赤坂サカスのオープンに伴い、赤坂の人の流れが変わった。土日は閑散としていた街も今は観光客で賑わい、平日はビズタワーで働くOLやサラリーマンで溢れている。一方、このあたりは一歩道を外れると民家も多く、古くから住む年配の方も多い。そんな“赤坂人”達の、ビジーな日々の息抜きに、日常の暮らしの彩りに。おいしいケーキとコーヒーが愉しめる場所があったなら・・・。

赤坂通り沿いに建つカフェは、ガラス張りの外壁と赤を基調とした明るい印象。奥行きがあるため、店内は通りの喧騒を避け、落ち着いた雰囲気



「エム-ワン カフェ スイーツ」は、2007年3月28日にオープン。1周年を迎えたばかりのピカピカの店内に入ると、見目麗しいケーキが目に飛び込む。作り手の愛情が伝わる丁寧なデコレーション。キリリと焼かれた焼き菓子。ガラス越しには、職人が真剣な面持ちで次々とケーキを仕込んでいた。この店のシェフ・パティシエール、岡林登美さんだ。

赤坂の“赤”をモチーフにした、オープン1周年記念のロールケーキ「M(エム)」(\380)。フリーズドライのフランボワーズが目にも鮮やか。パティシエールと生クリーム、フルーツをしっとりとした米粉の生地でくるりと巻いている


スペシャリテを聞くと、「まずは、モンブランを食べてみてください」。
ベージュ色のマロンクリームをまとった優しい風合いのモンブラン。しかし、一口食べると、その力強さに驚く。マロンクリームはラム酒をしっかりと効かせ、センターに忍ばせたカシスは少量ながらクリアな酸味。それでいて、口どけはあくまで優しく、乳風味の心地よい余韻が続く。強さと、優しさを秘めたモンブラン。一本芯が通ったケーキ、そんな印象だ。

「栗とカシスは、旬が同じ。『旬の素材同士は合う』・・・ロブション時代にレストランのシェフに教わった言葉です。良い素材を使うこと、そして、その素材の持つ力を最大限に活かすこと。それだけです」

モンブラン(\490) 
渋皮のマロンペーストに、生クリーム、ラム酒をあわせて。中には、カシスのコンフィチュールが酸味のアクセントに。土台のマカロンがサクサクッと香ばしく、出来たて感が嬉しい。



自分の性格を一言で現すなら・・・『負けず嫌い』。
“ケーキが好きな女の子”は、やがてロブションのシェフ・パティシエにまで昇りつめた。そして、今もさらなる未来へ奔走し続ける。このモンブランに棲むしなやかな力強さは、彼女のパティシエ人生そのものかもしれない。

「子供の頃からとにかく甘い物が好きで、ただ自分が食べたい一心で母親と一緒にケーキ作りをしていました。」

栄養士をしていた母親の影響で、自分も栄養士を志し、専門学校卒業後は、病院で栄養士として務めていた。だが、栄養士の仕事は何か物足りない。ケーキ作りへの想いが、いつも岡林さんの胸でくすぶっていた。

「最初から“パティシエになりたい”というはっきりした志があったわけではないんです。半年で、栄養士の仕事を辞めて、自由が丘の『トップ』という店にアルバイトに入りました。製菓学校を出たわけでもなく、いってみれば素人同然。食材の名前、道具の名前、用語から判らないのでは仕事にならない。はじめの3ヶ月は辞めることしか考えてなかったです。とにかくシェフが厳しくかった。でも、それ以上に自分も負けん気が強かったみたいで『悔しい、このまま辞めてなるものか』『いつか認めさせてやる』という一心で2年半。気付いたらすっかりこの世界に入っていました。今考えると、シェフも教えるのに苦労しただろうなと思います」

自由が丘のレストラン「トップ」が作ったパティスリーで、岡林さんの職人への第一歩が始まった。当時、クレッセントから迎えられたシェフは、目で見て覚えろ、という職人気質。一度聞いたことは2度と忘れない。納得できないことは、判るまで追及する。そんな岡林さんの姿勢に、シェフもとことん付き合ってくれた。その感謝は今も忘れない。


赤を基調とした店内に映える明るいショウケースには、丁寧に仕上げられたケーキ達が並ぶ。売れ筋はモンブランとシュークリーム。ベーシックな商品から、ムース系や数種のショコラを使った本格派まで幅広い。


「とにかく仕事を覚えるのに必死で、認められたと思った瞬間は正直無かった。自分でもまだまだもがいていた時期です。そして、その後もずっとそうでした」

シェフの紹介で、その後は赤坂アークヒルズの「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー」(現在は閉店)へ。
最初はパティスリー部門の工場で働き、その後はレストランに移動。初めてのレストランデセールの仕事だ。

「かなりきつかったです。飛び交う専門用語はさらに意味不明だし、団体のお客さんにアラミニッツで出す時なんて、職場は殺気立っていますから。前もっての準備とか、並行で複数の仕込みをしたり、仕事の段取りをものすごく考える必要がある。私は、毎回怒られていました。勤務時間も、働いている人数も、今までとは全く違うので、それに慣れるのも大変でした。・・・女性?ああ、そういえば私一人でした。でも、そんなことを感じさせないくらい、女も男も全く関係ない。その点ではやりやすかったですね」

場所柄、ギフト需要が多く、マカロンの詰め合わせや焼き菓子のセットが人気


“与えられた仕事を、いかに早く、キレイにこなすか”というのが課題。がむしゃらにひたすらに仕事をする日々、あっという間にボキューズでの1年半が過ぎていった。レストランでの仕事は同じ作業の繰り返しが多い。もっと幅広い仕事を覚えたい。動けるうちに、もっといろいろな店で働いてみたい。・・・ふと立ち止まった時、もう一度パティスリーに戻りたい。街のケーキ屋で普通のケーキを作りたい。そんな気持ちが岡林さんに芽生えていた。

「ボキューズを辞め、葛飾にある『ら・マルキ』という店に入りました。家族経営のアットホームな店です。食材の発注から、ある程度責任のある仕事をさせてもらえて。そこで初めて自分のルセットでケーキを作ったんです。休みにはケーキを食べ歩いて、本を読んで。仕事の後は残って何度も試作しました。私は生意気だったので、シェフには相当怒られましたよ。自分で納得いかないことは、その通りにやるのが嫌なので、そういうのが全部顔にも態度にも出ちゃうんですね。自分で完全に理解した上で仕事をしたい。ひとつひとつ店の仕事を消化していく上で『自分でも、いつかお店をやりたい』という気持ちが生まれました」

心地よい音楽が流れる客席は14席。淹れ立てのコーヒーと共に、出来立てのケーキを愉しめる。入り口から奥まった場所にある喫茶スペースは、外の喧騒を忘れてゆったりとした時間が流れる。


「ら・マルキ」で2年働いた後、ポキューズ時代の先輩の紹介で、「シャトー レストラン ジョエル・ロブション」へ。1997年から2006年まで、正味9年、ロブションで腕を磨くことになる。パティシエだけで、10人強。レストランの調理、サービスを合わせると80人強という大所帯。巨大なレストランのヒエラルキーの中で、岡林さんは徐々に実力を伸ばしていった。

「面白かったですよ。自分の裁量次第で結果が出る。どうやったら一番早く終われるか?とかをフル回転で考えながら仕事をしていました。大所帯だけに、個人差も出やすい。完全に実力主義の社会です。レストラン部門のフランス人シェフに、よく自分で作ったものを味見してもらいました。感覚が全く違うんですよね。味のメリハリがないと、レモンをギュッと入れられて、食べてみると味がバチッと決まっていて、驚いたり」

夏のジュレはパンプルムース、トロピック、オリジナルコーヒーを使ったカフェの3点。デセールで作っていたものを、凝固剤を少し強めてテイクアウト用に。デセールからテイクアウトの変換はロブション時代に学んだもの。


当時のシャトーレストランは、レストラン部門とブティック部門が一体化していた為、デセール用もテイクアウト用も一緒に仕込んでいたという。

「ロブションでの新しい素材、良質な素材との出会い、これが私の中で一番大きかった。レストランで使っていた素材を共有することも多くて、例えばオリーブオイルのアイスクリームを作ったり、フルーツトマトをコンポートにしたり、黒トリュフの濃厚なブリュレを作ったり。ここで、一気に食材の幅が広がりました」

ヴァローナのチョコレートと出会ったのもロブションの頃。岡林さん自身も一番好きというチョコレート系のケーキは、すべてヴァローナを使用。56%、70%、ミルク、ブランをケーキによって使い分ける。


最初はコミ(見習い)からのスタート。完全に実力主義の社会で、パティシエ、シェフドパルティ(3番手)、スーシェフ・・・そして6年目、ついにシェフとなった。

「パルティや、スーシェフの時は、後輩の面倒を見なくちゃいけなかったんですが、私は相当厳ししかったと思います。男の子でも泣かせてしまったり、やることやってなかったりすると『やる気ないんだったら帰ったほうがいい』って、本当に帰らせたり。その時のシェフは本当に大変だったろうな・・・と気が付いたのは、自分がシェフになった時でした(笑)」

自分が一番上に立って、初めてわかったこともたくさんある。アメとムチを使い分け、自分をゼロからパティシエに育ててくれたシェフ達の気持ちがやっと分かった。頼りになるのは自分だけ、それは今までやってきたことの集大成だ。

「ルセットは全て決まったものがありますが、アシェットデセールは料理に似た感じなので、100%のルセットではないんです。“サレ”と書いてあっても、どれだけ入れるか、混ぜるのか、振りかけるのかは一任されているので、自分の感覚だけが頼りです。今でも余ったケーキは、必ず全ての味をチェックし、微妙に焼き時間、配合を調整しています」

店で一番の人気商品「シュー・ア・ラ・クレーム」(\250)。パリッと固めの皮に、パティシエールと生クリームが6:4の配合。

オーブンはフランスのパヴァイエを使用。ジェノワからセック、メレンゲ、プリンまで、細かく温度の上げ下げが可能なため、小回りが効く万能のコンベクションオーブン。

2004年のリニューアル後、レストラン部門とブティック部門は分けられ、レストランには「タテル・ヨシノ」から成田一世シェフが迎えられ、岡林さんはブティック部門のシェフに。さらに忙しくなり、休日無しの日々が続く中、ついに体調を崩してしまった。

「丸9年目を迎えたときでした。シェフも3年務めたし、これを機会に小休止しようかと。ロブションを辞め、2ヶ月間の充電期間は親と国内旅行に行ったり、久々にのんびり過ごしました。その間も就職活動は続けていて、ホテル、レストランなど、色々話は戴いていたんですが、次はパティスリーに、と決めていました。そんな時に出会ったのが、アピシウスのサービスをしていた方。アペックスというコーヒーマシーンの会社が、パティスリーを開くので、シェフで来ないか、と」

“いつか、自分のパティスリーを持ちたい”・・・その夢へ、大きく一歩前進できるチャンスだ。2006年10月にアペックスに入社し、約半年の準備期間を経て2007年春に「エム-ワン カフェ スイーツ」のオープンを果たす。

アペックスオリジナルの、コーヒーマシーン。一杯ごとに自動でペーパードリップを行う。店では、「コーヒーに合うスイーツ」も提案。少し濃厚に仕上げた、発酵バターを使った焼きこみ系のタルトは人気の商品


「赤坂は、通好みの方と、ベーシックなものを好まれる方と両極に分かれるので、それぞれに好まれるような商品構成にしています。自分の好みを貫くのではなく、なるべくニーズを取り入れたいと思っています。和素材のものとか、ロールケーキとか・・・でもただ盲目に作るのではなく、自分なりに消化しながら、徐々にやっていきたいです」

現在、「エム-ワン カフェ スイーツ」のスタッフは3人。女性のみで全てのケーキを作っている。今年中に、同じ赤坂に「エム-ワン カフェ デリ」が2軒オープンする予定。そこに運びこむケーキも賄うことになるので、これからは休む間もなくなりそうだ。


“甘いものが大好き”で“負けず嫌い”の彼女は、いつしかパティシエとして腕一本で店を支える存在になっていった。そこにいたる道は決して平坦ではなかったが、一歩一歩、その足取りは確実に前進してきた。 今後もまた、強くしなやかにその道を進んでいくのだろう。その先には、いつか・・・。 そして、そのショウケースにどんなケーキが並ぶのか。いまから楽しみでならない。(2008.06)



エム‐ワン カフェ スイーツ
住所 東京都港区赤坂5-5-12 ルー・ド赤坂1F
TEL03-3560-3591
FAX03-3560-3592
営業時間平日 11:00〜20:00
土曜 11:00〜18:00
定休日日曜・祝日
アクセス 東京メトロ千代田線「赤坂駅」7番出口より徒歩3分
URL http://www.m-onecafe.jp/sweets/index.html




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