アーモンドがカリカリっと小気味良いシュー・パリジェンヌ。
水上に憩う白鳥を思わせるスワン。
ひとつひとつ違う表情が愛らしいスーリーやエクレア。
そして、大ぶりにカットした飾らない表情のキッシュやタルト・・・。
生クリームを飾ったケーキやムースは一切ない。どこか素朴で懐かしいケーキの表情にふと心が和んだ。


「実家が北海道の和菓子屋なんです。自分は洋菓子を作りたかったんですが、父親に『和菓子をやれ』と言われ、函館の和菓子屋で働き始めました。洋菓子を作りたかった理由ですか?うちは和菓子屋といっても、一部洋菓子も作っていたんですよ。でも、クリスマスケーキは売る分だけで、自分たち家族の分はなかった。食べたかったですね!それで、菓子屋になれば自分で作って食べられる、そう思ったんです」

不本意ながら、和菓子屋の2代目としての1歩を踏み出した美ノ谷さん。ところが、そこには思わぬ転機が待ち受けていた。

「修業先の工場長が、自分はアメリカ兵の進駐軍で洋菓子を作っていたと言うんです。洋菓子を作りたいと言うと、『こういうケーキが東京にはあるはずだ』とフランボワーズやバターを使ったお菓子のことを教えてくれた。調べてみると、それがフランス菓子だったんです」

当時は、もちろんフランス帰りのパティシエなどいるはずもない。同じ甘いものだからと、進駐軍に日本版パティシエが借り出されたのだろう。


思わぬことからフランス菓子と出会い、上京を果たした美ノ谷さん。日本で最初のフランス菓子店「ルコント」に入り、メキメキと腕を上げていった。好きなことにはのめり込んでしまうという、持ち前のヴァイタリティのなせる技なのだろう。

「その時は本当にフランスへ行きたい一心だったんです。『フランスでは料理もできないと通用しないよ』と言われれば料理もやったし、とにかく今はフランスに行くことだけを考えようと、目をつぶって何でもやりました」

ルコント氏のもとではフランス菓子の技術だけでなく、エッセンスをも身につけていった。

「ルコント氏はバターや生クリーム、その他全ての材料を吟味して使っていました。そんなに味なんて変わらないだろうと思って、一度、色々なバターや生クリームを買って味見をしてみたことがあるんです。そうしたら、それぞれ味が違う。やっぱり、良さをわかっていたんだと思いましたね。ルコント氏は小さい頃からバターや生クリームを食べているから、どういうものが美味しいのか、その良さを知っているんですよね。私はそういう環境で育っていないから、最初はわからなかったんです。ただ、彼の育ったフランスは、北海道育ちの自分と緯度的に環境が似ているので、味の濃さや味覚の好みがとても似ていましたよ」

バターや生クリームといった食材に馴染みがなかったということもあるだろう。しかし、こだわりの食材やグルメ流行の現在ならともかく、その当時、素材を選び使い分ける、というスタイル自体が美ノ谷さんにカルチャーショックを与えたのかもしれない。


そして、ついに努力が実を結んだ。念願の渡仏を果たした美ノ谷さんが、本場フランスで見たかったものはなんだったのだろう。

「自分がやってきたことを確認したかったんです」

日本にいる間に、すでに技術は身に付けていた。だが、本当に作っているケーキや技術がフランスと同じなのか、それが確認したかったのだと美ノ谷さんは言う。 当時の「ルコント」には、日本にフランス菓子を伝えたいというルコント氏の熱い想い、そして、フランス菓子に魅了された若き日本人パティシエたちの情熱が溢れていた。フランスに負けない品質や技術、そして、ひときわ大きな輝きがそこにはあったのだろう。自分はすばらしい技術を学んできた、若き美ノ谷さんはそう確信したという。

渡仏したフランスでは、料理と製菓両方のM.O.Fを持つ、名店「カメリア」のドラベーヌ氏のもとで学んだ。ご存知とは思うが、M.O.FとはMeilleurs Ouvriers de France=フランス国家最優秀職人の意。いかにフランスとはいえ、2つのM.O.Fを持つ人物は少ない。ドラベーヌ氏の、その卓越した才能に影響をうけた職人も数多いという。

その「カメリア」時代にはこんなこともあった。

「生ハムを作ろうと石ムロを組み立てていたら、ドラベーヌ氏が来て『そんなに働くと体を壊すから』と言ってやめさせようとするんです。でも、自分はどうしても作りたい。しばらく言い合いをしていたら、ある男性が通りかかって『彼にやらせてみなさい』と言うんですよ。結局、作ってもよいことになり、生ハムが完成。早速その男性に試食をしてもらいました。すると、『空気が入り過ぎている』という厳しい一言。そのときは、ハムなんてただ吊るして乾燥させているだけなのに、空気の入り方なんて調節できるわけがない、と思いました」

実はこの男性は、生ハムを管理する政府機関で働く人物。当然、おいしい豚肉にするための飼料のことから、熟成方法に至るまで、誰よりも熟知している。一般にフランスでは、ハムやチーズのように代々受け継がれていく技術に関しては、書物に残されることが少ないというから、こんなにラッキーな出会いはない。

思わぬアクシデントから生ハム作りの極意を手に入れた美ノ谷さん。販売は予定していないのだろうか?

「凝っちゃうからね。それこそ半年は山にこもらないといけなくなっちゃう(笑)。でもね、実は生ハムを作るのが一番得意なんですよ」

興味があると、とことん突き詰めないと気がすまない正確の美ノ谷さん。だからこそ、日本人として認められ、M.O.Fを取得するに至ったのだろう。


美ノ谷さんに、今までで一番おいしかったケーキをうかがった。

「六本木のルコント(ルコントの1号店)のシュークリームが今までで一番おいしかったですね」

当時のシュークリームはどんな味がしたのだろう。ショーケースに目を戻すと、クリームたっぷりのシュー・パリジェンヌがオーバーラップする。


「うちは当たり前のことをやっているだけです。おいしいという事がまず前提。見た目ではなく、どういう状態が一番おいしいか、ということを大切にしています。そうですね、昔、ルコントにいた時代においしかったと思うものを中心にやっています」

素材をしっかり選び、情熱をもって作られたケーキたち。今も美ノ谷さんの心にあるのはその姿だ。時代や場所が変わっても、美ノ谷さんの求める姿は変わらない。
シャン・ドゥ・シューのお菓子ひとつひとつに、M.O.Fパティシエの底力が見える気がした。


(オーダーすればこんなケーキもアレンジ可能です)


(アパレイユ部分がまるでプリンのよう!
試行錯誤の上たどり着いたというキッシュ)



シャンドゥ・シュー
住所 東京都港区南青山2-11-13 青山ビル
TEL03-3408-3780
営業時間11:00〜19:00(〜18:00 土・祝祭日)
定休日日曜日
アクセス営団メトロ 外苑前駅、青山一丁目駅より徒歩5分