西武池袋線保谷駅からほど近くの商店街。そこにフランスのイメージそのままのパティスリー「アルカション」がオープンしたのは2005年3月のこと。小さな薬屋や花屋などが建ち並んでいる静かな街並みに、真っ赤なファサードと「ARCACHON」の文字が鮮やかに浮かび上がる。 

「ここだけ保谷じゃないみたいだって言われています(笑)」

オーナーシェフの森本さんは、そう言って優しく笑う。



いつしか製菓の世界に憧れを抱くようになった森本さん。高校卒業後、辻製菓専門学校を経て吉祥寺の人気店『レピキュリアン』に就職した。レピキュリアンといえば業界ではスパルタ教育でも名が通っている店。覚悟していたとはいえ、実際の現場は想像以上にすごかった。厨房内は当然のように私語厳禁。そこにはピリピリと張り詰めた空気の中で黙々と働くスタッフたちの姿があった。

「金子シェフに怒られたことですか?たくさんありすぎて覚えてないなあ。だって毎日のようにどなられていましたから(笑)。でもね、怒られても仕方ないなと思うくらいにシェフの仕事は完璧なんですよ。そしてどのお菓子も文句なしにおいしい。絶対に妥協を許さず100%のものを作り上げる、そんな姿がとても勉強になりました」

レピキュリアンでしっかり鍛えられたことで、森本さんの基礎が作られた。金子シェフという存在は、森本さんのパティシエ人生に最も大きな影響を与えた人物だったようだ。

2年程が経過し、森本さんは小田原の「ブリアン・アブニール」へ。ここでは生菓子や焼き菓子などひと通りの作業を経験した。またここで働いていた3年半の間にスーシェフに就任、効率よく仕事を進めていく方法やスタッフとのやりとりなど、製菓のテクニックだけにとどまらない知識を習得した。




そして27歳の時に渡仏。約3年間フランスに滞在している間に、ローヌ・アルプ地方ヴァランス市のパティスリー「ギエ」と、ボルドー地方のパティスリー「マルケ」で修業を積んだ。製菓を学ぶための渡仏と聞くと、まずはパリへというイメージを抱いてしまうが、森本さんには初めからパリという選択肢はなかったそうだ。

「都会的なお菓子や生活というものにはあまり興味がわかなかったんです。それにパリには日本人もたくさんいるし。せっかくフランスに行くなら、地方でのんびりやってみたいなと思っていました」

そしてもうひとつ、森本さんにとって地方が魅力的だったわけがある。

「僕が好きなのは、古くから伝わる伝統菓子や地方菓子。最近は日本のパティスリーでもたくさん見かけますが、それでもまだまだ僕達が知らないお菓子はたくさんある。新しい発見もいろいろあって楽しかったですね」

その中のひとつが、アルカションにも並べている「デュネット」だ。

「これはボルドーの修業先、マルケのスペシャリテ。円錐形に仕上げているのは、この辺りにある砂丘の砂山をイメージしているからなんです。地元で採れる松の実を使っているのも特徴ですね。良かったら食べてみてください」



手のひらにちょこんと収まるサイズの可愛らしい焼菓子、デュネット。口にぽんと放り込むと、シガレットのようなクッキー生地とコーティングのチョコレート、そしてしっとり柔らかなマジパンベースの生地が口中で広がる。アーモンドや松の実といったコクのあるナッツの風味と香り高いコニャックの香りが印象的。いつまでも余韻に浸りたくなるような大人のテイストだ。見た目も味わいも素朴だけれどしっかりと存在感のある味わい、伝統菓子や地方菓子のそんなところに森本さんは惹かれているのだろう。

「デュネットもそうですが、フランス人はこうしたお菓子を普段からひとつ、ふたつととても気軽に買っていくんです。そして週末になるとアントルメ(ホールケーキ)が飛ぶように売れていく。フランスではお菓子も食事の一部と考えられているから、食後に甘いものというのはごく自然のことなんですね。ケーキや焼菓子以外にも、ヴィエノワズリやコンフィズリ、グラス(アイス)にショコラ、それから惣菜なども充実していて、とにかく何でもあるのが楽しかった」




パティスリーがとても身近で気軽な存在である、そのことに気付いた時、森本さんは自身の目指すものが見えたに違いない。“日本に帰ったら、フランスにあるようなパティスリーでシェフとして働きたい”そんな夢を抱いて帰国。しかし、それ程甘くはない現実に直面する。

「僕が作りたかったのは、ケーキばかりではなく珍しい焼き菓子やヴィエノワズリなどが何でも豊富に揃っているような店。30歳を迎えたばかりで年齢的にも独立は厳しいと思っていたので、初めはシェフとして雇ってくれるオーナーの方を探してみようと思いました。でも、僕の理想どおりの返事はいただけなくて。売れるかどうかわからないお菓子を置くことには抵抗があったんですね」

売れるものだけを作ってほしいという考えは、オーナー側からすれば仕方のないこと。それでも、森本さんの意思は固かった。フランスそのままのパティスリーという確固たる理想が出来上がっていて、妥協は許されなかったのだろう。

「どうしようか悩んでいた矢先、資金を提供してくれるという方が見つかったんです。その資金を元手にいっそのこと自分でやってしまおうと決意しました。そして出来上がったのがこの店。古くから受け継がれてきた伝統菓子や地方菓子を中心に、できる限り多くのジャンルを用意しました。目指す味わいはシンプルでもしっかりと味わいのあるもの。複雑な組み合わせで手の込んだお菓子よりも、ストレートに素材の味が伝わるようなものが好きだから」



店内に目を向けるとフランスのポスターや可愛らしい小物などと一緒に、お菓子がディスプレイされていてまるで雑貨屋さんのよう。手前の棚にはヴィエノワズリが、その隣には焼き菓子が、後ろにはショコラがというようにたくさんのお菓子に囲まれていてついつい目移りしてしまう。

「Pour le plaisir du gout et des yeux(味わう喜び、そして目の喜びのために)」

店名の下にはこんなメッセージが添えられている。ここにくれば、味わう喜びだけではなく、“選ぶ楽しみ”も教えてくれるように思う。



森本さんに、アルカションのスペシャリテについて尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。

「ボルドー地方の「マルケ」で教えてもらった「カヌレ」がお薦めです。マルケのシェフはカヌレ協会の会長を務めている方。彼から伝授された配合と製法で忠実に再現しました。外側が驚くほどカリカリと香ばしいでしょう?これはカラメル状になるまで1時間もの間焼きこんでいるからなんです。誰にも負けない、日本一おいしいカヌレだと自負しています」

そして最後に付け加えた。

「いつか僕もデュネットやカヌレのようなお菓子が作れたらいいですね」

そう語る森本さんに気負いのようなものは感じられない。あるのは着実に仕事を進めていこうとする誠実な姿と穏やかな笑顔だけだ。



変化の激しいこの時代に、パティスリー本来の姿を貫き、長年培われた配合や製法を大切にする職人がいる。決して派手さはないけれど、語り継がれてきた菓子にはそれだけの意味がある。そのことに若手のパティシエが気づいたことが興味深い。フランスの師匠から日本の弟子へ。ここに歴史ある伝統が守られている。(2006.1)



アルカション
住所 東京都西東京市東町4-15-14
TEL&FAX0424-23-3867
営業時間10:30〜20:00
定休日月曜日・不定休 但し月曜日祝日の場合は営業しております
アクセス西武池袋線保谷駅より徒歩3分