パン屋でありながら、デュヌラルテには普通のパンは無い。そこにあるパンは、画一的なカテゴリーを越えた“進化形のパン”とでも言おうか。店名のデュヌラルテとはフランス語で“類まれな”という意味。そして店に並ぶパンも、まさその名の通り。例えば立方体の形をした、卵未使用のブリオッシュ「キュブ ベー」、例えば円柱の形をしたクロワッサン「シリンドル ブール」、例えば鵞鳥脂を使用した「フガス ドワ エ ラール」・・・。立方体?!卵未使用?!円柱?!鵞鳥脂?!びっくりマークやクエスチョンマークがつきないパンたちは、いったいどのようにして生み出されるのだろう。


左からシリンドル ショコラ、シリンドル ブールフガス ドワ エ ラール


「例えば『シリンドル ブール』だったら、「型にはめたクロワッサンを作ろうよ」という淺野さんのひと言から始まりました」

と、シェフの杉窪章匡さん。杉窪さんは、8月下旬の店舗リニューアルに伴い、3代目シェフとして新しく就任したばかり。そして淺野さんとは、フランス料理店「カム・シャン・グリッペ」のオーナーシェフを務める傍ら、パン屋「パン・ペルデュ」や「ダンディゾン」をプロデュース、更には様々なコンサルティング活動などで話題に事欠かない淺野正己氏のこと。彼がこの店の仕掛け人であり、スーパーバイザーを務める人物。その淺野さんが「やる」と言ったら絶対にやるのである。

「クロワッサンを型に入れてしまったら、あの特有のサクハラ感が無くなっちゃうって普通は思いますよね。でも、淺野さんは諦めないんです。「だったら型に入れてもおいしいクロワッサン作ろうよ」って。何度も何度も試行錯誤して、ようやく今のパンが出来上がりました。やって見せないとOKが出ないから、結局は淺野さんを納得させるために作っているようなものです(笑)」

口に入れると、表面のごく薄い層がハラリとほどける。対して、大半を占める内側はふんわりとした噛み心地の甘みとコクのある生地。いわゆる“クロワッサン”とも違った新しいタイプのバター生地として記憶に刻まれていく。

ヴァーグ オリエンタルカリス


他にはない“類まれな”パン作りに挑む杉窪さんだが、初めからパンの道を志していたわけではないそうだ。18歳で大阪あべの辻調理師専門学校を卒業後、府内のケーキ屋に就職し、4年間を過ごした。そこでの印象はというと、

「とにかく楽しかった!こんなに楽しくてお金も貰っていいのかと思えるくらい。でも、段々このままでいいのかと疑問が生じてきて・・・」

あまりにも自由で環境が良すぎたことが、逆に杉窪さんを他店へと駆り立てるきっかけとなったのかもしれない。その後、神戸の人気店「ダニエル」へ入店。「ダニエル」の魅力は、何と言ってもそのフレッシュ感。朝摘んだばかりの苺を使ったショートケーキやオーダーを受けてからクリームを絞るミルフィーユが評判に。更にソースを添えたケーキなど、当時としては斬新なスタイルが話題をさらっていた。また、言葉遣いから歩き方、果ては冷蔵庫の開け閉めに至るまで、身のこなし全てにおいても理想的なスタイルを要求されることに衝撃を受けた。頭を使わなければ仕事をスムーズに進めることはできない、そう教えてくれたのも「ダニエル」だった。ところが、1年程が過ぎたある日、文字通り衝撃的な事件が起きる。

「阪神淡路大震災です。僕が住んでいたマンションもぐちゃぐちゃに倒壊しました」

この時受けた恐怖心、そして心の傷の深さは計り知れない。どんな言葉をかけたらいいものか、正直とまどった。そんなこちらの想いを察したのか、杉窪さんからは意外な反応が返ってきた。

「もちろんショックは受けましたが、それ程深刻に悩んだりはしませんでした。周囲も認めていますけれど、僕、ちょっと変わってるんです」

店内に展示されているアート作品にも注目したい


“今回の出来事は、舞台を移したほうがいいというメッセージかもしれない”からと、上京。焼き菓子に定評のある大田区の「メゾン・ド・プティフール」に入ることに。ここでも、杉窪さんのちょっと変わった一面が表面化していく。

「例えば、散々試行錯誤して何か新しいお菓子を作った時。シェフからGOサインが出て、“お店に出してみたら”と言ってもらったこともあります。でも、もうその時点では僕の興味はそこにはなくなってしまう。次のことで頭がいっぱいになっちゃうから」

杉窪さんの興味の対象は、あくまでもお菓子を作る過程にある。“このお菓子はもっとおいしくなるはずだ”“何故この作り方がいいと言われるのか”“既存のレシピを変えて作ってみたらどうなるのか”疑問点を解明するため、ひたすら試作を繰り返し、様々な文献を読み漁り、独学で製菓理論を深めていった。そしてひとつの疑問が解明したら、今度は次のステップへ。職人というと、日々同じ作業を繰り返している様子を思い描くけれど、杉窪さんにとってそれは繰り返しではないと言い切る。

「どんな作業からも、毎日新しい発見があります。そもそも、お菓子だからこうとか、パンだからこうとかいう決まりもないと思うんです。それに、パティシエとかブーランジェとかいう肩書き自体、僕につけないでと思ってますから(笑)」

白で統一された細長い廊下を進むとミニ・ギャラリーが出現


取材を進めていくうちに見えてきた、杉窪さんの探求者としての一面。横浜の「パン・ペルデュ」でブーランジェに転身後、淡路島のリゾートホテルのシェフ・パティシエに就任し、その後渡仏。パリのレストラン「ジャマン」、「ペトロシアン」などでフランス・ガストロノミーを学び、帰国後は表参道「カム・シャン・グリッペ」や数店のパティスリーで経験を重ねていく中で、枠にとらわれない、自分らしい表現方法を探究し続けていった。
目指すは“ガストロノミックなパンとお菓子”。刻々と変化を遂げる料理の世界同様に、パンや菓子の世界でもまだまだ進化の可能性があるのではないだろうか。そう気づいたのは、淺野さんが立ち上げた「パン・ペルデュ」で修業していた頃のことだった。その淺野さんのもとで再び働くことについては、

「とにかく妥協を許さない人。だからこそやりがいがあります」


シェフのセンスが光るスイーツ類も是非


デュヌラルテのパンが生み出される過程については冒頭で述べた通り。既存の考えや製法を崩すところから始まるそのスタイルは、スイーツ類にも反映されている。

「“ガストロノミックな菓子”という観点から見ると、一般的な菓子類は糖分や油脂分が多すぎると思うんです。そこに、まだまだ進化の余地があるんではないかと。例えば淺野さんの、“甘くないパウンドケーキを作ろうよ”のひと言から誕生した「ポルチーニ」。これ、実は糖分も油脂分もゼロ、なのにしっとりしているんです。何度も試作するうちに、“あるもの”を入れるとしっとりするって発見したんですよ。何かは秘密ですが・・・」

こちらの質問に対して、あまり表情を変えることなく、比較的ソフトな物腰で答えていく。けれども、話がパンや菓子の製法に及ぶと、瞳の奥がキラキラと輝いた。きっと厨房で実際に向き合っている時もこんな表情を浮かべているに違いない、そう思った。



そして、最後の質問へ。

「新しいパンやお菓子を生み出す源泉は何ですか?」

「一番の刺激材料は、淺野さんです(笑)」

すかさず答えが返ってきた。

淺野さんの存在が、杉窪さんの探究心に拍車をかける。次に店を訪ねた時、どんな驚きを提供してくれるのか、期待したい。(2006.10)






デュヌラルテ
住所 東京都港区南青山6-13-9-2F
TEL03-5464-2604
FAX03-5464-2474
営業時間11:00〜20:00
定休日水曜
アクセス地下鉄 表参道駅 B1出口より徒歩10分
URLwww.dune-rarete.com