今回で節目とも言える第10回目を迎えたクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー。今年の1月、フランス・リヨンで開催された大会で、日本代表チームが見事優勝に輝いたことは、皆さんの記憶に新しいのではないでしょうか? チョコレートケーキ部門、皿盛りデザート部門、氷菓部門の代表選手3名が1組となって競技するこの大会で、皿盛りデザート部門(皿盛りデザートとチョコレートのピエスモンテ)の代表として、そしてチームリーダーとして日本を世界一に導いたのが帝国ホテルでショコラティエを務める市川幸雄さん。
5月22日〜27日まで日本橋三越本店で開催されていた「世界のホテル 逸品グルメフェア」で、市川さんの大会でのエピソードを伺えると聞き、さっそくお邪魔してきました!


到着すると会場はすでに満席。平日の午後2時からという時間帯にもかかわらず、立ち見も出るほどの盛況ぶりで、辺りはすでに熱気でムンムンしています。
司会は、スイーツの女王と呼び声の高い(そしてパナデリア会員!)平岩理緒さん。実際にリヨンまで応援に行ってきたという経緯もあり、お菓子への愛情と豊富な知識がトークショーに華を添えます。

帝国ホテル ショコラティエ 市川幸雄さん


「パティシエになろうと思ったきっかけはどんなことだったんですか?(平岩さん)」

「子供の頃、ケーキ工場を見学に行ったのがきっかけです。その時に見たコックコートと帽子に憧れて、パティシエになりたいと思うようになりました。ですから、クープ・デュ・モンドで着る刺繍入りのコックコートへの憧れも強かったですね」


パティシエの顔とも言えるコックコートですが、クープ・デュ・モンドでは予選と本選とで着用するコックコートが異なります。襟元には国旗、そして胸元にはトロフィーが刺繍されたコックコートは、パティシエだったら誰もが一度はそでを通してみたいと思うもの。今回はその両方が一度に見られるほか、構想用のイラストやレシピが綴られたノートや道具なども展示されています。


予選時のコックコート。市川さんが着用しているのが本選用


普段はなかなか見ることないホテルのパティシエの素顔。そこで平岩さんは、市川さんがショコラを選んだ理由についても迫ります。

「スイスの留学先で教わったのが最初のきっかけです。それから帰国して帝国ホテルに入ったのですが、当時日本にはまだチョコレートを専門に作れる人が少ししかいませんでした。それで、スイスでの知識を活かし、もっと日本にチョコレートを広めていきたいと思うようになったんです」

今の華やかなショコラブームの陰には、きっと市川さんのようにチョコレートを愛する人の地道な努力や想いがあったのでしょう。


レシピやイメージを綴ったスケッチブック。こんなふうにアイデアが形になっていくんですね!組み立てやバランスについては建築関係の本を読んで勉強したそうです

愛用の道具類も展示されていました



そして、話題はクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー2007大会に移ります。

「今回の作品テーマは“大自然”。ピエスモンテは背の高いものが主流ということもあり、モチーフは“キリン”に決めました。構想期間は数週間。何ヶ月もの間アイデアを練る人もいますが、自分はひらめきが優先で構想期間は短めなんです。今回は、別のディスプレイに使用した折り紙を見て、これは使えるんじゃないかとひらめきました」

大自然というテーマの中、親子愛と日本伝統の美という2つの要素を組み入れ、高い技術力で仕上げた作品は、発想力、技術力ともに素晴らしいもの。外国人の評価が高かったのも頷けます。

クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー2007大会での優勝作品!幅60cm、奥行き40cmに収まるようにという規定がある。高さは180cm


ところが、ただ単に素晴らしい作品を作るだけでは優勝できないのがクープ・デュ・モンドの難しさ。

「本大会では、幅3m奥行き6mほどのスペースの中で3人がそれぞれ違うものを作ります。そのすぐ前を審査員が歩くようになっているのですが、自分の良いところをしっかりアピールするため、難しいパーツは審査員が来るタイミングまでわざと残しておくんです。立ち止まって見てもらえること、それから、スピード感、清潔感のアピールも重要になります」

市川さんは、細かい作業が必要になるキリンの背中のタテガミ部分で、審査員たちに技術力をアピールしたのだそう。

「本当は型を使えば簡単にできちゃうんですけどね(笑)。日本は毎回優勝候補にあげられるのですが、その分審査も厳しいんです。プレッシャーも大きかったですね」

他のメンバーも、もちろんアピールは忘れません。チョコレートケーキ部門の藤本智美さん(グランドハイアット東京)は、クルッと回って道具を取るパフォーマンスが審査員の目に止まり、“ダンシングマシーン”と評されたのだそう。途中経過のアピールが審査員の印象を左右する大きなポイントとなっていることが伺えます。

イラスト入りで細かく書き込まれた道具リスト。几帳面さがうかがえます

話が盛り上がってきたところで、大会と同じモチーフ“キリン”のデモンストレーションに移ります。大人のキリンは高さ180cmにもなってしまうということで、今回は小さな子供のキリン。世界一の技をこの目で見ようと、会場はますます熱気をはらんでいくよう・・・。この暑さ、ちょっと心配です。

さっそく取り出したのは、ペラペラした透明プラスティック製の板。

「チョコレートは普通シリコン製のモールドで作ることが多いのですが、私は得意ではないのであまり使いません。これは、東急ハンズで購入した日曜大工用のもの。何を見てもピエス用の素材に見えてしまうんです(笑)」

キリンの顔の形に切り抜いたプラスティックにはいくつもの折れ線が作られ、まるで折り紙の模型のよう。キリンの下の部分を飾る葉も同様に紙のようなテクスチャーになるよう、プラスティックの型を使用します。

市川さんオリジナルのプラスティックの型、タテガミ用の紙型、そして秘密のアイテム“ゴム風船”

そして、土台とキリンの胴体部分、そして顔などのパーツを接続していきます。チョコレートを付け、すぐにコールドスプレーをシューッと吹き付けて固めていくのですが、ちょっと苦戦している様子。

「今、会場内は28℃くらい。かなりチョコレートには厳しいですね」

本大会でもすぐ隣で200℃にも達する飴の作業が行われているため、室温が上昇して作業は困難を極めるそうですが、さすがにこの会場の熱気では、細い部分があっという間に溶けてきてしまいます。当初の土台では支えきれなくなり、急遽、材料用のチョコレートの板を土台代わりに使用することに。大切な作品が倒れたり、壊れてしまってからでは手遅れ。この瞬間の判断が、コンクールでも必要になるのでしょう。

コールドスプレーで接着しても、この暑さでグラグラに


「接着面にはあえて傷をつけ引っかかるようにします。それから、美しく仕上げるため、なるべく触らないようにして、最終的に見えないところを持つようにしています。実はこの見えないところに、自分のサインを入れる人も多いんですよ」

薄いパーツをそっと持ち上げ、慎重に組み立てる市川さん。そして、不思議な形状のものが登場。これはいったい・・・??

「これは、キリンのツノ部分なんです。ビニール風船にチョコレートを流し込んで固めているんですよ」

先端がぷくっと丸くなったチョコレートは、まさにツノそのもの。市川さんの目には、本当に何もかもがピエスモンテの材料に映ってしまうようです。

これがマル秘アイテムのゴム風船!発想力の豊かさに脱帽です



ツノの出来上がり!


「実際の大会では(キリンの)口のところが折れるというハプニングがあったんです。集中力が途切れた頃に3人ともそれぞれアクシデントがあって。でも、そのおかげで、かえって冷静になることができました」

2日間に渡って行われる大会で集中力を持続させるのは、いくらプロとはいえ至難の業。

「うーん、そうですね。出来栄えは日本で練習したときが100%だとしたら、60〜70%でしょうか」

厳しい環境はどの国も同じ。技術力やアイデアだけでなく、長い時間をどのように調整するかといった精神面の強さも大きな要因になるようです。

右:市川幸雄さん、左:平岩理緒さん


そうこうするうちにキリンの子供が完成。薄い紙を重ねたような繊細な質感が新鮮で、シャープさの中にも温かみを感じます。下の部分は、「ジャックと豆の木」をイメージしたもの。無機質な折り紙のキリンに物語の要素が織り交ぜられ、不思議な生命力が息づいているようです。

パーツをしっかり手で触れているように見えますが、ここは後から隠れる部分。出来上がった作品には指紋ひとつありません


今日見せていただいたのは市川さんのコンクールでの顔ですが、普段は帝国ホテルで腕をふるうショコラティエ。見た目はもちろんですが、それ以上にこだわっているのが味作りです。

「目指しているのは、素材の味とチョコレートの味それぞれがスッと消えてなくなり、もうひとつ食べたくなるような味わいです。コンクールは普段の仕事の延長にあるもの。いちショコラティエとして、この大会を機にもっとアレンジしたものにも取り組んでいきたいですね」

と、その意気込みを話してくれました。

チョコレートの固くて重たい質感と、軽い紙の質感が不思議な調和を生み出しています




技術、アイデア、そして味作り・・・。
その全てが評価される世界の場でナンバーワンを掴み取った市川さん。帝国ホテルのショコラティエとしてはもちろん、世界一に輝いた栄誉あるショコラティエとして、これからの活躍が楽しみです!