人間の内部を描き出したフランスの文豪、バルザック。
その名前を冠したケーキ“バルザック”は、チョコレートとコーヒーの味わいにキャラメルのほろ苦さ加わる名作。
「リュー・ド・パッシー」長島正樹シェフのスペシャリテだ。

「リュー・ド・パッシー」のケーキは、繊細さと力強さが共存している。決して主張が強い訳ではないのだが、食べ終わった後に深い余韻が残るのだ。
その秘密は、きっと長島さんの人柄にあるのだろう。かねてからそんな風に想像していた。

「これがないと始まらないんですよね」
煎れたてのコーヒーを手に登場した長島さん。たちまち、おいしそうな香りが広がる。
「落ち着きたいときや考え事をするときは、まずコーヒーがないとダメなんです。フランスで修業していた頃も、一人用のコーヒーセットを持ち歩いて、いつでもどこでも飲めるようにしていたんですよ」
コーヒーの香りを効かせた “バルザック”から想像はしていたが、どうやらかなりのコーヒー党のようだ。

ピンクと黒のファサードが目印


長島さんがパティシエになったきっかけは、小学校時代にあった。
「学校の調理実習でカスタードプリンを作ったんです。本当に簡単でシンプルなものでしたが、おいしいかったんですよね。昔から食べることが大好きでしたから、もっとたくさん食べたいなぁと思って家でも作ったんです」
食べたいから作る。今も長島さんの基本はそこにある。そして、食べる喜びは外へと向かっていった。
「漠然とですが、自分で店をやり、お客さんに喜んでもらいたいという夢がありました」
だったら“食”に関する店をと考え、専門学校へ。そして、和洋中製菓をひと通り学んだ長島さんが選んだのは、パティシエの道だった。
「パティシエに絞った理由ですか?形のないものから生まれる想像性、自由さが魅力だったのかもしれません。それから、自分の性格上、やる以上は納得行くところまで突き詰めたかったというのも大きいです」

焼き菓子やコンフィチュールなども充実


そして、学校を卒業。いくつかのパティスリーを紹介されたが、長島さんには心に決めた店があった。成城の老舗パティスリー「マルメゾン」だ。
「一番の理由はケーキがおいしかったことです。フランス的な雰囲気も魅力で、“ここだ!”と思いました。『マルメゾン』に入れたことは、今でも本当に幸運だと思っています」
「マルメゾン」では販売から学び、約3年間、下積み時代を経験。厳しい環境の中、プロとしての基礎を身につけた。
その後、先輩のパティシエの開業を手伝うため大阪へ。「マルメゾン」のあった成城は、東京の中でも、海外暮らしを経験した人が多く暮らす高級住宅地。一方、大阪の店は庶民的な町中にあり、かなり雰囲気は違ったようだ。
「“東京”は特別な場所なんだ、ということをその店で学びました。ケーキに対する感覚が全然違うんですよね。それは、東京とフランスしか知らなかったら、きっと分からなかったこと。本当に良い経験をしたと思います」
職人としての幅を広げた長島さんは、さらなる可能性を求めるようになる。そして出会ったのが、幻の名店と言われる小田原の「ブリアンアブニール」だ。


シックで居心地の良い店内。窓から差し込む光が気持いい




「当時はフランスから帰国したばかりの藤巻さん(現「レジオン」)がシェフを務めていました。こういうものを作りたい!という勢いと情熱が店中に溢れていて、とても活気がありましたね。当時はまだほとんど普及していなかった、ヴィエノワズリーやフランスパン、それからアシェットデセールも手がけていたんですよ。フランスのように、本当のパティスリーの仕事を全部やろう、フランスに近い仕事をしよう!という意欲がみなぎっていたんです」
パリのエスプリに満ちた「ブリアンアブニール」には、今まで知らなかった世界が広がっていた。
“本当のフランスに行ってみたい!”
長島さんの中で、フランスへのボルテージが一気に上がった。


パリへの想いはこんなところにも


念願のフランスに渡ったのは、長島さんが25歳の頃。遠くても良い店を回りたいとの思いから、ロワール、ノルマンディ、南仏、そしてパリ・・・とフランスの地方をぐるりと周り、約2年間を過ごした。傍目には繊細そうに見える長島さんだが、恐らく順応性が相当高いのだろう。仕事の進め方の違いや考え方の違いは、慣れるとむしろ楽だったそうだ。

「イチゴの味が濃いんですよね。それから、色々なものを手作りするのも新鮮でした。ノルマンディの『レイナルド』は、スタッフ4,5人でしたが、アーモンドプードルからプラリネ、コーヒーエッセンスまでと、とにかく何でも店で作ってしまうんです」
実感したのは素材の力。そして、人間性だ。
「フランス人って、その人その人に哲学があるんですよね。それから、日本人と違って、きつい事でも思っていることは何でも口にする。でも、常にたくさんの言葉でコミュニケーションを取っているからか、気まずくなったりしないんです。すごいなぁ、と思いました」
様々な意味で、フランスは長島さんを大いに刺激した。そして、何かが変わる。
「自由で良いんだな、って思うようになりました。こうじゃなきゃいけない、という“あるべき姿”を目指さなくていいと感じたんです」
自由闊達な気風の中、長島さんの心は解き放たれていった。


ツール・ド・フランス2008のTシャツ


そんな充実したフランス修業の中でも、長島さんの心の奥に今も強く残る店がある。ミディ・ピレネーの小さな町ジモンにあるパティスリー「フィリップ・ウラッカ」だ。
「本当に小さな町の小さなパティスリーなんです。日本人なんてもちろん住んでないし、フランス人でも村の場所を知っている人は少ないんじゃないかな。とにかく、ものすごく田舎!そんな、ほとんど知られていない場所に、素晴らしい店があるところに、フランスの底力を感じました」
シェフのウラッカさんは93年にM.O.Fを取ったばかりのパティシエ。スタッフ3人ほどの小さな店ながら、週末にはたくさんの地元客で溢れる。M.O.Fでありながら、何よりも地元を愛し、周囲との調和を大切にしてきた人物だという。
「ケーキに愛情があるんですよね。そして、人間的に本当に深みのある人でした。私のことも家族のように温かく迎え入れてくれ、信頼して何でも任せてくれたんです」
高い技術を持ちながら、あくまでも地元に根ざしたパティスリー。その影響は、現在の長島さんにもしっかりと息づいている。

地元ファンのために行なっている試食会でも好評だった“さつまいもとアナナスのタルト”


その後は、見聞を広めるため、パリを基盤に、スイス、スペイン、アルザスなどへ旅行。さらに、ウラッカさんの知人でMOFのパトリック・シュバロさんに誘われて、サヴォワ地方にある若きMOFの店「パトリック・シュバロ」でも働いた。
約半年のスパンで2年間。フランス各地のパティスリーを経験した長島さんだが、よほどフランスが肌に合っていたのだろう。この時点でもまだまだ、日本に戻る気はなかったようだ。

フランス滞在中にはアルザスへも訪れた


ところがそんな時、「マルメゾン」時代の先輩である高木康政氏から声がかかった。新しくパティスリーを立ち上げることになったから、戻ってこないかという誘い・・・。そこで、長島さんは日本へ戻ることになった。
「『レ・サブール』は、フランスから帰国したばかりの高木さんが、想いのすべてをぶつけた店だと思います。かつて、自分の師匠たちが、フランスで修業するレールを開拓してくれました。それと同じように、高木さんはパティスリーの新しい時代を全力で切り開いていった。当時は、大変だったと思いますよ」
パティスリー新時代への可能性を全身で感じながら、「レ・サブール」でスーシェフとして3年半。いよいよ、自身の店をオープン・・・と思いきや、長島さんは再び「マルメゾン」へと戻る。勝手知ったる古巣へと戻った訳だが、様々な経験を経て成長したことで見方が変わり、新たな発見も多かったようだ。
「かつての自分が見えていなかったことを発見すると同時に、ずっと変わらない部分について考えることができました」
新しい風と、ずっと変わらない流れ・・・。長島さんは、その両方の意味を感じ、自分の方向性を模索していたのかもしれない。


その後、さらに「ラ・ターブル」に1年。自分が納得するまでは、とことん突き詰める、そんな性格がうかがえる。
そして、2001年。ついに自身の店「リュー・ド・パッシー」をオープンした。これまでの経験は、どんなふうに影響しているのだろうか。
「基本的には自分が食べておいしいもの。といっても、自分だけではだめなので、その中でも、ほとんどの人が食べておいしいと感じてくれるものを作るようにしています。食べやすい味というのではありません。何を食べているかわからないものは好きじゃないんです」
味作りのポイントは、素材を組み合わせすぎないこと。基本的には二つの素材を核とし、どこを食べさせたいかを明確にさせることだという。



そして、追求派の長島さんらしいのがケーキを“熟成”させるという感覚だ。と言っても、チーズのように寝かせるわけではない。
「一度ケーキが完成しても、微調整を続けているんです」
実は、あの“バルザック”も進化を続けている。クーベルチュールの種類やパータボンブの配合はもちろん、軽さやコーヒーの効かせ方、シロップの割合、そしてデザインまでと、微妙な変化を加えているのだという。
定番ものやスペシャリテの味は、ずっと変わらないイメージがあるのだが・・・。
「最初に口にした時の新鮮な驚きを大切にしたいんです。衝撃を受けた味でも、2回、3回と口にすると慣れてしまいます。もう一度、その衝撃を感じてほしいという気持もあって、あえて変えるようにしているんですよ」
タルトタタンのようなシンプルなお菓子もマイナーチェンジを加えていると言うから驚きだ。日々、自分のケーキに向き合っていなければ出来ないことだろう。

よーく見るとデザインにも変化が・・・。何度訪れても飽きさせない魅力に溢れたショーケース




長島さんのケーキには哲学がある。だが、考えてケーキを食べるのは長島さんの意図するところではない。
愛情を込め、親しみやすく・・・。そんな「フィリップ・ウラッカ」の精神がここにある。
実は、以前、長島さんに勧めていただいたケーキがあった。アラビカ豆のコーヒーを低温で丁寧に抽出し、ガナッシュ仕立てにしたタルトで、力強くキレのある味が心に残る一品だった。だが、久しぶりに訪れるとショーケースから姿を消していた。
そこで、理由を聞いてみると・・・、
「完成度が高すぎると良くないんですよね」
と、予想外の答えが返ってきた。
「完成度が高いとスキがなくなり、どうしても親しみやすさに欠けてしまうんです。余裕の幅のようなものがあった方が、食べやすいし、また食べたくなると思うんです」
能ある鷹は、何が大切かを知っているのだ。

ほのかな甘酸っぱさが楽しめる“いちごのシュケット”




学芸大学の地にすっかり馴染み、愛される存在となった「リュー・ド・パッシー」。これからはどうなっていくのだろう。
長島さんは、しばらく考えてからこう話してくれた。
「そうですね、大きな方針はありません。私の夢は幸せを与えること。これからも日々お菓子をおいしく作って行きたいということでしょうか。だから、もっと地味にやって行きたいですね(笑)。まず目標ありきではなく、日々の仕事の延長として考えたいと思っています」
ただ、もう少し広い場所がほしいですけどね、と笑顔で付け加えた。といっても、通ってくれるお客様のことを考えると、離れた場所への移動もできず、なかなか難しい問題のようだ。




今日も、そして明日も、「リュー・ド・パッシー」には、小さな幸せが溢れている。
“お客さんに喜んでもらいたい“
長島さんが抱き続けたその夢は、これからもずっと変わらない。
(2008.12)






リュー・ド・パッシー
住所 東京都目黒区中央町2-40-8
Tel&Fax03-5723-6307
営業時間9:30〜19:30
定休日水曜
アクセス 東急東横線 学芸大学駅 西口より徒歩5分






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