フランスの国旗がはためく、明るいブルーとホワイトのファサード。そのむこうに広がるのは、フランスのブーランジェリー&パティスリーそのものの世界だ。バゲット生地やセーグル生地を使った様々なハード系のパンや、クロワッサン生地を使った何種類ものヴィエノワズリがショーケースの中に並ぶ。大きく焼いた田舎パン、パン ロデヴは量り売り。他にもキッシュやバゲットサンドなどの惣菜系や、タルト、エクレール、焼き菓子などの気軽なお菓子もどれもセンスがいい。そして、ブーランジェリーの顔とも言えるバゲットは、一番奥のカゴの中に鎮座している。


ショーケース越しにパンを選ぶ対面販売スタイルは、
気軽にコミュニケーションをとれるのがいいところ



ぷっくりと張りのあるバゲットは、店内の一番奥に


石臼で挽いた国産小麦を使用したパン ロデヴ


「ボンジュール!」
シェフのデリアン・エマニュエルさんが、優しい笑顔で迎えてくれた。エマニュエルさんは、フランス中央部、リムーザン地方のゲレ出身。パンの学校を出た後、トラックの運転手を経て、パリの「フォション」、そして「ポワラーヌ」へ。ポワラーヌ!・・・パン好きならばその名前を聞いただけで鳥肌が立ってしまうかも。そう、あの、パリで最も有名な老舗ブーランジェリーだ。名物は大きな大きなカンパーニュで、「P」のクープがトレードマーク。好きな分だけ量り売りしてくれるカンパーニュ目当てのお客で、お店はいつでも大賑わい。そんな中で10年近くを過ごし、それからアンテリマ(臨時の派遣業)も経験して、日本にやってきた。
 ところで、何故、日本だったのか。
「パリでお菓子の学校に通っていたときに、日本人と仲良くなって。是非日本に来て欲しいと言われて興味を持ったんです」


焼成は全て溶岩窯で。火通りがいいので、クラストは
パリッと香ばしく、中はしっとり焼きあがる



黄金色に焼けたバゲットの香ばしさといったら!
すぐにでもかじりたい!



2004年1月、エマニュエルさんは日本に渡った。表参道のレストランで暫く働きながら、時間を作っては、島根、広島、京都、沖縄・・・と地方を見てまわったりもした。その後、ある縁があってブーランジェリーボヌールで技術指導をすることになり、2009年11月には、系列店のレ・サンク・サンスのシェフを任されることになったというわけだ。ボヌールではあんパンやメロンパンなど、日本人が慣れ親しんだパンも置いていたけれど、ここ、レ・サンク・サンスにはそういった日本らしいパンは見当たらない。あるのは、フランスで見かける、フランス人に馴染みのパンやお菓子ばかりだ。


グリーンオリーブとドライトマトを入れた
パン オリーブ。ワインのお供にも



セイグル生地を使ったパンも多数


「基本のバゲットは、シンプルなバゲットトラディションと、天然酵母を使ったバゲットカンパーニュの2種類。どちらもお勧めですが、やっぱりトラディションがよく出ますね」


発酵バターがじゅわっと染み出すクロワッサン


タルトレット オ ポムはフレッシュな
りんごとパイ生地の組み合わせ



というわけで、まずはトラディションからいただくことに。奥のカゴから運ばれてきたバゲットの、なんて色艶のいいこと!こんがり焼けた香りもたまらない。エッジの効いたクラストがバリバリっと弾けたかと思うと、むっちりと弾力のあるクラムは口中でしっとり。この"むっちり"がポイントで、よくある“もっちり感”とは微妙に違うところが憎い。更に噛んでいくとコーンのような甘みと深い旨みが押し寄せてきて、食欲は最高潮に刺激される。他にも、さっくりと歯切れのよいパン ロデヴや、外がサクサク、中はしっとりジューシーでやわらかいクロワッサンなど、どれも明らかに味や食感がフランス的。さあて、その辺の謎はいったいどこからくるのか。素材?製法?それとも・・・


ショーケースの下に粉をディスプレイしているのがユニーク


「素材?粉なら、ほら、ここに並んでいますよ」


さっくりふんわり焼けた生地に卵の風味が優しいキッシュ


とエマニュエルさんが指差すその先に並んでいたのは、国産小麦の数々だった。これはちょっと意外な展開。何故って、国産小麦はおいしいけれど、レ・サンク・サンスのパンは、よくある“国産小麦パン”とは全くの別物なのだ。


もっちりとしたクレープ生地にも似たファーブルトン。
ラム酒の香りとプルーンの甘みがぴったり



「うちのパンは、オートリーズ製法で仕込んでいます」

と、今度はヒントになりそうな発言が飛び出した。オートリーズ製法とは、フランスパンの伝統的な製法のこと。ライ麦から種を起こして、粉をついで作ったルヴァンリキッド(発酵種)を先に用意しておき、その発酵種を使って最小限のイーストで生地を仕込んでいく。そういえば、以前、パナデリアのパン講習会で、エマニュエルさんがトラディショナルを作ってくれたことを想い出した。あのときも、発酵生地を使って仕込んでくれたっけ。それにしても、フランスの素材に慣れていたエマニュエルさんが、日本の粉や水で苦労することはなかったのだろうか?
「全然」。
え、本当に?
「はい、問題なかったですよ。日本の粉も、素晴らしい!」
問題どころか、褒めちぎられてしまった。そうはいっても、なにか、こう・・・
「大切なのは、サンク・サンス(五感)ね。五感を使えばどんな粉だって大丈夫」。


バスク地方の郷土菓子、ガトーバスク。アーモンドクリームとカスタードクリームを、ソフトタイプのクッキー生地でサンドしたもの


2種類の杏がたっぷりのったタルト アブリコ


なるほど、そう言われて、妙に納得。酵母を使って作るパンは、生き物だ。だから、何よりも五感を駆使して世話をすることが欠かせない。生地の状態を見て、嗅いで、触って、味を確かめて・・・そうした、素材やレシピ以上に大切な作業が、おいしさへとつながっている。しかも、エマニュエルさんのDNAには、フランスで育って味わってきたパンの味がそこかしこに刻み込まれているはず。それらがパンに伝えられていくのは少しも不思議なことではないのでは?レ・サンク・サンスに並ぶパンたちの、自信に満ちた表情を見ていると、そんな気さえしてくるのだった。


コクのあるプラリネクリームを入れたエクレールプラリネ


もちろん、こうしたパンが今、お店で楽しめるのも、それまでの苦労があってこそ。日本にある粉、水と、日本の溶岩窯を使って、来る日も来る日も試作を重ねた。目指したのは、“安心・安全な国産小麦でフランスの味を再現すること”。それからフランスの雰囲気やスタイルも。パンをおいしく食べるために手間隙かけて煮込んだスープを合わせたり、余ったバゲットをフレンチトーストやオニオングラタンスープやパン粉に変身させたり。パナデリア講習会のときに、普通においしく楽しく食べるコツを教えてくれた光景がよみがえる。毎日がパンと共にあるフランス人ならではの、大らかさや豊かさもパンの味へとつながっているに違いない。



おいしい粉を使ったシンプルなサブレも人気


店内に並ぶパンたちの、ぴんと張りのある表情や、ただならぬ色、艶、香りに思わず頬が緩む。フレッシュ感漂うお菓子もはずせない。おいしいものを前にしたら、五感は自然と研ぎ澄まされるようだ。
(2010.03) 





ブーランジェリー パティスリー レ・サンク・サンス
住所 東京都世田谷区若林1-7-1
TEL03-6450-7935
営業時間8:00〜21:00
定休日不定休
アクセス 田園都市線・世田谷線三軒茶屋駅より徒歩約7分 世田谷線西太子堂駅より徒歩約3分
URL http://les5sens.jp/




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