“ル タン デ スリーズ”。
“サクランボの実る頃”という店名をつけた、かわいらしいパティスリーが昨年の暮れにオープンした。場所は、東京とはいえ、どこかのんびりとした空気が流れる大田区雪谷の住宅街。田園調布からも散歩がてら歩いていかれる、緑豊かなエリアにある。



淡いピンク色の看板が目印。中には顔のついたサクランボが



「『ル タン デ スリーズ』というシャンソンがあるんです。大好きなアルザスもサクランボの有名な産地だし、自分も5月生まれ。言葉の響きも良くて、この名前に決めました」
ポロシャツ姿だったからだろうか、シェフの小関靖憲さんは、パティシエというよりもオーナーといった方がしっくりきそうな風格がある。秋田県出身で、つい先月40歳になったばかり。色白の肌が印象的だ。

大きくとったガラスから光が差し込む店内は、白を基調にしたすっきりとモダンな雰囲気。だが、ショーケースをのぞくと、“バールドール”や“フォレノワール”、さらに大ぶりの焼き菓子“パヴェ”といった、いかにもフランス菓子、というクラシックな名前が並んでいる。そしてもうひとつ予想を裏切ってくれるのは、ケーキの味と食感。いかにも重厚そうに見えながらも、食感が軽く、味わいはすっきり。まさに、サクランボの季節のような清々しさが残るのだ。聞けば、かの「オーボンヴュータン」での修業歴もあるという。いったい、どんな経歴の持ち主なのだろう。



焼菓子やヴィエノワズリのラインナップも充実



「小学校の頃から料理人に憧れていました。大学へ進むかどうかという時に専門学校の情報本をパラパラとめくっていたら、たまたま辻調理専門学校のページを見つけて。学校のことは、大好きだった料理番組で知っていたので、ぜひ行きたいと思いました」
料理人になりたかったという小関さん。ところで、なぜ料理人を選ばなかったのだろう。
「本当はフレンチに行きたかったんですが、実はカエルが苦手で・・・」
と、言葉を濁す。フランス料理ではカエルを扱う、と聞いていた小関さんは二の足を踏んだ。やっぱりフレンチはだめかもしれない、そう思いながらページをめくると、現れたのは製菓部門のページだった。
「フレンチにも近そうだし、フワッとしたやわらかいイメージもあって。急にお菓子に興味が湧いてきたんです」
そんな偶然から、小関さんはパティシエの道を歩み始めることになった。



プレゼントにも良さそうなラッピングは贈り物にも



元々、ケーキは年に1,2回食べる程度だった小関さん。学校で教わるお菓子、そのひとつひとつが新鮮だったそうだ。
「一番印象的だったのは茶色いフランス栗のモンブラン。メレンゲの食感も新鮮でした。卵白と砂糖だけでこんなものができるのかって。お菓子ってなんておいしくて、面白いんだろうと感動しましたね」
すっかりパティスリーの魅力にはまってしまった小関さんは、この後、フランスに何度か滞在することになるのだが、当初はフランスのパティスリーにはあまり興味がなかったという。
「学校で学ぶ仏、日、独の製菓のなかで、ドイツ菓子が一番好きだったんです。見た目だけじゃない、骨のある味が好きだったし、格好いいと思っていました。逆にフランス菓子は軽い感じがしてそんなに好きじゃなかったんです」
ドイツ菓子特有の飾らないシンプルさと、揺るぎない伝統の味。小関さんが求めたのは華やかさや斬新さよりも、骨のある味だった。
「ドイツに行きたかったんですが、辻調の海外校があるのはフランスだけで。とりあえず行ってみるか、という気持でフランス行きを決めました」
まだ就職したくない、そんな気持も後押ししてフランスへと向かった。
「行ってみたら、日本で受けたイメージと全然違ったんです。エクレールやサヴァランのようなシンプルなケーキがどの店にも並んでいるし、ブーランジェのもおいしい。びっくりしました」
華美さや派手さがフランス菓子じゃない、そう知った小関さんは気持も新たにパティスリーやレストランを訪れた。
「どのお店でも必ず、タルト・オ・シトロン、ミルフィーユ、オペラ、エクレールを頼みました。これで、ひと通りの生地を味わえるので」
学校のあるリヨンから足を延ばし、パティスリー廻りの日々。なかでもお気に入りは「ジャン・ミエ」だったそうだ。



フランスへの思いが伝わってくるようなディスプレイ



帰国してからもフランスのことが頭から離れなくなっていた小関さん。就職先を探す際に頭にあったのは“次にフランスを訪れた時に、絶対役に立つような店で働きたい”という想い。そこで、『オーボンヴュータン』に入り、意気揚々と仕事をスタートさせた。ところが・・・
「4年半いましたが、3年間は本当に毎日怒られてました(笑)」
今でこそ笑って話せるが、当時の小関さんにとっては大問題。打たれ弱い性格の小関さんは、怒られるとへこみ、へこんだことを怒られ・・・、そんな日々を繰り返したそうだ。
「そのときは本当に辛かったですね。でも、不思議と辞めようとは考えませんでした。河田シェフの仕事を目の当たりにしながら、みんな上を見て頑張っていました」
とはいえ、お店の前まで行くと足がピタリと動かなくなる、そんな時期もあったという。
「一度、河田シェフが話しているのを聞いたんです。『うちの連中は我慢することを知ってるから、フランスでも大丈夫だよ』って」
愛情ゆえの厳しさ、肌でそう感じていたからこそ、辛くても続けられたのだろう。



師匠譲りの大きな焼菓子も。アーモンドを
たっぷり使ったパヴェは1200円




「本当はもう少し続けたかったんですが、突然フランス行きの話が持ち上がって。10万円あれば何とかなるから行って来い、と河田シェフに言われ、お金をかき集めてフランスへ行きました」
ひょんなタイミングとはいえ、小関さんにとっては待ちに待ったフランス。「オーボンヴュータン」での経験を活かし、紹介されたパティスリーへ。だが、その後が続かず、なんと渡仏後3ヶ月も経たないうちに完全失業状態になってしまった。
「友達のところに転がり込み、日本からフランス語の手紙の書き方の本を送ってもらって、毎日毎日、色々なパティスリーに手紙を書きました。でも、全然だめ。1ヶ月以上、何の音沙汰もないので、さすがに友達も心配し始めてしまって」
もうお金も底をついてしまう・・。そんなときに、1本の電話が鳴った。
相手はなんと、アルザス「ジャック」のオーナーシェフであり、当時のルレ・デセール会長、バンヌヴァルト氏本人だった。



ヴィエノワズリは、クロワッサンやブリオッシュの
ほか、フルーツのパイなども




「先輩からも、『ジャック』は修業したい日本人パティシエのリストができるほどだから絶対無理だよと、言われていました。だから、手紙は送ったものの期待はしていなかったんです」
思ってもみない展開に、小関さんは矢も盾もたまらずアルザスに向かった。

「バンヌヴァルト氏は、もの静かで真面目な人。特にお菓子に対しては本当に真面目で、クオリティの高いものを作るためにできることは全てやる、という姿勢がとても印象的でした」
「ジャック」には、素晴らしい材料、最高の道具、充分な人数のスタッフ、快適な環境・・・と、全てが整えられていた。フルーツやクリームといった素材のおいしさと自然の美しさ。さらに、ドイツ人を思わせる真面目で丁寧なアルザス人気質も、小関さんにとっては心休まるものだった。
「例えば素材。アーモンドだったら、マルコナ種を皮付きのまま仕入れ、店でタンプルタンやマジパン、プラリネへと加工していました。それから、驚いたのが仕事量。丁寧な仕事をさせるために、スタッフにも絶対に無理をさせないんです。感覚的には7割くらいの仕事量でしょうか。普段なら5時、クリスマス時期でも7時には仕事がきれいに終わるほど、恵まれた環境だったんです」
これがパティスリーの3ツ星。小関さんはそう感じたという。



ドイツに隣接するアルザス地方の伝統菓子“クグロフ”。
現在は週末のみ限定販売で、修業した「ジャック」
のものよりも、軽く食べやすい味わい




ひと通りのポジションのほかに、クグロフやクーロンヌなどの郷土菓子まで学び、去りがたい想いを胸に店をあとにした小関さん。実は、この直後にちょっとした事件が発生する。小関さんいわく、「プティ ヴァカンス ドゥ メッス(メッスの小旅行)事件」だ。

「バンヌヴァルト氏の紹介で、急にロレーヌ地方の『フレッソン』へ行くことが決まったんです。母の日が近くて忙しいからということで・・」
約1年ぶりに職場を変わることになった小関さん。ちょっとくらいの息抜きならいいだろうと、途中にあるメッスという街でのんびりしてから「フレッソン」へ向かった。
「お店に着いたら、『なんだおまえは?』」と言われて。・・・そうなんです。すでに母の日が終わってしまっていたんですよね(笑)」
遅れてきた助っ人小関さんについたあだ名は、「プティ ヴァンス ドゥ メッス」。真面目で几帳面な印象の小関さんだが、意外とマイペースな性格のようだ。



「ジャック」と「フレッソン」で学んだ技術が、
小関さんのお菓子作りのベースになっている




そんな性格もあっていたのだろうか。合計3年間フランスの各店を回って帰国したものの、“もう一度フランスに来よう”と考えていたという。
帰国して名店でさらなる修業、それとも独立・・と想像しがちだが、「プティ ヴァカンス ドゥ メッス」の小関さんはここでもマイペース。就職先に、なんと宮城県の某サッシ工場を選んだのだ。
「菓子屋以外も知っておこうと思って」
と本人は至って真面目。そのほか、知り合いのパティスリーを手伝ったりしながら資金を貯め、2年後再びフランスへ。約1年間、南仏やパリを回った。



河田シェフのアドバイスでパリのレストランではデセール
も経験。どちらも楽しいが、食べる状況まで計算して
カチッと作るテイクアウトの方が魅力的だという




ちょうど30歳の時に帰国。まだ独立には早いという思いから、茨城「菓子工房ラポワール」や、横浜「カナール」のチーフとして活躍。ところで、フランスと国内の地方店では、どうしてもケーキの種類や味にギャップがあるように感じるが・・・。
「フランスそのままを出しても受け入れられないので、アレンジをして出していました。フランス菓子を押し付けるのではなく、そのエスプリや本質を残しつつ、食べておいしいものを作らないとだめ。その点はとても勉強になりました」

シフォン生地を使った細身のロール
“シャンティロール(\1200)”も人気




そして、40歳を目前にした2008年の12月。ついに、自身の店「ル タン デ スリーズ」をオープンさせた。
「フランス菓子だけど、間口が広くて、敷居が低い、でも、奥が深い。そんなケーキを目指しています。そして、フランス菓子のエスプリを表現していきたい。そのため、今はひたすら試作を続けています」
食べやすいけれど、フランス菓子のエスプリを感じるとはいったい、どんなものなのだろう。そう思いながらショーケースをのぞくと、伝統的なフランス菓子“マルジョレーヌ”の名前がついたグラスデザートが並んでいた。
“マルジョレーヌ”といえば、フランスのレストラン「ピラミッド」の創業者フェルナン・ポアン氏が考案した、濃厚で甘い、典型的なフランス菓子。だが、小関さんの“マルジョレーヌ”を食べると、ナッツ、プラリネ、ガナッシュという味の組合せはまさに“マルジョレーヌ”なのだが、その食感がまったく違う。フワッと軽いプラリネクリームをグラスの中にたっぷりと絞り、その上に生地やガナッシュ、そしてクリームを重ね、サクッとした生地を飾って食感にアクセントをもたせる・・・。濃厚な味と重たい食感というイメージの“マルジョレーヌ”が、こんなふうに生まれ変わるとは正直言って驚きだった。



マルジョレーヌ \460



小関流に構築しなおした“マルジョレーヌ”を食べて、ふと先ほどの修業時代の話を思い出した。実は、小関さんが、自らを完全失業状態に追い込むきっかけとなった店。それは、ルセットだけを渡して、「じゃあ、この倍量で作っておいて」と頼まれた店だったそうだ。“単にルセットを真似るだけなら、ここにいても時間がもったいない!”と、先のことも考えず、早々に店を辞めてしまったというのだ。
配合だけでは、その店の本当の味や食感は作れない。そこにあるエスプリや本質を知り、おいしさを理解したい・・・。それが、ずっと変わらない小関さんの気持であり、菓子作りだ。“マルジョレーヌ”の本質はそのままに、日本人でも食べやすく。そこに、小関さんのこだわるフランス菓子のエスプリがあるのだろう。

「斬新で高級な店ではなく、住んでいる人に長く愛される店にしたいですね。そのために、楽しいものや定番ものなどを充実させたいと思っているんです」
アルザス名物のクグロフは週末のみで販売。今後は、ロレーヌの修業時代に毎日のように食べたキッシュロレーヌなどもラインナップに加えたいと考えているという。

ル タン デ スリーズ・・・
そのシャンソンの歌声のように、心にじんわり響くようなお菓子を、これからも作り続けてくれることだろう。(2009.07)








ル タン デ スリーズ
住所 東京都世田谷区東玉川1-16-19
Tel&Fax03-5754-5227
営業時間9:30〜19:30
定休日不定休
アクセス 東急池上線石川台駅より徒歩約5分




※このページの情報は掲載当時のものです。現時点の情報とは異なる可能性がございますのでご了承ください。