「イルフェジュール」…インターネットで検索をかけると、とてもスタイリッシュなホームページが現れる。個人店でありながら非常に充実した内容で、そこには生ケーキを始め、焼き菓子にコンフィズリー、ヴィエノワズリーと、様々なアイテムが紹介されていた。その美しいケーキたちの姿に、次第に高まるイルフェジュールへの期待。そんなお菓子を作るシェフは一体どんな方なんだろう…? |
まわりはのどかな住宅街。フランス語で「新しい日の始まり」を意味する店名にふさわしく、柔らかなベージュ色に暖かなオレンジ色のファサード。フランスの国旗が掲げられた一軒家は、まるでフレンチレストランのようだ。 「よくレストランだと間違えて入って来られるお客様がいるんですよ」 そう穏やかに笑うのはシェフの宍戸哉夫さん。想像していたよりもたくましく大きな体つきは、高校、大学とラグビーを続けていたと聞けば納得である。しかし、そんなスポーツマンの宍戸さんがなぜパティシエに? 「実は、父親が菓子職人なんです。この場所で31年間『フレール』というケーキ屋をやっていたのですが、この『イルフェジュール』を始めるにあたって全く違う店として建て替えたんですよ」 子供の頃から身近にケーキのある環境で育った宍戸さんにとっては、パティシエになることはごく自然なことだったのだろう。しかし実際はそうでもなかったようだ。 「ずっとラグビーをやっていたので、将来はスポーツで生計を立てようと考えていたんです。でも私が就職する時期はちょうどバブルがはじけた頃で、同年齢の人たちは既にスポーツジムの管理職になったりしていました。そんな中に入っていってももう遅いと思いました。でも自分はサラリーマンには向かないし…だったら職人の道に進んでみよう、と始めは軽い気持ちだったんです」 そうして始めた就職活動で、「銀座レカン」のパティスリー部門に内定が決まった。そこから入社までの半年間、人手が足りないということで「銀座レカン」のレストランで手伝いをすることになった。 「厨房を任されたんですが、そこはまさに戦場のようでした。フライパンは飛び交いますし、狭い厨房を皆が走り回っているような状態。先輩、後輩の上下関係もきっちりしていて、体育会系なんです。食事も立ちながら済ませるし、みんな始発から終電まで働いていました。でも、やればやるだけ自分に返ってくる、そんな実力主義のところが『自分に合っている』と思いました」 苛酷な環境でありながら、宍戸さんはへこたれるどころか逆にやる気を奮い立たせた。その精神力はラグビーで培った部分が大きいのだろう。 「そこではパティスリーのスタッフとも仲良くなり、美味しいケーキ屋を教えてもらって食べ歩いたりしました。それまでの自分は甘いものが特別好きなわけでもなく、自宅にいてもケーキを食べるなんてことは滅多になかったんです。8食も9食も食事を摂っていたのに、とにかく質よりも量でした。なのに、ここで初めて『食という分野で、人に感動を与えることができるんだ』と知りました。他にソムリエの方とも交流があり、いろんな角度から味へのこだわりを感じることができ、その一つ一つの全てが新鮮でした」 就職後のパティスリーでは、サロン担当から始まった。そして2年後、やっとのことで工場に異動になったが、ライン生産には戸惑いを感じたという。しかしそれならと、宍戸さんは始発の電車で会社に向かい、始業時間までの数時間と就業後に毎日お菓子作りの練習を重ねた。そこには、それまで全くケーキを触ることができなかった2年間への焦りもあったようだ。飴細工も本を見ながらの独学。「早く先に進みたい!」そんな強い思いを抱き続けヤキモキした1年半。更なるステップアップを求め、思い切って会社を去ることにした。 |
その後、代官山の『パティスリー マディ』にオープニングスタッフとして入り、3年間勤務。 「ここでは一から教わりましたね。パントリーみたいな厨房でフランス語だけが飛び交っていて、最初は何をやっていいのか分からなかった。桜井シェフには厳しく鍛えられました。ケーキ作りにおける土台はマディで培われたと思っています」 すっかりお菓子作りに魅了されていた宍戸さんにとって、マディでの3年間は非常に大きなものだったのだろう。 そして次に宍戸さんが選んだのは、生菓子だけで200アイテムを扱い、卸し中心で4億も売り上げるような大きな会社だった。そこでは社長の右腕としてデスクワーク中心の勤務、睡眠時間はわずか2時間の毎日が続いた。カフェや飲食チェーン店のデザートから果ては犬用のケーキまで仕事内容は様々であった。 |
その後は、知り合いの店のオープニングを手伝ったり、運送会社でアルバイトをして「イルフェジュール」の開店に備えた。父親の店を継がなければ、という使命感は無かったそうだが、この地を受け継いでケーキ屋をやっていくことについては何度も父親と話し合って決定した。そして、店のデザインは図面を描くところから全て宍戸さんが担当。デザイナーに依頼せず自らの手で考えを形に表す。こんなところからも宍戸さんの店に賭ける想いが伺われる。 「この地域は有名なケーキ屋が多いんですよ。でも敢えてこの地で挑戦してみたかった」 父親の代からケーキ屋を営んできたとは言え、この界隈はケーキ屋の激戦区。店の個性を出すためのこだわりも随所に見られる。店に入ってまず驚いたのは、その品数の多さ。製造はわずか3名ながら、生ケーキ40種類、焼き菓子30種類が店頭に並ぶ。他にもパート・ド・フリュイや、毎週水曜日には10種類のヴィエノワズリーも色を添える。 「全てオリジナルです。以前働いていたお店で作っていたケーキと同じものは一つもありません。もちろんベースとなってはいますけど、一度全部分解してから新たなケーキを組み立てるんです」 そして素材選びについても。 「卵は朝採りのものを直接生産者から送ってもらっているんですよ。この卵はたまたま出会ったもので、本当にラッキーでした」 そう言って、その日の朝に届いたばかりの卵を一つ取り出し、皿の上に割ってくれた。オレンジ色の黄身はこんもりと盛り上がり、白身もしっかりと弾力がある。 「黄身と白身も簡単に分けることができますよ」 そう言って笑う表情からは、とても満足げな様子が伝わってくる。 「イチゴも栃木産のものが終わると同時に店から消えるんですよ。その代わりに今度は、リュバーブのタルトが登場します。以前からリュバーブを探していて『日本にはおいしいリュバーブは無いな…』と諦めかけていた2年前に、北海道夕張町産のものに出会ったんです。リュバーブのアクを取っているとイチゴに近いような香りがするんですよ。タルト生地についても薄力粉ではなくてフランスパンに使う『テロワール』という小麦粉を使っています。そうすると、次の日でもサクサクの食感なんです」 他にもゲランドの塩や、アーモンドプードルはスペイン産とシシリー産を配合、チョコレートについてはヴァローナを中心に7種類を使い分けるなど、シェフが納得のいくものを厳選している。出来合いのものは使いたくないと言うだけに、ナパージュも手作りである。お菓子のアイテム数を考えると、一つ一つにこだわりを持つのはきっと大変な時間を要するに違いない。開店から1年半、今までに2連休以上は取ったことがないそうだ。 |
そんな宍戸さんによって生み出されたフランス菓子は、ボリュームもフランス並み! 「他のケーキと一緒にいくつも食べるとか、おやつに食べるというイメージではないんです。食後のデザートの1品として食べてもらいたい。だからケーキを作る時には一つのキャンバスに絵を描いていく気持ちで、一つの作品だと考えています。パリのシャンゼリゼ通りにあってもおかしくないものを目指しています」 とは言え、「フレール」時代からのファンがいるのも確か。 「はじめは、昔からのお客様が離れてしまうんじゃないかという不安はありました。でもそんなお客様からの要望で、店に出しているケーキもあるんですよ」 そう教えてもらってショーケースを見ると、華やかなケーキに交じって、クマを模ったかわいらしいプティフールと素朴で温かみのあるロールケーキが並んでいた。これには違和感を覚えるどころか、ほっと心が和む。 「知名度はまだまだ低いですけど、美味しいものを地道にやっていきたい。それが結果に繋がってくると思いますから」 と宍戸さんは謙虚に繰り返す。しかし、今は週1日のヴィエノワズリーも毎日作りたいしグラスもやりたい、それに伴ってカフェスペースも設けたい…と、とても意欲的な面も覗かせる。 |
取材中、小学生くらいの女の子がお金を握り締めて店に入ってきた。 「うちの常連さんなんですよ。毎日ケーキを買いに来てくれるんです」 ケーキを選んでいる小さな常連さんを微笑ましく思いながら、宍戸さんの想いは確実に形となって現れているんだと心が温かくなった。 こうしてまた、宍戸さんの「新しい1日」が始まるのだろう。 |
イルフェジュール |
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住所 |
神奈川県川崎市麻生区下麻生2-29-8 |
TEL&FAX | 044-987-3120 |
営業時間 | 11:00〜20:00 |
定休日 | 月曜 |
アクセス | 小田急線柿生駅よりバス「麻生不動入口」下車徒歩1分 |
URL | http://www.ilfaitjour.com/ |