、次回の会にむけて気合は充分のようす?!どんなに時間がかかっても、いや、手間がかかって大変だからこそ、達成感も大きいのでしょう。きっとそれは、とびきりの笑顔を見せていた参加者の誰もが感じていたこと。というわけで、是非、2回目、3回目と続いていくことを願っています!

※印のphoto:Mariko








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