東京のスイーツ激戦区として知られる目黒区に、昨年12月、またひとつ魅力的なパティスリーがオープンした。菅又亮輔シェフは、「ピエール・エルメ サロン・ド・テ」でスーシェフを務めた人物。店舗は黒一色でまとめられ、シックでお洒落な雰囲気。・・・とくれば、話題性は充分で、オープン直後から注目店としてメディアに登場するようになった。その輝かしい経歴や店のイメージから想像されるのは、洗練された華やかなお菓子。ところが、ショーケースの中を見ると、意外とそれだけではないことに気づく。モダンなデザインのケーキや層が美しいグラスデザートの側には、ふわふわのロールケーキやショートケーキ。ショーケースの上や飾り棚には、クグロフやコンフィチュール・アルザスなど、フランス地方菓子の姿も。モダンなものと伝統的なものが仲良く同居している。これって、何がメイン?どれが本心なんだろう?

ガラス張りのドアからほんの少しだけ店内のようすが伺える。道行く人が興味深そうに覗き込んでいることも


「もちろん、どれも欠かせませんよ」

と、屈託のない笑顔を見せる菅又さん。 弱冠32歳のシェフは、思い描いていたよりもずっとソフトな物腰で優しそう。端正な顔立ちや涼しげな目元とは対照的に、不思議とフレンドリーな印象を受ける。早速、生い立ちから伺った。

すっきりとした黒い空間にショーケースが映える


「出身は新潟県の佐渡市。父は洋菓子職人、母は老舗の和菓子屋の出身でしたので、お菓子に囲まれて育ちました。子供の頃は学校から直接お店によってつまみ食いするのが日課で。もちろん、クリスマスなどのイベント時には一家総出でデコレーション用の苺をのせたり箱を作ったりしていました。高校を卒業してパティシエを目指したのも、ごく自然なことでしたね」

ちなみに菅又さんは3兄弟の末っ子。姉も兄もパティシエを夢見たが、父親の大反対に合って、泣く泣く断念。もちろん、菅又さんにも簡単に許可は下りなかった。

「父が反対する理由はいろいろあったんですが、そのひとつが、子供たちに苦労をかけさせたくないということ。父も母もすごく忙しかったから、同じ思いをさせたくなかったようです。それに、僕たちは祖母に面倒を見てもらうことが多かったのですが、そのことも不憫に思っていたようで。実際はすごく楽しかったのに(笑)」

就職の話が上がるたびに、菅又さんと父親が言い争い、母親がなだめる・・・そんな日々が続いていた。ところが、暫く父親と2人きりになる機会ができたことで、事態は一変。

「母が入院することになり、1ヶ月ほど2人きりに。そうしたら次第に打ち解けてきて、『お前が本当に菓子職人になりたいなら、やってみたらいいじゃないか』って、背中を押してくれたんです。姉と兄には『何でお前だけ許されるの?』って嫉妬されましたけれど」

ケーキはステンレスのトレイにのせてディスプレイ。ロールケーキやモンブランなどのお馴染みのケーキもシックなイメージに




晴れて就職した先は、新潟市のパティスリー。幼少時代から見慣れた世界だし、お菓子作りもなんなくこなして・・・と思ったら、

「とんでもない!だって、環境が全然違うんですよ。作るお菓子だって、そう。実家ではウィーンやドイツ系のものだったので、ムースの中から柔らかいソースが出てくるケーキなんて見たこともありませんでしたから」

もちろん、一社会人として働くことも、初めての経験。仕事に対する姿勢や心構えなどは、同居していた兄から教わった。日々の仕事をこなすことで精一杯だったから、楽しいとか楽しくないとか考える余裕もなかったという。それでも、地道に経験を積み、5年半の間に全てのポジションを任されるようになっていた。


色とりどりのマカロンには、コンフィチュール入りのバタークリームなど、こだわりのクリームをたっぷりサンド


その後、渡仏。

「以前、フランスを旅したこともあり、フランスへの想いは徐々に強くなっていました。新潟の店で働いていた時に、そのことをシェフに告げたら、『じゃあ、来月から行くか?』って言ってくれて。僕の気持ちを察してフランスでの修業先を探してくれていたんです」

なんと、店を辞めてからわずか10日後には渡仏してしまうという急展開。こんなにも簡単に夢が叶ってしまったのも、菅又さんの誠実な人柄のお陰に違いない。


レストラン「カーサ ジャルディーノ」のシェフを務めるお兄さまから教わった「キッシュ カーサ ジャルディーノ」


しかし、フランスでは、数々の試練が待ち受けていた。

「実は昔、乳製品が苦手で。初めは5Lもある牛乳の蓋を開けるだけでも臭いがしてつらかったんですが、なんとか克服しました」
「あるパティスリーで働いているときに、体調を壊してしまいました。安静が必要だったので一時帰国して、3ヶ月ほど療養していました」
「あるブーランジェリーでは粉アレルギーが出て、急性気管支ぜんそくに。咳が激しくなって呼吸ができなくなってしまうんですよ」

コンフィチュールは数種類のドライフルーツやナッツを入れてスパイシーな「コンフィチュールアルザス」がお薦め

パッション&アプリコ&マンゴーの「ジョンヌ」や、グリオットチェリー&ラズベリーの「ルージュ」など、組合せが魅力のパート・ド・フリュイ


次々とやってくる逆境の連続に、聞いているだけでもハラハラしてしまうけれど、本人はいたって漂々としている。きっと、その華奢な体と清々しい顔からは想像できないような強さを秘めているのだろう。約3年の間に、ノルマンディ地方のパティスリー・レイナルド→ローヌ・アルプ地方のパティスリー・ギエ→パリのブーランジェリー→パリのレストラン→アルザス地方のティエリー・ミュロップ→パリのラ・ヴィエイユ・フランスと修業を重ねる中で、各地の伝統菓子を学び、様々なテクニックや仕事のやり方を吸収していった。中でも印象的だったのは、

「ティエリー・ミュロップですね。実は、是非修業したいと思っていた店のひとつがここでした。ミュロップさんのお菓子は、製法はシンプルなのに完成度が高いところがポイント。例えばエクレアなら、クレームパティシエールと有塩バターを合わせたクリームを詰めることで、味がぐっとしまるんです。他にも、クグロフもパンデピスもコンフィチュールも、どれもシンプルなのにおいしかった」

ショーケース手前の黒いテーブルには、セック系やコンフィズリーなどが並ぶ 


また、行く先々で可愛がってもらえるのも、菅又さんの人柄と技術のなせる業。パティスリー・レイナルドでは、先に勤めていた福田さん(現 ル・ジャルダン・ブルー シェフ)にフランス菓子のイロハを徹底的に教えてもらい、ラ・ヴィエイユ・フランスでは、シェフと家族ぐるみで付き合うようになり、帰国の際にはアンティークの型をプレゼントされた、等々。誰からも好印象をもたれるのは、何か秘訣があるのだろうか。水を向けると、

「そうですね・・・例えば、ラ・ヴィエイユ・フランでは、くる日もくる日もひたすら型抜きのチョコレートを作っていましたね」

そうした地道な作業が続くと、次第に嫌になってしまったりとか・・・?

「ひとつのことを黙々とやるのは好きなんですよ。きっと、真面目にやっていたのが良かったのかも」

と人懐っこく笑う。どんな仕事も着実にこなす菅又さん。彼になら安心して任せられる、そんな風に思われているに違いない。

ラ・ヴィエイユ・フランスでもらったアンティークの道具は、ヌガー用の型。60年ほど前のもので、シェフの父親が大切に使っていたものだそう


帰国後は、実家での充電期間を経て、在仏中に仲良くなったフレデリック・スケルター氏のマダムの紹介で、幕張のピエール・エルメ サロン・ド・テへ。スーシェフとして迎えられることになった。

「実は、フランス修業時代、夢見ていたのにかなわなかったのがピエール・エルメ。だから、願ってもないチャンスでした」

サロンのシェフを務めるドミニク氏を通して、エルメ氏のすごさを実感。定番ものをオリジナルに変えてしまうテクニックや、印象的な味の組み合わせ方など、考え抜かれた独創性を目の当たりに。菅又さん自身がフランスで学んできたレシピやテクニックも、ここにきて始めて、“なるほど、そういうことだったのか”と納得がいくことも多かったそうだ。

「例えばイスパハン。バラとライチとフランボワーズという個性的な合わせ方も、もちろん驚きですが、その作り方や組み立て方が鍵なんです。マカロンの間に挟むバラの香りをつけたバタークリームは、しっかりと立てることで脂っぽさを感じさせないようにする。そして量を控え目にして、フレッシュのフランボワーズとライチをたっぷり使って酸味をプラスし、ローズの香りがきつくならないようにと配慮されています。ひとつひとつのパーツは案外シンプルだし、基本的なものも多いのですが、作る段階での混ぜ方や焼き方、それから構成やパーツの比率など、ものすごく緻密に計算されています。だからそれを知らずに気軽に真似してしまうと、全く別物になってしまいますね」

店内にはカフェスペースも。ヴァンショーやシャンパーニュ、ソーテルヌなどお菓子に合うアルコール類も用意されている


刺激的な2年間を過ごした後は、いよいよドゥー パティスリー カフェのオープンに伴いシェフに就任。やはりやるからには、レベルの高い目黒区で挑戦してみたいという思いが?

「いえいえ、そんな(笑)。新潟に帰って店を開こうかとも思っていたんですが、幸い、ここのオーナーさんから声をかけていただいたんです。でも、近くには人気店がたくさんあるし、すごい場所だなと。身を引き締めています」

目指したのは、開放的ではないけれど、いざ入ってみると温かみを感じる空間。外からは店内がわかりにくく、黒×白のバイカラーでまとめているのもそのためだ。だが、ひとたび店に入れば、お馴染みのラインナップや温かい笑顔にほっとするに違いない。

「もともと田舎で育ったこともあって、ショートケーキやプリン、ロールケーキなどは絶対にやろうと決めていました。それとフランスで出会った伝統菓子や、ピエール・エルメで学んだ現代的なものなど、いろいろな要素を取り入れてみようと思っています」

マチュリテ。ピンク色のキュートな佇まいは、ショーケース内でひときわ目を引く


そう言われてショーケースに目を移すと、ピンク色が鮮やかなケーキが真っ先に目に飛び込んできた。これはもしやイスパハンでは?

「いえ、ちょっと違うんです。マチュリテという名前ですが、これは始めにクリームから考えたお菓子で。レアチーズ系のクリームとベリー系のソースを合わせてひとつの形にしようと思っているうちに、マカロン生地と相性がいいことに気づいたんです」

“ピエール・エルメ出身”と聞くと、つい同じものを期待してしまうが、それだけでは勝負したくないという想いが込められているようだ。実際にいただくと、クリームのセンターにはルバーブとイチゴのジュレが隠され、アクセントがありながら余韻はずっと優しい。フランスや日本で得た様々な技術を消化して、さりげなく、嫌味なく表現している。


ソーブル。ミルクチョコレート入りのビスキュイとキャラメルクリームというシンプルな組合せがおいしい

マンゴークリームとラズベリーのコンフィチュールを挟んだ、エクレールマングー。クッキー生地をのせたシュー生地を白っぽく焼いて涼しげに


「うちではミルフィーユやモンブランもよく出ますが、ガナッシュが濃厚な『エクストレーム』やビスキュイとキャラメルクリームを層にした『ソーブル』なども人気があるんですよ。僕自身がやりたいものですか?実は、ドイツやウィーン系のお菓子が好きなんです。生地とクリームだけのシンプルなお菓子も作りたいですね」

ドゥー パティスリー カフェには、菅又さんが愛する様々なジャンルの菓子が同居する。この先もどんなお菓子が登場するのか、まだまだ秘められた可能性があるに違いない。(2008.08)





ドゥー パティスリー カフェ
住所 東京都目黒区八雲1-12-8
TEL&FAX03-5731-5812
営業時間10:00〜19:30
定休日 月曜
アクセス東急東横線都立大学駅より徒歩5分
URLhttp://deux-tokyo.com/




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