パリの街角にありそうな洒落た外観に、ウィンドウを飾るマカロンやショコラのオブジェ。そして、愛らしいリスのマークと「Cacahouète Paris」の文字。Cacahouète(カカオエット)はフランス語でピーナッツを意味する。

山手通りから一本入った場所にひっそりと佇む。ショーウインドウは夜もまた美しい



モスグリーンにペイントされた厚い木の扉を開けると、目に入るのは、赤、黄に白、ブラウンと、まるで宝石のように華やかなケーキたち。黒を基調にしたシックな店内で、それらはいっそう輝きを増し、訪れるものを魅了する。そして、ふと目を上げると、奥の厨房では澄んだブルーの瞳を持つシェフがスマートにケーキを作る姿が見える。

2006年末、中目黒に「パティスリー カカオエット パリ」がオープンした。 シェフはフランス人ジェローム・ケネル氏。パリの高級ホテル「プラザアテネ」を始め、「ピエール・エルメ」、「ラデュレ」、「ルカ・カルトン」など名だたる店で腕を振るってきたという経歴の持ち主と聞けば、スイーツ好きは黙っていられない。しかも、弱冠27歳というから驚きだ。

スラリとしてハンサムなジェロームさん。厨房内はフランス語が標準語になっている

「2人で協力して、こうやってお店を開くことができました。私と貴子、2人の店というのが基本です」

インタビューに際し、ジェロームさんはそう念を押した。店の物件探しから、全てのケーキ作り…。とにかく店に関する全てをフィアンセの椛澤貴子さんと2人で考えてきた。彼女は、ケーキ作りはもちろん、販売やお店全体の運営を担当する。ちなみに、店名のカカオエットも貴子さんに由来するのだそうだ。

「ええ、そうなんです(笑)。ピーナッツは貴子の出身地、千葉県の特産でもあるし、ピーナッツの中の2粒という意味で店名にしたんですよ。それに、言葉の響きもかわいらしいでしょう?」

ジェロームさんの隣でフランス語と日本語を巧みに操る貴子さん。まるで2粒のピーナッツのように、息が合っている。

コロンとした姿がキュートなリスは友人によるデザイン

「小さい頃、学校のない水曜日や週末になると、お母さんがチョコレートやヨーグルトのケーキを作ってくれました。甘いものが大好きで、食いしん坊だったんですよ。それがパティシエになったきっかけです」

ジェロームさんは3人兄弟でパリ近郊の出身。ちなみに、パリ生まれのパリジャンに対して、近郊生まれをボンルーザーと呼ぶのだそうだ。

「最初は料理人になろうと思っていました。とにかく、何かを作り出すという仕事に興味があったんです」

そして、ジェロームさんは学校へ通いながら、かの有名な「トゥール・ダルジャン」へ。この間に、アシェット・デセール(皿盛りのデセール)のディプロムを取得した。このとき、すでに心はパティスリーへと向かっていたという。

「料理よりも、アーティスティックな可能性を感じたんですよ」

その言葉は、ジェロームさんのケーキを見れば納得がいくだろう。

小ぶりで美しいケーキたち。ドット模様のグラス入りデセールが目を引く

そして、学校へ行きながら、パリの老舗パティスリー「ラデュレ」で修業を積んだ。名実共に人気のある「ラデュレ」は24時間体制で製造が続けられており、ジェロームさんは学校を終えたあとに、夜のシフトで働いたそうだ。ちなみに、ちょうどこの時期に、貴子さんも研修生として「ラデュレ」で働いていた。シフトが違ったので会う機会はなかったそうだが、このときすでに、運命の歯車が動き始めていたのかもしれない。

レストランのデセールからパティスリーへ。そこには大きな違いがあった。

「デセールはレストランに来る、限られたお客様のためのもの。パティスリーとは働く時間帯も違えば、仕事内容、要求されるもの、とにかく全てが違います。そして、2つの違いを知るのは、私にとって非常に大切なことでした」

タイミングを見計らって秒単位で仕事を進めるレストランのデセール。そして、ショーケースに並べるケーキを24時間体制で作り続けるパティスリー。その違いを習得したジェローム氏が次に選んだのは、3星レストランとして名高い「ルカ・カルトン」だった。しかも、21歳の若さでシェフ・パティシエになるという偉業を果たしたというから只者ではない。

「シェフになれたことは、当時の自分にとって素晴らしいチャンスでした。今までのように作るだけでなく、スタッフをまとめたり、厨房内を切り盛りするのは、本当に貴重な経験になりました。確かに大変な仕事でしたが、しっかりやりきったと自負しています」

と、クールな表情で話してくれた。 異例の若さで栄光を手にしたジェローム氏。ところが、そこで甘んじることはなかった。就任して間もない22歳で、「ピエール・エルメ」へと移ったのだ。

これだけの評価を受けながら、次々に店を移るその理由とは?

「とにかく、若いうちにたくさんの経験を積みたかったんです。シェフになってしまうと、吸収するものが少ないでしょう。自分のモチベーションを上げるためにも、何か別のものを学びたかったんです。それに、『ラデュレ』時代にシェフをしていたピエール・エルメ氏のことはよく知っていて、その感性を吸収したいと思っていたんです」

壁面の焼き菓子の棚には、ヴァローナのショコラも並ぶ

そして、2粒のピーナッツは運命の出会いを果たす。なんと、貴子さんもスタージュ(研修)で「ピエール・エルメ」で働いていたのだ。

「『ピエール・エルメ』では、ジェロームと一緒にマカロンを焼いていたんです」

と2人は顔を見合わせる。

貴子さんの経歴も多岐に渡る。日本で菓子・料理研究家として活躍後、渡米しCCA(The California Culinary Academy)で製菓を学び渡仏。ル・コルドン・ブルーで製菓・料理を専攻したのち、「ラデュレ」を始め数々のパティスリーで修業を積み、その傍ら通訳まで務めた。在仏は7年に及ぶと言う。

多才でぴったりと息の合った二人。可能性は無限大に広がっている

エルメで部門責任者を務めたジェローム氏は、さらなる飛躍を求め名門ホテル「プラザアテネ」へ。2005年クープ・デュ・モンドで、フランスチームを優勝へ導いたクリストフ・ミシャラク氏の右腕として活躍した。

「ホテルではそれこそ全てをやりました。プティガトー、デセール、パーティやルームサービスもありましたからね。私は常にミシャラク氏の隣で作業をしていたのですが、彼は技術やレシピなど、全てを惜しみなく教えてくれ、本当に学ぶことが多かったです。それに、彼は、何かを作る際に、誰か優れた人ではなく、みんなで協力し、チーム一丸となって素晴らしいパティスリーを作ろうというスタイルで進めていきました。その考え方には、非常に影響を受けましたね」

ミシャラク氏は私にとってNo.1、最高のシェフだ、とジェロームさんは言う。

「といっても彼と同じ方法で作るというのではありません。考え方や姿勢を自分のものにして、そこからどんなオリジナルを創り出していくかということが重要なのだと思っています」

師であるミシャラク氏の作るデセールの特徴はなんといっても、その繊細で芸術的な美しさにある。それはジェロームさんにも受け継がれている。

「お菓子というものは、絶対に美しくあるべきだと考えています。そして、人は美しいケーキを見ると、必ずそれにふさわしい味を想像します。私はそのお客様の期待に応える、絶対的な美味しさを作りたいのです。まず、目で楽しみ、そして味わう、それがお菓子作りで大切にしていることです」

と力強く語ってくれた。

シトロンとノワゼットを組み合わせた新作の「シブヤ」は、日本文化と若者文化が交錯する渋谷の街にインスピレーションを受けたもの。「ナカメグロ」に続く2作目で、次は銀座を考えているのだとか

コクのあるパンナコッタにヴァニラを利かせたパイナップルが爽やかな「エキゾチック・パンナコッタ」


名だたる有名店でシェフやスーシェフに抜擢されてきたジェロームさん。それは、もちろん彼の持つ才能の故だろう。しかし、それだけではないはずだ。

「運ではないと思っています。私のモチベーションと熱意が仕事ぶりやケーキに反映し、それをシェフが評価してくれるのではないでしょうか。それから、自分の性格もありますね。1つのことをやると決めたらやり通す主義だし、大勢のスタッフを束ねて仕事をするのにも向いていた。そういうことだと思います」

と、淡々と自身を分析する。しかし、そうは言っても挫折や苦労はあったのでは?と質問すると、

「ノン、ありませんよ」

と、間髪を入れず答えが返ってきた。確かに、そうかもしれない。だが、苦労をプラスにとらえて、自分の経験や自信に変えていく。もしかしたら、それこそがジェロームさんの人生哲学なのかもしれない、そんなふうに感じた。

大きく窓を取った機能的な厨房。正面下に見える冷蔵庫は、店と厨房の両方から開くことができる優れもの

そんな前途洋々たるジェロームさんが日本を選んだ理由はどこにあるのだろうか。

「過去に3回ほどヴァカンスで日本に来たのですが、とても居心地が良くて…。このまま日本にいたいと感じて、フランスに戻ると逆に違和感を覚えるほどだったんです。ですから、日本で店をやりたいと言うよりも、生活したいという気持ちの方が近かったですね」

好奇心旺盛で日本で学びたいことがたくさんある、というジェロームさん。今一番の願いは、日本語を話せるようになってお客さんとコミュニケーションを取ることだという。お客さんが来るたびに、席を立ち「イラッシャイマセ」、「アリガトウゴザイマシタ」と丁寧に対応する。



「この場所は星(運命)が導いてくれたんです」

と神妙にジェロームさんが言う。物件を探すのは難しいと言われていた中目黒で初めてこの場所を見た瞬間に、“ここだ”と直感したそうだ。この場所を見つけるまでには2人で150もの物件を見て周ったという。

「実際に日本で店を始めることについては、ミシャラク氏を始め、色々な方から意見やアイデアをいただきました。そのひとつひとつで、今この店があるのだと思っています」

アイデアと言えば、カウンタースペースもその一つ。

「迷った末に作ることにしたのですが、遠方から来てくださる方や、その場で食べたいと言ってくれる方もいて、本当に作ってよかったねって話しています。ここで15種類くらい食べていかれた方もいるんですよ」

お客様の顔を見て、コミュニケーションを取る。それこそが、2人の願いなのだそうだ。

カウンターは5席。作りたてをその場で食べられるのは、嬉しい限り

「ケーキや焼き菓子など、ほとんど全てを二人で一緒に考えて作っています。私がアイデアを考え付くと、それを一緒に形にしていきます。試作したものはスタッフみんなで食べるのですが、『こういうのは日本人は好きじゃない』と言われることもあるんですよ」

と苦笑する。

「フランスにいた頃から、日本人の味覚については“砂糖控えめが良い”と聞いていたのですが、実際にはそうではないと感じています。甘さを出すポイントさえ押えれば、甘さは必要だと思います。それから、日本人は本当に繊細な味覚を持っていて、なめらかな口どけや、やわらかい食感を好むので、それには合わせるようにしています。フランスでは、逆に、食感やテクスチャーの違いを強調したものの方が好まれます。だから、その違いにはショックを受けました。でも、やっぱり自分が好きだから、残してしまっていますけどね」

といたずらっぽい笑顔を見せる。
ジェロームさんの発想が、貴子さんとの協力で形になり、スタッフの力で完成する。それは、師であるミシャラク氏のスタイルでもある。


最後に、これからどんな店にしていきたいですか、と尋ねるとこんな答えが返ってきた。

「パティシエとしての経験や出会いが日本に来ることを決めたのと同じように、進む道は、今この時が培っていくもの。だから今は、この中目黒という場所で、1日1日を大切に、満足したものにしていきたいと思っています」

ジェロームさんの考えはシンプルだ。今ある現実に全力で取り組む、そしておのずと開けた道へと歩みを進めて行く。しかしそこには、将来図に合わせるのではなく、道を自分で切り開いていくという強さがある。

「未来は、今やることの後について来るもの。だから何よりも現在を大切にしていきたいと思います」




ジェロームさんに未来予想図はない。
日本という新しい環境の中で刺激を受け、出会いを重ねながら、キャンバスに心を込めた一筆が加えられていくのだ。
いったい、どんな素晴らしい絵になっていくのだろう。これからも、ずっと見守っていきたい。









パティスリー カカオエット パリ
住所 東京都目黒区東山1-9-6
TEL03-5722-3920
営業時間 10:00〜20:00
定休日毎週木曜、第三水曜
アクセス東急東横線中目黒駅より徒歩5分