2年に一度アメリカで開催されている製菓のワールドカップ、WPTC(ワールド・ペストリー・チーム・チャンピオンシップ)の日本代表キャプテンに選ばれた「サロン・ド・テ スリジェ」の和泉光一シェフ。先日行われた2006WPTC日本最終予選(詳細は→こちら)でお会いした時、和泉さんの顔から溢れる眩しい笑顔が印象的だった。それはまるでヒーローインタビューを受けているスポーツ選手のような清々しさ。普段は見ることのできないその表情は、いったいどこからくるのだろう。その理由を知りたくて、和泉さんに直接お話を伺ってみたい、そう考えるようになった。

WPTCの日本最終予選が行われた今年の3月。和泉さんはチョコレートピエス部門(チョコレートで作る大型工芸菓子)で出場した。「はばたき」というテーマのその作品は蜂と蝶が見事に表現されていて、繊細なラインと、今にもはばたきそうな軽やかさが一際目を引いていた。

2006WPTC日本最終予選にて優勝したチョコレートのピエス「はばたき」
トップに飾った蜂の重さはなんと1.4s!




「軽さとか危うさを出したかったので、各パーツの接点をできるだけ少なくするように工夫しました。蜂と蝶は1点ずつ斜めに留めてあるんです。だからちょっとバランスを間違うと崩れてしまうんですよ」

この大会では審査員が見ている前で、制限時間内に作品を仕上げなければならない。選手たちが極度の緊張感に襲われるということは容易に想像がつくだろう。また、ルール上チョコレート用の型を使用することができないため、例えば蜂は、粘度細工を作る要領でチョコレートを練り上げていった。そして最も目をひいたのが蝶の羽の部分。業務用の天板1枚分(60×40cm)程もある大きな羽は、厚みが1mmもないという。この薄さの効果から生まれた本物の羽のような透明感に思わず息を呑んだ。しばらく眺めていたら、これがチョコレートだということを忘れてしまうかもしれない、そんなふうに感じた。

「羽の形に切り取った厚紙の上にセロハンを敷いて、その上に溶かしたチョコレートを流すんです。そしてL字パレットを使って伸ばしていくんですが、この時パレットがセロハンに当るか当らないかぐらいの繊細な腕裁きで、極限まで薄く伸ばしていきます。チョコレートを伸ばし終えた後に、下の厚紙の模様がうっすらと見えるくらいに薄く伸ばすようにしました。更に羽の付け根を厚めに、羽先を薄めに伸ばすと自然と反ってくれるんです」

出来上がった羽はとても薄くてそのままでは形を維持することができない。そこで、和泉さんは羽の裏側にコルネでチョコレートを薄く絞っていって強度をプラスした。この絞りが羽の模様のように仕上がった。

「もちろん、初めから全てが上手くできていたわけではありません。これまでに何度もコンクールに挑戦して、過去に何度も失敗を繰り返していく中で、今の形が出来上がったんです」

目をキラキラと輝かせながら和泉さんは言う。その様子からコンクールに対する強い思いが伝わってくる。どんなきっかけからコンクールを目指すようになったのか、そのもとをたどってもらった。
「日本菓子専門学校を卒業した後、「成城アルプス」に入りました。そこには15〜16人ものスタッフが働いていたんです。この中で自分をアピールするにはコンクールしかないって、そんな気持ちからチャレンジするようになりました。それに、僕、目立ちたがりなんですよ(笑)」

ひとくちに製菓コンクールといってもその種類はさまざま。飴細工やチョコレート細工などのピエスモンテを審査するコンクールやアントルメを審査する味覚コンクールなどとても幅広い。その当時、和泉さんは味覚コンクールに果敢にチャレンジしていた。

「コンクールの練習のためにたくさんのお菓子を作りました。その中で、自分が好きな味を作るという醍醐味を知ることができたんです。そうして、自然と卵やバターなど素材の理論を追求するようになりました。でも、自分が本当に目指す味作りとは何なのか、作るたびに味作りが変化するほど悩んでいた時期でもあります」

コンクールを目指すことで生まれてくる新たな壁。その壁を克服するために必死に努力を重ねていた様子が伺える。


「緑の棘」春をイメージして伊勢丹のために作った飴のピエス


成城アルプスを7年勤めた和泉さんは、その後2年間を大阪府堺市にある「花とお菓子の工房フランシーズ」で過ごした。そして成城アルプス太田社長の推薦で、サロン・ド・テ・スリジェへ。ここではシェフとして迎えられることとなった。久しぶりに東京に戻ってきた時、和泉さんはパティシエの世界が変化していることに気がついた。

「国際コンクールで受賞したパティシエたちが注目を集めるようになっていました。パティシエという一個人やコンクールというものがかつてないほどクローズアップされていて驚きましたね。第一線で活躍している先輩たちに刺激を受けて、僕の中でふつふつとコンクール熱が再燃してきたんです」

そして始めたのが飴とチョコレートのピエスだった。この時、和泉さんは既に30歳。新たなチャレンジをするには遅すぎるスタートに不安を感じていたかもしれない。

「年齢的な焦りは全く感じていませんでした。それよりも、始めてみると素材としての飴やチョコレートというものが面白くて。例えば飴なら、砂糖や水あめを煮詰める温度やその後の冷ましかたによって、もっといえばメーカーによっても飴の固さなどの性質が変わってくるんです。没頭しましたね」

当然のことながら、日中はスリジェのシェフとしてスタッフを統括していかなければならない。全ての仕事を終えて、飴細工を始められるのは夜の10時以降。寝る間も惜しんで作り続けたそうだ。


第11回内海杯にてグランプリを受賞したチョコレートのピエス

ピエスを手がけるようになって4年余り。その間、和泉さんは数えきれないほどのコンクールに出場した。そして多くの受賞と名声を得た。第10回内海杯コンクール クープ・ド・フランス日本代表予選優勝、2004年クープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー国内予選(飴細工、アントルメ、ショコラ部門)準優勝など輝かしい受賞の数々が、その苦労を物語っている。それでもまだまだコンクールへの情熱は収まりそうもない。何が和泉さんをそれほどまでに惹きつけるのか、最後に一番聞きたかった質問をぶつけてみた。

「始めの頃はとにかく楽しくて、自己アピールをする場だと考えていました。でも、作り続けていくうちに気付いたことがあります。それは、ひとつにはやればやるほど素材に対する知識が深まるということ。自然と普段のお菓子作りにも活かせるようになりました。それから、コンクールはいい作品を作ることだけが目的ではないということ。なぜなら、和泉光一というパティシエの全てが作品に映し出されてしまう。普段からいい仕事をしていなければ、結局いい作品は作れないんです」




今までコンクールという言葉の響きからは、どうしても地位や名声といったイメージが先行していた。けれども、その奥にある本質的なことを和泉さんの言葉が教えてくれる。コンクールはあくまでも普段の仕事の延長線上にあり、お菓子作りという枠の中に全てがあるのだ。

もっともっとお菓子のことを知りたい、パティシエである幸せを実感したい。その想いが和泉さんをますます大きく育てていくのだろう。





サロン・ド・テ スリジェ
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