十数年前、パン職人、山本敬三は、某大手パン会社を飛び出した。
企業ではやむをえないルールや方針。納得のいかないやり方に自分を合わせることに限界を感じたからだった。

山本敬三さんが無我夢中で「パンステージ・プロローグ」をオープンさせたのは1999年10月。莫大な借金を抱え、がむしゃらに働いた。夜中の2時に厨房に入り、パンを仕込む。休みはほとんどなかった。
そして、8年・・・。今や「パンステージ・プロローグ」は、地元神奈川はもちろん、業界でも知らないものはない存在となった。300種はあろうかというヴァラエティに富んだパンは、訪れるものに「楽しさ」という付加価値を与えてくれる。もちろん、売上も好調。昨年はなんと年商2億を越えたと聞く。当然ながら、個人のベーカリーではありえない数字である。

その山本さんが、昨年6月に2店舗目となる「パンステージ・エピソード」をオープンさせた。
プロローグに続き、エピソード・・・。なにやら、ストーリーが隠されていそうだ。


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町田駅からバスに揺られて20分。「図師大橋」の停留所で降りると空気がひんやりと冷たく、一際澄んでいるように感じられる。人も建物もまばらだ。こんなところに・・・?と少し不安に思いながら見回すと、パン屋らしからぬ看板と建物に「エピソード」の文字が見えた。

レストランかカフェを思わせる外観。ほっと心が和む手作り感に溢れている


「こんにちは」
まだ2月というのに、半袖コックコート姿の山本さんが現れた。見た目も体育会系だが、心はそれ以上に熱血漢。頼りになる兄貴といった雰囲気を醸し出している。

「プロローグ」とはひと味違う、ゆったりした空間に、桜並木を臨むオープンテラス。「エピソード」のテーマは、ずばりカフェだという。

カフェを抜けるとパン売り場に。開放感があり、くつろいで買い物ができそう

「店舗や厨房の面積は今までの約2倍、地下も広いんですよ。今回は、めちゃめちゃ混むのは避けたいと思っていました。その分パン教室やカフェなど遊びのある空間にしたい。ゆっくりと買い物をして欲しいから、店内は広く設計しています。ベビーカーや車椅子でも回れますよ。それから、カンボジアからのパン研修生の受け入れもしています。パンを売る以外の場所にもしたいと思っているんですよ」
それを実現するために必要とした敷地は約300坪。「プロローグ」と商圏が重ならない、というのも条件のひとつだった。


カフェスペースは暖かくなったら壁の部分を開放。デッキ風に変身する。合計で30名ほど着席が可能


「カフェスペースは、暖かくなると完全オープンになるんですよ。通りの桜並木が見えるカウンター席も作りました。メインのメニューは、300℃まで上がる専用の石窯で焼くピッツァ。パン屋らしさを出したいから、生地は36時間以上寝かせたものを使っています。オーダーが入ってから、成形して焼き上げるので結構手間が掛かるんですが、おいしいんですよ。あ、よかったら食べてみますか?」

3種類のピッツァのほか、パンもいただける。“カラメル ラテ”など、飲物も充実


しばらくして出てきたピッツァ マルゲリータは焼き立ての熱々。全粒粉入りの薄い生地は、モチッとした食感があり旨みも強い。たっぷりの、トマトソースとチーズと一緒に口に入れれば、まさに至福のひと時だ。3種類のピッツァのほか、サンドイッチやスープが楽しめる。深入りでコクのアあるオリジナルブレンドコーヒーも自慢だ。

モカ、ブラジル、コロンビアを合わせたエピソード オリジナル ブレンド 珈琲豆はテイクアウトも可


”家族全員が車から降りてパンを選びに入る店“、「プロローグ」をこんなふうに言った人がいる。一度訪れた人ならお分かりいただけると思うが、ただパンを買いに行くだけでない、「選ぶ楽しみ」が山本さんの店には溢れている。
ハード系から、デニッシュ、惣菜系にサンドイッチ・・・までと、ヴァリエーションが多いから、普段はパンを食べない人も、つい買いたくなってしまうはずだ。
山本さんのモットーは「自分が作りたいパンではなく、お客様が食べたいパンを作ること」。約250種類のパンを揃えるが、そのうち30種類は「エピソード」オリジナル。このエリアで人気のある食パンや惣菜パンの比率を高くしているそうだ。

フィリングにもこだわった惣菜系が充実。お腹を空かせて行ったら買いすぎてしまいそう!


「粉、フィリングなどの材料、そしてミキサーも『プロローグ』と変えているんです。その土地にあったパンを作りたいですね。味や食感が微妙に違うので、両方の店に来てくださるお客様もいらっしゃるんですよ」
そんなお客様重視の考えは営業時間にも反映している。早朝の散歩コースの寄り道となっていることを知り、山本さんは営業時間を朝7時から6時へ変更。散歩の楽しみが増えただけでなく、朝食に焼き立てのパンが食べられると好評だ。

道路の反対側には風情漂う竹林が。四季折々の景色を楽しめる


ところで、「エピソード」という名前は最初から決まっていたのだろうか。
「もともと、死ぬまでに3軒、店をやりたいと考えていたんですよ。予定通り40歳で2店舗目を出したので、次は45歳でベーカリーレストランをやる予定です」
「プロローグ」オープンの際から、山本さんの中にはすでにシナリオが出来上がっていたという。ちなみに、3店舗目に予定しているベーカリーレストランの名前は、ご想像の通り「エピローグ」。広々とした一軒家で、焼き立てのパンに合うブラッスリー系の料理を出す。思い通りの料理を出すため、山本さん自身がこれから料理を勉強するそうだ。既にかなり細かい部分まで、イメージは固まっている。 人生のシナリオは誰もが描くもの、だが、それを実現するとなると難しい。

「いつか・・・と思っていたら絶対にダメ。逆算しないと無理ですね。何でもそうですが、自分との戦いですよ」
・・・正論だ。だが、辛くはないのだろうか?
「『エピソード』を軌道に乗せたら、ハーレーを買いますから(笑)」
冗談のように聞こえるが、山本さんにとって趣味は仕事の息抜き以上のもの。忙しくてそんな暇はなさそうに見えるが、バンドに大型二輪、さらに週に2日はジム通い・・・と、まるで仕事とのバランスを取るかのように精力的にこなす。
「やると決めたら、やり通す。それしかないですよ」
山本さんは、目標を公言し自らハードルを設け、適度なプレッシャーをかけ続ける。仕事も趣味も同じ。そうやって常に前へと駆り立てる原動力を、自分で作り出しているのだろう。

今回の主役となるピッツァ専用窯。専門店顔負けの味わい

そんな、男気のある山本さんを慕うスタッフは多い。活気溢れる店の雰囲気からも、チームワークの良さが伝わってくる。だが、ここにも山本流がある。
「スタッフには、世界に通用するような人間になって欲しい。だから正直、きつく言うこともありますよ。でも、自分の場合も、言われて嫌だなと思った人の言葉が、後で、ためになったということが多い。最近は、そういうふうに厳しく言われることが少ないでしょう?でも、チームワークは仲良しクラブじゃない。ダメなものはダメ、そういう一歩踏み込んだ付き合いじゃないと上手く行かない。そう思っています」
正しいけれど、相手が言われたら嫌なこと。それを言うためには、まず自分が出来ていなければ意味がないと山本さんは言う。だからこそ、今でも夜中の2時に厨房に入り、毎日2つの店でパンを作る。有言実行。胃に6つもポリープを抱えながら目標の40歳で「エピソード」を出した裏にもそんな男気がある。
山本さんの愛情はスパルタ式だ。厳しいことを言いこそすれ、誉めることは少ない。その代わり、スタッフを想う気持ちは、行動で現す。口には出さないが、数年前から週休2日制や社会保険の整備に躍起になっているのも、女性スタッフが多いからこそだ。
「結婚して数年経つスタッフも多いんですよ。本来は、結婚してからも続けられる仕事なのに、辞めざるを得ないのが今のパン屋の現状。だから、うちは子供がひと段落したら復帰できるようにしておきたいんです」
そんな無言の想いを感じ取っているのだろう。辞めるスタッフがほとんどいないという事実がそれを証明している。

桜並木を望むカウンターも併設。これからの季節にぴったり

経営、スタッフ、そして趣味と、すべてが順風満帆に見える山本さん。だが、
「職人になって23年目ですが、20年経ってやっと、パン屋をやっていて良かったと思えるようになりましたね」
と、ポロリ。人が羨む成功者という顔の裏には、苦労の積み重ねがある。
「成功にはまったく興味はないんですよ。人間として輝く、それが一番大切だと思っています」
だからこそ、山本さんは常に全力で挑むことができるのかもしれない。

「プロローグ」同様、溶岩窯でパンを焼き上げる。ふっくらとした独特の食感には、ファンが多いのも頷ける


すでに、45歳の「エピローグ」まで計画済みの山本さん。しかし、45歳なんてまだまだ若い!その後のことは何か考えているのだろうか。
「考えてないです。でも、60歳からは趣味に生きたいですよ」
と笑う。それはさておき・・・、
「今は2店舗の定休日が別なので、結局毎日売上のことを考える生活を送っています。そのせいか、対極にあるものに惹かれますね。この間カンボジアに行ったんですが、子供たちの瞳が本当に純粋で、キラキラ輝いているんですよ。心の利益というか、そういうものに、この仕事を通じて貢献していきたいですね」

「プロローグ」で人気の「ショウヘイ バゲット」と「ショウヘイ バタール」の姿も。国産小麦の生地を長時間発酵させた豊かな味わい


山本さんには信条がある。
テングにならないこと。そして、お世話になっている人のことを忘れないこと。

「とにかく仲間と一緒に何かするのが好きですね。人が好きだから、皆で作って、それを食べて喜んでもらうパン屋は、やっぱり性に合っているんでしょうね」

主演、脚本、監督、山本敬三。
そこには、彼を支える多くの“人”の存在が欠かせない。
そのステージでは今日もまた、新しいエピソードが生まれることだろう。 (2008.03)





パンステージ エピソード
住所 東京都町田市図師町1379-1
TEL&FAX042-703-9722
営業時間6:00〜20:00
定休日火曜
アクセス 町田駅北口 バスセンターよりバス(野津田車庫行き、「図師大橋」下車、徒歩30秒)、鶴川駅よりバス(野津田車庫行き、「図師大橋」下車、徒歩30秒)