去る4月17日、ヴァローナ フレデリック・ボウ氏による恒例の講習会が開催されました。今回のテーマは「ジャポネスク」。浮世絵、着物、漆器に日本食・・・日本の美術や伝統工芸、食文化などの独自のエッセンスをフランスのスタイルに取り入れたジャポネスクの世界。日本人の奥様を持ち、来日歴17年という親日家のボウ氏から見たジャポネスクとは?私たちにとっては日常である「和」の世界がいったいどんな風に表現されるのか、興味津々です。
講習会場となったのはドーバー洋酒貿易の東京本社。受講者の中には、辻口シェフや土屋シェフ、安食シェフなどの豪華な顔ぶれがずらり。日本人シェフたちの関心の高さが伺えます。琴の音が流れる雅な雰囲気の中で講習会がスタートしました。
和素材を使ったフランス菓子と聞くと、日本でも人気の「和スイーツ」を想像するかもしれません。・・・ところが、出来上がった菓子は、和スイーツとは趣が異なるもの。早速、そのお菓子たちを紹介しましょう!





丹波
モンブランのようなプティガトーの正体は、シナモン風味の黒豆のコンフィに、麦茶を使ったビスキュイショコラと麦茶風味の「タナリヴァ・ラクテ」のクリームという組合せ。この麦茶、チョコレートと合わせるとコーヒーに似た風味になるから不思議!麦茶の香ばしさとシナモンの香りのマリアージュも新鮮です。




花見
満開の桜を思わせる様なあでやかさ!桜の花びらを散らしたグリオットチェリーのジュレはライチリキュールとトンカ豆のすりおろしも加えて寒天で固めたもの。その下に、ひんやりと口溶けのよい「アラグアニ72%」のクリーム、桜リキュールで香り付けしたケーク・アマンド・ショコラが続きます。キュッと爽やかな酸味と桜花の塩気、そして力強い風味の「アラグアニ」がマッチングしたメリハリのある味わいです。




道後
ボウ氏が道後温泉を旅した時に出された“坊ちゃん団子”をイメージ。「イボワール」のコーティングの中からはなめらかな「イボワール」のムースがとろり。ミルクジャムにも似たこのムース、なんとチョコレートをオーブンの中でキャラメリゼさせるという斬新な製法。更にねっとりとしたカボス風味のソフトキャラメル、ザクザクとした食感が魅力のきな粉のサブレも加わることで、味と食感のバランスがとれたガトーに仕上がっています。




歌舞伎
まず目を引くのが歌舞伎の隈取りの模様!良くも悪くも日本人にはなかなか真似できないセンスです。ヴァローナの新商品オーガニック・チョコレート「カオグランデ70%」と「イボワール」、2種のムースにシュトルーゼルを合わせて食感をプラス。隠し味的に使用したきな粉やうぐいすきな粉、黒糖が深みをもたらしています。




おままごと
あまりの愛おしさに、ただただ見とれてしまったのがこちら!手のひらにちょこんと収まってしまうほどの漆塗りのお膳は、色粉で漆風の質感を表現したチョコレート。上には、お椀やお箸がセットされ、本当に芸が細かいんです。ゴマ風味のビスキュイ、「タナリヴァ・ラクテ33%」と「ピュア・カライブ66%」のキャラメル・柚子風味、ほうじ茶のなめらかクリーム、梅の実のコンポートと盛りだくさんの内容。




祇園
今回最も物議を醸し出したガトーは、なんと仁丹風味!仁丹を煮出した「ジャンドゥージャ・ノワゼット・レ」のムースに蕎麦茶のサブレというなんとも不思議な組合せ。でも、チョコレートと仁丹で意外に合うんです。更に、イクラに似せたジュレの製法も披露。仁丹、イクラ、蕎麦茶、ボウ氏の好きな3つの素材を組み合わせてみたい、というのがこのガトー誕生のきっかけなのだとか。




波紋
チョコレートカップ「ストリュクチュラ」の中に、リキュールで風味付けした「アプソリュ・クリスタル」を閉じ込めたゼリータイプのボンボンショコラ。爽やかで清々しい透明感のある味わいと、シュルシュルとほどけるような食感のジュレが新鮮!このジュレが、水の文化である日本をイメージしているそう。



今回披露された7種のガトーを試食して感じたこと、それはどのお菓子も日本人からすると紛れもなく“フランス菓子”だということ。例えば仁丹のような斬新な素材を煮出して香り付けに使用したり、麦茶や蕎麦茶をパウダー状にしてそのまま加えたり、桜とライチとグリオットというユニークな素材を組み合わせたり・・・。外見や素材こそ日本を意識していますが、その中にはフランス的な感性がぎゅっと詰められているのです。

「自国の素材を使おうとするとどうしても先入観があるので、素材の可能性が縮小されてしまうと思うんです。だから今回は私から見た日本を、私なりに香りや味覚で表現してみました。そうすることで、皆さんに新しい発見をしてもらえるのではと考えたんです。おそらく“和素材だということを前面に出していない”ということが一番の違いかもしれません。日本には素晴らしい食材がたくさんあります。それらを隠し味的に使うというのも一つの方法ですね」


冷たい油を入れたボウルの中に
一滴ずつ寒天液を流せば・・・
あっという間にイクラの出来上がり!




またレシピだけではなく、テクニックの面でも魅せてくれました。これは「祇園」のデモンストレーションでのひとコマ。仁丹とヴァニラで香り付けしたキャラメル寒天液を、イクラのように小さな粒状に仕上げるというのです。でも、いったいどうやって?

「このキャラメル寒天液を、スポイトで冷たい油の中に一滴ずつ落として行きます。すると小さな球体となって落ちた液が、油の中で瞬時に固まるんです。仁丹だけではなく、リンゴやレモン、シナモンなどいろいろな味で試してみると面白いですよ」

このアイデア、実はスペインのある料理人のレシピからヒントを得たとのこと。その料理人が披露したのは、熱した油に卵黄液や卵白液を1滴ずつ垂らして出来上がるという真珠の玉。そしてそれを見た時に、逆に冷たい油で同じようなことができないだろうかと閃いたボウ氏。その想像力の豊かさには脱帽です。




次々と飛び出すボウ氏の斬新な手法に見入る受講者たち


「あるスペイン人シェフの奇抜なアイデアが、フランス人シェフの奇抜なアイデアを生むきっかけになったというわけなんです。仁丹味のお菓子、ショックが大きかったですか?あまりおいしくない?でも、いいんです(笑)。独創性は万人受けするものではないですから。そもそも、アルティザン(職人)という言葉には、“芸術を行う人”という意味が含まれています。売れるお菓子を並べるだけでなく、少しはアートを感じさせる部分があった方が楽しいのではないでしょうか」

他にも、あでやかな絵柄の千代紙を反映させたチョコレート用転写シートや、インターネットから拝借した歌舞伎の隈取りのモチーフを基に作成したステンシル版 などのユニークなものも登場。日本人の私たちから見ても充分エキサイティングなジャポネスクの世界を堪能することができました。


「おままごと」のモンタージュ。ピンセットを使用して丁寧に。




プレス・カンファレンス



講習会終了後のプレス・インタビューは場所を移して和室の間へ。すっと引き戸を開けて中に入ると、木の香りが芳しい、端正な座敷が用意されていました。掛け軸がかけられ季節の花が飾られた床の間、座敷越しに臨める日本庭園・・・そこに広がっていたのはまるで茶室のような趣のプライベートな空間。ここが同じビルの一角?と目を疑ってしまうような静かで研ぎ澄まされた空気が漂います。

「私が考える日本らしさとは、まさにこの空間なんです。余計なものが一切省かれた究極の簡素な美。そしてそこで味わうお茶や和菓子についても、独特の楽しみ方がある。一幸庵の水上さんがこう言っていました。“和菓子はお茶より一歩前に出てはいけない、あくまでもお茶の脇役に徹しないと”フランス菓子とは対極にありますね。控えめな日本人女性と積極的なフランス人女性と同じです(笑)」




日本の食材が大好きというボウ氏、今回使われた和素材も普段から馴染みのあるものばかりだったといいます。

「私の好きな和素材を使って、フランス人パティシエから見た日本というものを伝えたい。そうすることで、男性と女性が出会って結婚するように2つの文化が程よく融合し合った状態を作り出すことが私の目標でした。そして和素材に注目すると同時に、日本での素晴らしい体験や感動したことなども菓子の中に込めたつもりです。例えば、「道後」は道後温泉で食べた坊ちゃん団子にちなんだもの。趣ある道後温泉を旅した時の楽しい思い出が詰まっているのです。正直、団子は苦手でしたけれど(笑)」




この中に入っているのはアプソリュ・クリスタル。
これまでのナパージュのイメージを覆すおいしさ




最後に今回の講習会でパナデリアが注目した素材、「アプソリュ・クリスタル」について伺ってみました。

「これは私の長年の思いをかけて実現した、理想的なナパージュです。ナパージュといっても、今までのものとは全く違うと思って下さい。これまで上掛けでしかなかったナパージュの枠を超え、もっと幅広いシーンに活躍できるというすぐれもの。果汁を加えてジュレのように楽しんだり、ボンボンのセンターとして使用したり。もちろん、上掛けとして使用すれば、最高に美しい艶が持続するでしょう」



奥様である藤森利香さんの流暢な日本語訳も手伝って、和気あいあいとしたムードの中で進められたカンファレンス。約7時間にもわたる講習会を終えたばかりだというのに、疲れを見せることもなく熱心に受け答えしている様子が印象的でした。 ボウ氏のガトーに込められていたメッセージを紐解くうちに見えてきたのは、日本文化に対する憧れにも似た敬意。私たちの体の中や生活スタイルには、自ずと和の精神が染み込んでいます。四季の移ろいを愛でる心、細やかな気配り、わびさびの美意識・・・。そんな日本人的なアイデンティティに触発されてボウ氏が作り出した、数々のガトー。無限に広がるボウ氏のセンスやテクニックも披露され、これまで以上に刺激的な講習会となりました。(2006.04)