「いらっしゃいませ!!」

ドアをくぐると、厨房から元気な声が響いた。
白とオレンジの明るい色調の内装、まばゆいばかりのケーキが並ぶショウケース。店内から見渡せるオープンキッチンでは、オーブンに火が入り、ミキサーが音を立て、若い職人達がテキパキと働いている。新鮮なネタで巧みに握られた寿司のように、そこに陳列されたケーキはどれも“いい顔”をしている。さあ、どれを買おうかと悩んでいる間に、ついさっきパティシエールを絞っていたシュー・ア・ラ・クレームが、もうそこに並べられていた。

ホワイトの外壁にオレンジのサインが映える。ぴかぴかに磨かれたガラス張りのウィンドウ越しに、ケーキや職人達の姿が望める


「まだまだですよ。もっともっと頑張らなくちゃいけない」

まだまだ。もっともっと。インタビューの中で、何度も本間さんはその言葉を口にした。
去年の10月25日に「ラ・レーヌ」オープン後、その評判は一気に広まり、クリスマスには700人もの客が押し寄せた。TV出演などの効果もあり、週末には行列が出来るほどだ。開店からわずか4ヶ月ほどで、今や高円寺の人気店になりつつある。だが、本間さんは決して現状に満足していないようだ。
ラ・レーヌの売り上げの8割を担うのは生ケーキ。常時約25種類のケーキは、ストック無しの出来たてにこだわる

「人の流れがなかなか読めませんね。クリスマスは忙しかったので、お正月の3ヶ日を休みにしたら、その後一気に売り上げが落ちてしまって。季節感や一般のお客さんの感覚というのがつかめません。まだまだシェ・シーマで働いていた頃の感覚が残っちゃっているんですね。今までの考え方を全部捨てる、そんな気持ちでやらなくちゃいけないのですが」

島田進さん、そして木村成克さんの跡を継ぎ、シェ・シーマのシェフに就いたのは2001年。それから約6年半、人材の育成や、商品の開発、市ヶ谷の新アトリエの運営などに尽力した。百貨店含め、都内に4店舗を構えるシェ・シーマ。全商品は、市川にある工場と市ヶ谷のアトリエで作られており、本間さんは工場とアトリエを往復する生活を送っていた。人気のマカロンは多いときで一日5000個以上の生産。従業員も徐々に増え、工場では20名のスタッフを抱えていた。規模の大きさゆえ、シェフとしての役割のみならず管理職としての責任も重い。それでも、ストックや量産のノウハウが蓄積されていた為、体力的な負担は少なかったという。


スペシャリテ「王妃のロール」(¥1,000)は、南蛮窯で焼き上げたしっとりふんわりとしたカステラ風の生地が魅力。
※3月には期間限定で「イチゴロール」を発売予定。小金井のイチゴ農家より“べにほっぺ”を使用



「シェ・シーマで5年目の時に、市ヶ谷の本店を改装してキッチンを作ったんです。百貨店では出来ないような、本当に作りたてのフレッシュケーキにこだわったり、本店だけのオリジナル商品を作ったり。でも、完璧にやろうと思うと、結局人間にしわ寄せが来る。徹夜続き、休憩無しという状態になって、僕自身も8キロくらい体重が落ちて・・・、結局それは1年しか続きませんでした。でも、あえて、またそれに挑戦したいと。やっぱりお客さんが喜ぶもの、一番おいしいものを作ることを考えると、効率を考えちゃいけないんです」

前倒しのストック、配送に耐えるデコレーション、日持ちする菓子・・・どれも、百貨店で売れる商品を作るためには当然考えなければならないこと。組織の中で任務を全うする中で、本間さんはもう一度原点に戻りたいという想いに駆られていた。しかし、やるからには続けなければ意味が無い・・・その為には、自分の店を持つしかない。

「その時に、ちょうど開業の話が巡ってきて、やっとシェ・シーマを辞める決心がついたんです。3月に辞め、当初は表参道に4月オープンという予定でした。しかし、物件が決まらずその話が頓挫してしまって。開店の話も一度ゼロに戻ってしまい、オーナー探しから再スタート。スタッフも一緒にシェ・シーマを辞めてしまっていたので正直あせりましたし、本当に大変でした」

フランス、ドイツ、ベルギーでの輝かしいコンクール受賞歴。新生「ラ・レーヌ」では、その名の通り、“洋菓子の女王”を目指す


「こだわったのは、中央線。乗降客が多く、東京の真ん中を走る沿線に魅力を感じました。新宿から三鷹あたりまで、一駅一駅自分の足で降りて探しました。高円寺で別の物件を見に行く途中で偶然見つけたのが、今の場所です。地の利も条件もいい。天井が高く、開放的な空間。ここで店をやるイメージがわいて、即問い合わせをしました」

オープンまでの半年間、講習や顧問の仕事をしながら、厨房機器や店の設計まで店作りに携わった。中でもこだわったのは、店内から・・・いや店の外からも覗けるほどの「厨房の窓」。

総勢8名のスタッフがきびきびと働く。一人一人のケーキ作りへの真摯なまでの緊張感があの味わいにつながることを、この窓からうかがい知ることが出来る


「いやー、あれは大きすぎました(笑)。あの窓にしたお陰で、確かに緊張感のある商品作りはできていますが、僕自身がもっと大人にならないと」

時には、厨房内で厳しい檄が飛ぶことも少なくない。スタッフに対し「みんなプロだと思っている」と、本間さん。だからこそ、仕事に妥協は許されない。中でも、徹底してこだわるのは「時間」の使い方。今でも師と仰ぐ稲村省三氏に、「ホテル西洋銀座」時代に叩き込まれた職人精神のひとつだ。

「西洋の時は、19時閉店ならば、それまでにきっちり仕事を終わらせて、その後練習をしなさい、自分の時間は自分で作りなさいと言われていました。今は閉店が21時を回ることもあるので難しいとはいえ、やっぱりそれでも時間の作り方が甘いと思う」

ラ・レーヌ一番の人気商品は「ショートケーキ」。多いときで一日に240個が売れる。生クリームは45%と高脂肪だが、重たさは感じさせず、なめらかでミルキー


時間にシビアである必要性は、自分のためだけではない。全ての製品を出来たてで出すためには、常に商品の動きを見極めながら、ムダのない動きと計算で厨房を回さなくてはいけない。工場だったら、一度に大量仕込みをして一括納品をして終わり。しかし、ここでは違う。たとえばシューならば、朝にパティシエールを炊いて、売れ行きを見ながらシューを焼き、詰めたてを出す。足りなくなればまたパティシエールを炊いて・・・の繰り返しだ。淀みなく動き続ける機械、張り詰めた空気・・・少しでも気を抜けば、歯車が狂い、無常に時間が経ってしまう。

「僕自身もですけど、まだみんな工場の感覚が拭い去れない。その感覚を壊さないと、シェ・シーマは超えられないんです。お客さんはたくさん来ていただいているけれど、まだまだ謙虚にならなくちゃいけない、もっともっといいものを作らなくてはいけない」

まだまだ。もっともっと。またしてもこの言葉が、本間さんの口をついて出る。
ラ・レーヌのケーキを食べたとき、その口どけの良さにまず驚いた。クリームは、生乳を飲むように身体にスルスルと流れ、フルーツは、素材そのままを食べるよりもジューシーに。砕け散るタルトからは、粉とバターの風味がのびのびと広がる。本間さんのお菓子を食べるのは初めてではないはずなのに、まるで初めて食べたかのような感動すら覚えた。中でも驚いたのは、代表作「クレームダンジュ」の味わいだ。

「クレームダンジュ」 (\400)は、口に入れた次の瞬間、まさに淡雪のようにシューッと溶けて消える。心地よいだけでなく、乳風味のコクやわずかな酸味を響かせる奥の深い一品


「シェ・シーマ時代よりも、甘さを控えています。それによって乳風味が立ったのかも。前からそうしたかったんだけど、一番の売れ筋だったから、味を変えられなかったんです。それから、生クリームもクレームドゥーブルもメーカーを変えています。ラ・レーヌのケーキは、スペシャリテを含め全商品のルセットを変えているんです。たとえば、マカロンも以前はフレンチメレンゲを使っていましたが、今ではイタリアンメレンゲにしています。完成された商品だったので、変えるのには少し勇気が必要でしたが、やはりあれはシェ・シーマにあげたルセットなので」

カシス入りの「モンブラン」(\400)と、国産和栗を使った「和栗のモンブラン」(\430)の2種類を展開。スペシャリテのカシス入りも、サイズアップ。スポンジを多くクリームを増やしてより軽く優しい味わいに

お客さんに、愉しんで食べて欲しい。その想いは、ルセットだけでなく価格にも現れている。ラ・レーヌのショウケースを見ると、400円前後。その上、おなじみの商品もボリュームUPしていることが一目で分かる。

「最初から、450円以上のケーキは作りたくなかったんです。今はデパートに行っても500円台はざら、600円台なんていうのも珍しくない。600円もあったら、僕ならケーキ食べるんじゃなくて、何か他のものが欲しいって考えてしまう。高円寺という場所を考えても、誰にでも愉しんで買ってもらえる価格で、且つ僕でも払いたいと思う価格がこれなんです」

粉は6種類以上も使用し、お菓子によって使い分けをしている。パン職人にも負けないこだわりぶりだ。焼き菓子も、全て、発酵バターを使用。なんと型塗り用まで発酵バターというほど、原料は惜しみなく良質のものを使う。

人気の「ブールドネージュ」(¥400)は、割ると中まで焼き色が。しっかりと火を通すことにより、発酵バターの香ばしさと、粉の旨みを存分に引き出している

インタビューは、厨房の少し奥まったところにある、冷蔵庫の前のスペースで行われていた。大きな「窓」から死角になっている一畳ほどの空間が、スタッフの唯一の休憩場所だそうだ。その時、スタッフの一人がすみません、と頭を下げ、冷蔵庫からスポンジを取り出すと、小走りに厨房に戻った

「今、取りに来たスポンジ、18時に入っている予約のアントルメの台ですよ」

手元を見ると、時計は16時半を指していた。

「予約のケーキは、直前に仕上げるんです。本当は少し馴染んだほうが美味しいけれど、お客さんは帰って少しおいてから食べるわけだから、こちらからは本当に出来たてのケーキを出すようにしているんです」

ふと、誕生日ケーキを食卓で囲むシーンが頭に浮んだ。ケーキを食べるのは、きっと食事の後、20時を回った頃だろう。その頃には、ケーキはしっかりと馴染み一番美味しい状態でお客様の口に入る。年に一回の特別な味わいが、最高の瞬間で提供される。そんな配慮を知らずとも、その味わいは食べ手の舌にしっかりと刻まれることだろう。




「お客様が主役」がラ・レーヌのコンセプトだ。どんなに忙しくても、欠かさないのが挨拶。200人のお客さんが来れば、200回の「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました!」が厨房から響く。年に一度のデコレーションケーキを求めるお客様にも、毎日のこどものおやつを買い求めるお母さんにも。「すごいですね・・・」と、思わず出てしまった言葉に、本間さんは言う。

「まだまだですよ。」




「ありがとうございました!」

インタビューが終わり、ケーキを買って店を後にすると、元気の良い挨拶が奥から響いた。振り返ると、既に彼らは黙々とケーキに向かっていた。たゆまず、ブレず、ピンと張った職人達の背中。あの味わいを求めに、あの背中を見に、きっとまたすぐに、ラ・レーヌの窓を覗きに行きたくなるだろう。 (2008.2)



ラ レーヌ
住所東京都杉並区高円寺南4-8-1
Tel03-5305-5608
営業時間10:00〜20:00
定休日火曜
URLhttp://www.la-reine.co.jp/