スペイン語で「青」を表す「AZUL」。気分まで晴れ晴れしくなるような地中海のクリアなブルーが、まだ真新しい外観のブルーと重なる。「スペインを訪れた時に、その風土や人柄にすごく惹かれたんです」と語るのはシェフの青山浩士(こうじ)さん。スペインといえば、情熱の赤をイメージする人も多いかもしれない。赤と青、それぞれのカラーが象徴する情熱と冷静。しかし、「AZUL」は青山さんの「青」でもある。そんな青山さんの情熱と冷静さがこのお店にはきっといっぱい詰まっているはず。




 育ったのは池袋、高校は駒込高校という青山さんにとって、「AZUL」を構えるここ駒込はいわば地元のようなもの。大学は経済学部経営学科を卒業し、特にお菓子作りに触れたことはなかった。

「兄も普通のサラリーマンですし、自分もそういう道に進むのかな、くらいに思っていました。でも、大学4年生になって就職課の人に『何かやりたい事をやりなさい』と言われ、すごく真剣に考え始めたんです『自分は何がやりたいのか…』って」

これは就職を控えた人なら誰しもぶつかる壁かもしれない。でもそういう時、会社の知名度、待遇…いろんな要素が思考の障害となりがちだ。しかし、青山さんのそれは非常に単純なものだった。

「料理が作ってみたい!」

そして専門学校に通う資金を貯めることから始まった。

「何とかお金が貯まって、どの学校に行こうかといろいろパンフレットを取り寄せた中にあったのが『ル・コルドン・ブルー』でした。当時はまだフランス菓子なんていう言葉は浸透していなくて、この言葉にすごく興味を持ったんです。とりあえず3ヵ月やってみて面白くなかったら辞めればいいや、と始めは軽い気持ちでした」

ちょうどその頃、講師を務めていたのは「エーグル・ドゥース」の寺井シェフだった。やってみたら意外に面白いフランス菓子の世界。このまま続けてみようと考えていた青山さんに、寺井シェフが投げかけたアドバイスはこうだった。「学校で習っているだけじゃ駄目だ。現場に出てやってみないでどうする」と。






「そうは言われたものの周りの生徒たちはもう就職先が決まっていて、自分は出遅れてしまっていました。しかも、大卒だから皆よりも少し年上で不利な状況だったんですよ」

そんな中たまたま募集をしていたのが日本にオープンして3年目の「ダロワイヨ」だった。フランスではブルボン王朝ルイ14世の時代まで遡り、創設200年以上もの歴史を持つ老舗店とあっては、当時フランス菓子を追い続けていた青山さんにとって、眩しい存在だったに違いない。そしてその後移った店では、入社してすぐにシェフが退職することになり、後任を任された青山さんは3ヶ月で全てを叩き込まれたという。

「それまでアイスクリームも作ったことが無かったのに、デセールもやらせてもらえました」

この時も相談に乗り、バックアップしてくれたのは寺井シェフだった。

「今の自分があるのは、やはり『ル・コルドン・ブルー』で寺井さんに会ったことが大きいですね」

と青山さんは何度も繰り返す。そしてこの時の経験がその後の経歴に繋がっていく。自由が丘のフレンチレストラン「ラ・ビュット・ボワゼ」では、個性的な料理にも引けをとらないデセールを要求され、その次に入社したホテルではフレンチ以外にも和食、中華のデザートも経験することができた。週末には結婚式が1日に10件も入るような職場ではあったが、コストをそれほど気にせずに作りたいものが作れる上、待遇面でも恵まれていた。これ以上ないような環境であったにも関わらず、自分のやりたい事が他にあるとの理由で、青山さんはこのホテルを去ることにした。
しかし、これらのレストランで得たものは大きい。それはお菓子を作るうえでの料理人としての発想である。

「デセールの味作りにつまずいた時にはよくシェフからアドバイスをもらいました。グレープフルーツにしょうがを加えたりメロンにブランボワーズのビネガーを使用したり、始めは『エッ!』と驚くんですけど、決して奇をてらっているわけではなくちゃんと私が求めていた味になるんです」




小物やアンティークの家具も
お店の温かい雰囲気を作っています


 そして、今や日本を代表する人気のフレンチレストラン「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ」が東京は南青山に出店するにあたり、そのオープニングスタッフとしてデセールを任されたのが青山さんである。

「まず最初に、『パティシエの感覚を捨てろ』と言われたんです(笑)確かにそれまでのようなやり方では対応することができませんでした。まさに時間との戦い。無理な要望でもなんとか工夫して短時間で仕上げなければならない。コンポートも注文が入ってからオーブンに入れてお酒をかけながら作り始めます。そうすることで外側はトロ〜として中はフレッシュな味わいになるんですよ」

そして全国各地から送られてくる選りすぐりの素材たち。一流の食材を存分に使えるというのは、シェフにとっては贅沢なことだろう。しかし、オープンしたばかりで人手も足りなかったため、1日20〜22時間労働の日々が続いた結果ついに体調を崩してしまったのだ。
それも、ドクターストップがかかってしまうほどに。半年の休養の末、「ナリサワ」を辞めることを決意、そして2006年5月の「AZUL」開店へと繋がった。



「チョコレートケーキは秋に期待してください」という青山さん。
モンブランも旬の時期にこだわるため秋に登場。


「AZUL」のショーケースに並ぶケーキの姿を見ると、あまりにもシンプルな姿に驚くかもしれない。露骨にそれを指摘する声もあるという。しかしそれは決して手を抜いているわけではなく、青山さんによって意図されたものなのだ。

「ホテル時代にもフレンチ以外のデザートを作っていましたし、自分自身あまりフランス菓子にこだわらなくなっていた頃、「ナリサワ」のオープンを目の前にして、成澤さんにスペインのバスク地方に行くように勧められたんです。日本人が働いているレストランを2軒訪ねたのですが、そのうちの1軒は店のすぐ裏に畑があって、そこで採れたものを料理に使っていました。そこのシェフの『出来るだけ素材にダメージを与えないように料理を作っている』との言葉にひどく感銘したのを覚えています」

この言葉が、この先青山さんが目指すべき方向性を示してくれる指針となった。

「この先もずっとこのスタイルでやるつもりではないんですが、今は敢えて変に手をかけずシンプルにおいしいものを作りたい。これは成澤さんにもよく言われたんですよ。『味に関係のない飾りに手をかけないで、ちゃんと食べる部分にこだわれ』って」

だから形はシンプルな分、味や食感に対するこだわりは強い。レストランにいた頃はデザートを残す男性客が多かったため、口当たりの良さには特に気を使っている。例えばレアチーズケーキの「ベル」。
(http://www.panaderia.co.jp/members2/cakeshop/azul/index.html)

「レアチーズケーキって誰が作っても配合は大体同じなんですよね。だったら滑らかで食べやすいものを作ろうと思って。ムースショコラを作る時と同じような手法で、チーズが分離するぎりぎりのところまでもっていくんです」

そして、素材選び。

「実は生クリームが苦手なんです。そんな自分でも食べられるミルキーであっさりしたものを探した結果、オーム乳業のものがよかったんですよ。そうやって自分が納得のいくものにすると牛乳も生クリームもけっこう高価なものになってしまったんです。でも、味がストレートに分かるプリンやシュークリーム以外にも全てのケーキに使っています」

一見クールな印象を与えるシンプルなケーキには、青山さんの熱いこだわりがぎゅっと詰まっている。




「ここは日本。フランス菓子にこだわらず、日本のものを使って日本人の感覚で日本人の食べたいものを作ればいい。日本人が作ったからこうなった、というものを作ればいいんだと思っています」
デセールもやりたいし焼き菓子の種類も増やしたい…青山さんにはやりたいことがたくさんある。しかし
「現在店頭には生ケーキ12種類、焼き菓子8種類が並んでいます。お菓子は自分一人で作ると決めた時に、そんなに多くはできないと覚悟はしていたんです。あれもこれもと手をつけて中途半端になるのが嫌なので、無理せずできる範囲でやろうと思っています」

とは言え、青山さんには何よりも心強いパートナーがいる。それは奥様の由香さんだ。お店には、もともとパティシエールだった由香さんが前からずっとやりたかったという天然酵母パンも置かれている。友人のパン職人の方に教えてもらいはしたが、ほぼ独学で学んだという。有機栽培の人参やレーズンから起こした酵母を使って作られたパンは、ふっくらとして優しい表情をしている。パティスリーのパンというよりもブーランジェリーの本格的なパンでありながら「AZUL」の雰囲気ともよく合っている。それは、そのおいしさを知ってもらいたいと国産小麦を使用しているところからも青山さんのケーキ作りと通じているからだろうか。


自家製天然酵母もパンを見守るように置かれている



常連さんには若いお母さんたちが多いそう


そう、このお店は青山さんのお菓子と由香さんのパンがあって「AZUL」なのだ。しかしこれは二人にとってまだ最初のステップに過ぎない。数年後、「AZUL」のカラーがどう変わっているのか気になるところだ。




AZUL(アスール)
住所東京都豊島区駒込1-23-10
TEL&FAX03-5319-0799
営業時間11:00〜19:00
定休日火曜&第2水曜
アクセスJR山手線駒込駅より徒歩3分