2008年7月21日。「デフェール」に豊長シェフが誕生した日だ。安食シェフからバトンを受け、この夏で季節が一巡した。

「店の名前が同じなら、そこのシェフが変わったということを知ったり、興味を持つ人は、実はそう沢山はいないと思うんです。多くのお客様にとって、デフェールはデフェール。だから、人気の商品や定番は、基本的には残しています。見た目が同じでもマイナーチェンジをしているものはたくさんありますが、お客様の安心感をまずは大切にしたいから、がらっとデコレーションを変えるようなことはしません」
店の目印でもある、赤いひさし。テラス席もあるイートインコーナー。いつも変わらない、心地のいい空間と、たくさんのお菓子。確かに、この町の人にとって、デフェールはデフェールだ。



2001年にオープンしたデフェール。たまプラーザの駅から近く、地元の人だけでなく、特に週末は遠くからも来る客も多い。イートインスペースも広く、いつもケーキとお茶を楽しむ人で賑わっている



しかし、よくよくその棚を見れば、豊長シェフが意識的に変革した部分があった。
「焼き菓子を増やしました。焼き菓子の売れる店にしたいんです」
そう思うに至った経緯は、修業時代にさかのぼる。

高校時代、将来どうするかと考えた時、「今の自分からはあまり想像してもらえないかもしれないけれど(笑)」、人前で話して自己アピールすることもあまり得意でなく、ならば何か、ものを作って自己表現ができる仕事がいいと思ったそうだ。その中で、“食”が浮かび上がってきた。数あるものづくりの中でも、人の喜んでいる姿がダイレクトに見えるところが魅力だと感じ、服部栄養専門学校に通う道を選ぶ。ただ、このときは、パティシエを意識していなかったという。なぜか、「本当に未だになぜか分からないのだけど」、学校で面接が行われたとき、パティシエになると明言してしまったそうだ。



いつも賑わう店内。カフェスペースも広くとられている。
男性客が手土産を買いにくる姿や、週末は遠方から来る人も多い




時はバブル。世の中にも、働き出した店にも、これでもかと華やかにデコレーションされたケーキが並んでいた。それを見たり、作ったり、そして食べたりしながら、
「本場ヨーロッパでも、お菓子はこういうものなのだろうか」
常に疑問を抱いていたという。
現地に行って、確かめてみたい。
その思いは実現した。1992年のことだ。
ベルギー、フランスでお菓子と人々を目の当たりにして感じたのは
「やっぱり違う」
ということだった。
「彼らにとってのお菓子は、日本人にとっての和菓子である」
と確信した。おせんべいみたいに、日常的に食べられているもの。いつも缶に入って、誰でも好きな時につまめるあられや、かりんとうだったり、気軽に買ってくるお団子だったり。あるいは、4月の桜餅や5月の草餅、お彼岸になると出回るおはぎ。同じように、ヨーロッパのお菓子の文化もまた、素朴な焼き菓子やショコラ、新年のガレットデロワ……、そういった日常的かつ季節や文化とつながったお菓子の積み重ねであると肌で感じたのである。



意識して増やした焼き菓子。フランスでは定番の素朴なものから、麦茶味のクッキーのようにユニークなものまでいろいろ揃う



そういうバックボーンがあって、華やかなお菓子も存在する。大事なのは、後付けの華やかさではなく、背景に流れる文化。そう思うと、デコレーションよりも、土台となるもの、たとえば“焼く”といった作業がいかに大切であるかと思うようになったという。
そう、だからこそ、おせんべいみたいな、日常的で素朴な焼き菓子を増やしたのだ。
「でも売れないんです」
苦笑い。
今、シェフが一番お気に入りというお菓子、クロックノワゼットを食べてみる。へーゼルナッツに、卵白と砂糖の衣をつけて焼いただけの、サクッとした、まさにおせんべい感覚のお菓子。いつしかこういうものが売れるようにという強い思いを感じる、シンプルな味だった。



シェフのお気に入りお菓子、クロックノワゼット。いたってシンプル、素朴なお菓子で、きっとヨーロッパの人たちはおせんべいを食べるようにつまんでいるのだろう



ボンボンショコラも宝石ではない。
日本もそうなることを目指して




ヨーロッパで、もうひとつ、豊長シェフが強く感じたことがある。パティシエの若手育成についてだ。
「向こうでは、厨房が学校という感覚なんです。常に学生がいて、学びながら働いている。日本だと、学校は学校。現場は現場。そこにパイプがないんです。自分の経験でもそうですが、実際に働き出すと、学校で教えられた知識だとかがまるで役に立たない。学生の段階で、現場で学ぶシステムを構築するべきだと思う」
実は豊長シェフ、デフェールに来る前の6年間は、都内の製菓学校で働いていた。学生にお菓子を教えるだけではなく、そこで働く職員にも、指導していたという。そんな氏が言う言葉には説得力がある。学校と職場とのパイプ作りに働きかけもしている。少しづつ、そういう流れになっていくのではないかという。



生菓子の並ぶショーケースの上には、ビエノワズリや、ピティビエ、ガトーバスクといった一見“地味め”のお菓子が。これらが売れるようになることが、シェフの願いでもある



しかし売れずとも、店の雰囲気作りに一役買っている。
ところで、6年ぶりの現場で思ったことはどんなことだったのだろう。
「今や情報もあふれているし、何でも手に入ります。でも、材料に踊らされないようにしたいと思いました。たとえば、いい塩があっても、はたしてそれを使う必要があるか。もちろん、味に大きな違いがあれば使いたいと思いますが、希少性があるとか、ブランド力が強いものに、それだけで安易にのってしまいたくはないですね。そういう素材が、一般の人に訴えるPR力があるのは、よくわかっているけれど。きちんと自分で確かめたい。いいものだと分かり、使う必要性を感じても、その素材が手に入らなかったり、使えないこともありますよね。そんなときは、しっかり知恵を絞りたいです」
さらに続ける。



並ぶ生菓子は約30種類。半分は季節で入れ替わる。以前からの定番や人気商品は、あえてデコレーションに大きく手を入れることはせず、お客様の安心感を第一にしている



「25年前に学校を卒業したときの気持ちや、あの時、日本の洋菓子に抱いた疑問を忘れず、この仕事をしている以上は、常にフランスから学ぶ姿勢を持ち続けたい」
そして、最後に一言、ニコッと笑って言うのだ。
「そして、お菓子のおせんべい化が目標です」
きっと毎日少しずつ、少なくともデフェールに通うお客さんは、豊長シェフの理想に近づいているのではないかと思う。生菓子のケースの上に並ぶビエノワズリやガトーバスク。日本の食生活がヨーロッパみたいになる必要はないけれど、きっといつか、今よりたくさんの人が、一見地味なこれらのお菓子の魅力に気付いて、連日、完売御礼となるんじゃないか。そんな日がいつか来るように。今は売れ残ってしまっても、豊長シェフは、毎日これらを作り続けている。  (2009.09)

text:Chieko Asazuma  








パティスリー デフェール
住所 神奈川県横浜市青葉区美しが丘1−5−3
Tel045−901−3911
Fax045−901−3155
営業時間10:00〜20:00
定休日水曜
アクセス 田園都市線たまプラーザ駅より徒歩3分
URL http://www.deffert.com/




※このページの情報は掲載当時のものです。現時点の情報とは異なる可能性がございますのでご了承ください。