フランスのイメージそのままのブーランジェリーだ。小さな店内にはハード系のパンからヴィエノワズリ、惣菜系のパンまで幅広く並んでいる。個性的な顔ぶれと独自の味わいに根強いファンも多い。さらにスープやオムレツなどのちょっとしたお惣菜に、ケーキや焼き菓子まで揃うという充実ぶり。そんなお店を切り盛りしているのは隅章シェフ。1995年に『アンジェリーナ』を、1999年には2号店『ラ・メゾン・ド・アンジェリーナ』をオープンした。順調に規模を拡大していったかのように思われたが、2003年、ファンに惜しまれつつも両店舗とも閉店してしまう。いったい隅さんの中でどんな心境の変化がおきていたのだろう。





元々料理することも食べることも大好きだったという隅さんは16歳から3年間レストランでアルバイトの後、調理師学校に進んだ。更にレストラン、ケーキ屋、喫茶店などで経験を積む。ジャンルを問わず仕事をこなしていたのには訳がある。

「その頃は、将来レストランをやりたいと思っていたんだ。レストランにはパンもケーキも必要になってくるでしょう?店に出すもの全部を自家製にしたかった。外注に頼むのだけは嫌だったんだよね」

そしてプリンスホテルに入社し、主にベーカリーの仕事を担当することに。中でも、ホテル立ち上げから参加していたこともあって、横浜プリンスホテル時代が最も充実していたそうだ。

「あそこは世界各国のお客さんが集まる場所。宴会のたびにお客さんのニーズに合わせた企画を立てて。宴会用の飾りパンも良く作ったよ。もちろん、自分で一から練習して。あの頃が一番勉強になったなあ」



その後ホテル西洋銀座を経て1995年にブーランジェリーを独立開業。氷川台の自宅を改装して店舗にしたのが始まりだ。当初は製造から接客に至るまで、全て一人でこなしたそう。店を開いてからは、職人としてだけでなく経営者としての手腕が問われるようになる。そのノウハウは経験をつみながら学んでいった。1999年には江古田に2店舗目をオープン。45坪の広々とした店内に、焼きたてパンとそれに合う料理、またデザートも楽しめるカフェスペースを用意した。都心ではなく住宅街にカフェを併設したブーランジュリーとして注目を集め、店は大盛況。隅さんが陣頭指揮をとり、多くのスタッフがテキパキと作業をこなす、そんな姿が印象的だった。





ところが・・・。4年後の2003年には2店舗を閉店。そして氷川台の別の場所に現店舗を開いた。こじんまりとした店内は売り場と厨房を合わせても17坪ほど。製造を担当するのは隅さんと女性スタッフ、たった2人しかいない。


「1店舗と2店舗では全然違ったんだ。店を掛け持ちすると、スタッフを大勢抱え、自分は管理する立場になるでしょう。すると商品の品質を維持することが難しくなってしまって。お客さんにもいろいろ言われて、気づいたんだ。やっぱり自分でやんなきゃ駄目だなって」

実は掛け持ちしていた当時、悲惨な状況だったと振り返る。睡眠を削って激務をこなしていたせいで体重が13キロも落ち、体はボロボロに。疲れていても毎日興奮してしまってなかなか寝付けなかったとか。余裕の趣で、冗談を交えながら軽快に会話を進めていく今の隅さんからは想像もつかない姿だ。今はいい意味で肩の力が抜け、のびのびと個性的なパンを作っているように見える。



個性的と書いたが、隅さんの作品をひとことで表現するなら、吸引力のあるパン(パンだけでなく、全ての商品にいえることだが)といえるだろう。お客様の嗜好に合わせるのではなく、あくまでも自分が作りたいパンを並べる。お客様はその魅力にはまり、隅ワールドに引き寄せられてしまうようだ。

「うちのパンが個性的?何でだと思う?それは、惣菜もお菓子もやっているからなんだよね。普通のパン屋さんと違って、材料は何でも揃っているでしょう。惣菜やお菓子の材料と組み合わせればパンは無限に作れちゃう」




例えば、クロワッサン。クロワッサンにアーモンドクリームをのせればクロワッサン・ダマンドができる。ここまでは普通のパン屋でもやっていること。でも隅さんはこれだけでは満足できない。

「上にのせるのは何だってOK。アーモンドクリームの代わりにマカロン生地だっていいんだ。他にもパン・オ・ショコラのセンターにフランボワーズペパン(種入りラズベリージャム)を忍ばせて上にアーモンドクリームとラズベリーピューレを塗って焼いてもおいしい。それからパン・オ・レザンの上にピスタチオクリームとビターアマンド(洋酒)、これも最高だよ」

パンだけではない。お店に並んでいる惣菜についても同じことが言える。余ったブリオッシュやフランスパンはコロッケのパン粉に、サンドイッチに使用するスモークサーモンの切れ端はコロッケの具に変身してしまう。どうやら隅さんの頭の中には引き出しが無限にあるらしい。


料理人にも通じる柔軟な発想に感心していた矢先、ある疑問が浮かび上がった。これだけ多くの種類のパンや惣菜、さらにはお菓子をいったいどうやって2人で作っているのか。すると、待ってましたとばかりに隅さんは立ち上がり、スタッフの女性に声をかけた。

「店頭にナスのサンドイッチある?え、売り切れちゃったの?しょうがないなあ」といいながら、パン・オ・ロニョン(タマネギのパン)を温め、半分にカットした断面にタプナードをひと振り、そしてナスのマリネを挟んで、「はい、食べてみて」
その間たったの30秒。

「たとえばこのサンドイッチ。ナスを塩コショウしてオーブンで焼いたら、オリーブオイルとワインビネガーにつけて冷蔵しておくの。オリーブオイルはサラダ油と違って、冷やすと固まるから保存が効くでしょう。だから事前に仕込んでおけるわけ。こんな風に、全ての商品に関して効率よく作業できるように考えているんだ」

話を聞きながら作ってもらったサンドイッチをいただく。ほんのり甘みのあるパンに、タプナードの塩気とオリーブオイルの香りがよく似合う。そしてサンドされたナスのジューシーなこと。隅ワールドにはまった瞬間だった。





『アンジェリーナ』に並ぶ個性的なパンたち。料理やお菓子のエッセンスをプラスして作り上げていく時間が一番楽しいという。アイデアは無数に湧いてくる。それを形にできるのは卓越した技とセンスがあってのこと。そのためには隅さん自らが腕をふるう今の『アンジェリーナ』が理想的だ。隅ワールドに魅せられたお客様がそのことを一番強く感じているに違いない。(2004.12)



アンジェリーナ
住所東京都練馬区桜台3-42-24
TEL&FAX03−3557−1577
営業時間平日8:00〜19:00 休日8:00〜18:00
定休日
アクセス地下鉄有楽町線氷川台駅より徒歩4分