井の頭公園の一角にある、ジブリ美術館。その入口の斜め向かいに2008年5月に開店したのが、「コテデュボワ」だ。ドアを開ければ、すぐそこにジャムと焼菓子が並ぶ棚があって、少し奥に生菓子のガラスケースがある。小さな店内だが、イートインも可能だ。 お菓子作りに接客。そのすべてを、平阪さんはひとりでやっている。



知人がデザインしたという店内。オリジナリティ溢れる床や壁のタイルがとても可愛い。どこか日本離れした雰囲気を出している。お茶とともにお菓子を味わえるイートインスペースがある



出身は大阪。印刷会社で4年間、会社員をしていた。ある時、近所に、パン屋さんができたそうだ。オープンにあたり、フランス人が店の従業員を技術指導していたようだという。早速訪れ、食べてみたら、シンプルなフランスパンがとてもおいしいではないか。気に入って足しげく通ったが、しばらくしたら、そのフランス人が抜けてしまった。すると、見事と言わんばかりに味が落ちたのだそうだ!
「人の技術一つでこんなにも味が変わる。その謎を突き詰めてみたい」
そんな想いが平阪さんの頭に生まれた。パンでも、料理でも、ケーキでもいい。漠然とではあったが、いつか転職して食べ物を作る世界に行こう、と考えたそうだ。そうしているうち、あるパティシエの書いた本に出会った。彼の味作りに関するエピソードや、ケーキの写真、すべてに激しく揺さぶられ、もうこの世界しかないと思ったそうである。
「奥深くて、この上なく神秘的だと思ったんです」
と言う。パティシエの仕事を“神秘的”と表現する人は、なかなかいないのではないだろうか。神秘のベールを剥いでみたいという、一風変わった原動力で、ついに会社を辞め、神戸にある製菓学校に一年通ったそうである。



一番人気という、ショートケーキの変型判、ボワ。普通のいちごは味の安定感がなく使いにくいとのこと

ブルーチーズを使ったケーキ。程よくまろやかで、程よくくせがあり、病みつきになりそう。その時入荷されたチーズの状態を見ながら作る



製菓学校には、まだ働きたくないから専門学校に来たというノリの若者も少なくなく、彼らとは志が違うと強く思ったそうだ。卒業後、念願の現場へ。大阪と神戸で、3〜4店舗ほどで修業した後に、一年間のワーキングホリデーで渡仏。しかし、パリに出たものの、半年は仕事が見つからなかったそうだ。友人の紹介で運よく「パティスリー スール」という店に入れ、残りの半年を過ごした。
「一番びっくりしたのは、シェフが偉そうでなかったこと。きちんと教える体制が整い、理屈で味が説明できている。若手を伸ばそうという空気がある。“出る杭は打たれる”というのは日本独自の言葉だなと実感しましたね」
チョコレートに目覚めたのも、この時だ。日本では「シェフしか手を出せない難しいもの」という先入観があったが、こちらでは、大きなマーブル台を使って、誰もが、こともなげに作業している。
「確かにチョコは難しい。でも、それより楽しさを教わった。チョコの個性でテンパリングの温度が違うことも、経験で学びました。温度計より、チョコの状態を信じて作業するようになり、チョコ以外のものも、分子のレベルで味を考えたりできるようになりました。ボンボンだけでなく、ピエスモンテを作る楽しさも知った」
ここで過ごした半年の間に、コンクール初挑戦をしているが、そのときはアントルメ部門での参加だった。帰国して翌年からは観光ビザで滞在しながらコンクールにチャレンジし、2年後の2005年。アルパジョンコンクールカカオ部門での優勝を果たしたのである。



2005年アルパジョンコンクールカカオ部門優勝のカップ



当時、コンクールに向けての都合で、安定した職場がいいと、「ポール」のパティシエ兼商品開発をしていたが、いずれは個人店で働こうと思っていたそうだ。しかし、急に今の物件の話が舞い込んできたという。
「お金もないし、独立は個人店で数年働いたあと、と思っていたのに、この場所を見たらもうやるしかないなと思っちゃった」
実は平阪さんは、大のジブリファンなのだ。緑あふれる公園、ジブリ美術館。これはもう離せないと、一気に独立となったのである。
「人を雇っている時期もありました。だけど、現状では、せっかく下についた人を育てるところまでできない。怒鳴り散らす日本のシェフの気持ちもやっとわかりました(笑)。今は一人なので、チョコレートなども手が回らないけれど、いずれはと思っています」



大好きな、南アフリカ産のピンクグレープフルーツを使った季節のタルト。上にはラズベリーが裏向きに飾られている

生地がふわふわしていないロールケーキ。目が詰まった分厚い生地に好みは分かれるそうだが、卵の風味を感じるしっかり食べごたえのある生地はとてもおいしい



ショーケースの中には、独特のお菓子が並ぶ。
「気をてらってはいない。余計な装飾もしない」
というが、シンプルな中に、平阪さんらしい目線がしっかり顔を出している。たとえば、季節のタルト。薄めのタルト生地の上に、大好きというグレープフルーツが大きく2房、そして3粒のラズベリーがのる。あれっと目を引くのは、ラズベリーが裏返しなことだ。こんな置き方は見たことがない。
「穴の開いている側のほうが可愛いと思うから」
食べて驚く食感もある。一見シンプルなロールケーキに、ふわふわした生地は使わない。
「巻きながら割れてヒビが入るような、目の詰まって弾力のない生地です。ふわふわは好きじゃない。しっかり生地の味とこの食感を楽しんでほしい」



すべてを一人でやっているので、焼き菓子などの数も多くはなく、売り切れてしまうこともしばしば

完熟のフルーツではなく、追熟の過程と同様の手の加え方で味を作っていくジャム



チョコレートから学んだ、分子レベルでのものの見方も健在だ。たとえば「混ぜたら手早く焼く」というのが定説になっているお菓子でも、あえて生地を焼く前に少し寝かして食感を変えてみたりする。分子レベルで起こる変化を見極め、楽しみ、味わいに生かす。目先のユニークさにとらわれない味作りは、食べ手に、しっかり地に足のついたお菓子という印象を抱かせる。安心感と、安定感。商品の入れ替わりは少なめだが、それぞれの完成度は高い。
「お勧めはどれと言われてどれか一つはえらべない。お客様の好みはあっても、自分としてはどれも納得の味だから」
当たり前の言葉かもしれないが、妙に説得力がある。
「素材がおいしすぎるとお菓子はできない。そのまま食べたほうがいいと思うから。完熟したフルーツはジャムに向くというけど、完熟まで行かないものを、砂糖を使って煮詰めることで、完熟同様の過程をたどって美味しくしていく。お菓子作りってそんな楽しさもあるんじゃないかな」
なるほど。
シュークリームやショートケーキとはまた違った意味で、この店には、息の長そうなお菓子が並んでいる。 (2009.08)

text:Chieko Asazuma  










パティスリー コテ デュ ボワ
住所 東京都三鷹市下連雀1−14−5 アクトオンII 1F
Tel0422-70-6052
営業時間11:30〜19:00
定休日火曜
アクセス 中央線吉祥寺駅、三鷹駅より徒歩約20分
(三鷹駅よりジブリ美術館行きのバスあり)




※このページの情報は掲載当時のものです。現時点の情報とは異なる可能性がございますのでご了承ください。