ミッドタウンに、ヒルズ、国立美術館・・・今をときめくスポットが立ち並ぶ六本木の街。摩天楼の谷間にそっと身を潜めるように構えた、小さなパスティッチェリア。足元の紺色の看板を見逃したら、すぐに通り過ぎてしまうような地味な店構えだ。
かつて、「エノテカピンキオーリ」や「アンティカ・オステリア・デルポンテ東京」など、有名店でシェフパティシエを勤めた磯尾直寿氏が2006年6月にオープンした、隠れ家のようなラボラトリー。余計な装飾はほとんど無く、大地にしっかり根を張った生命力のあるお菓子達がショウケースを飾る。伝統的なイタリア菓子やフランス菓子に、極めてシンプルながらも類稀で“イソオ流菓子”として新たな命を吹き込んだ、シェフの原点とは・・・?

六本木のビルの谷間に佇む、シンプルな外見のお店。



「子供の時に、父の仕事の関係でローマに住んでいて、通学路にお菓子屋が何軒かあったんです。憧れもあって、菓子を作りたいなって思っていて・・・」

少年時代のローマでの原体験は、大人になった今も鮮やかな“憧れ”のままなのか、磯尾さんの表情は自然とやわらぐ。

「料理やお菓子など、味覚的にも、その頃に経験したものは、今とてもプラスになっています」

お菓子が大好きだった少年は、同時に熱心なサッカー少年でもあり、学生時代はサッカー選手を志していたこともあったそうだ。 苦しくもそちらの大願は成就せず、グランドから離れ、レストラン界の門戸を叩いた磯尾さん。もともとは代官山のフレンチレストラン「パッション」に入る予定だったところを、堪能なイタリア語が気に入られ、エノテカピンキオーリですぐにお菓子をやらせてもらえることになった。やがて同店でシェフパティシエを勤める中で、イタリアと日本を往復する生活となる。その中で体得していくのは、イタリアと日本の“ギャップ”であった。

「行き来を繰り返す中で、食材の違いを実際に自分で作りながら調べるようになりました。粉の成分や、ひきの違い。あと、水はイタリアの方が硬度が高いから、日本の水だとだれちゃう感じがする・・・とまあ、そういったことを独学で解決していったんです」

鮮やかな色彩のマカロンは、サンドされたガナッシュクリームが特長。

しっかり焼きこまれた焼き菓子。製法はひとつひとつすべて異なる。


磯尾さんの作るお菓子で特に印象的なのは、粉の旨みを最大限に引き出した焼き菓子である。シュー皮も塩けが効いていて、バリッとした力強さがある。シェフ自身も粉使いは自分の強みだと語る。

「軽く仕上げたいものはバイオレットとゴールデンマンモスを使っていて、灰分の強いものはテロワールを使用しています。イソオの焼き菓子は、全て材料・製法の異なるものを出しているのが特徴的でしょうか」

粉のほか、バターもオーム乳業の発酵バター、低水分バター、タカナシの北海道バターと3種を使い分け、ナッツもマルコナ産アーモンド、シシリー産ピスタチオを使用するなど素材へのこだわりは強い。

日本では、「アクアパッツア」に2年ほど在籍していたが、そのときもドルチェ専門だったという。 磯尾さんの仕事場が一貫してレストランなのには理由がある。

「レストランの長所は、2人とか3人でやるので、最初から最後まで作業ができます。しかも、ロットが小さいから研究もしやすいですし、食材原価も気にしなくていい・・そういった部分で、レストランのお菓子が僕にとってはやりやすい部分だったんです」

しかし、磯尾さんの作るお菓子はイタリアンドルチェの枠には収まらない。マカロンなどフレンチもあり、独自のすみわけがなされているようだ。

ショウケースには約10種類の生ケーキが並ぶ。仕上げは非常にシンプル。


「もともと、イタリアにあったお菓子が各国に派生して行き、フランスでより昇華された感じになっています。でもそこには、お国柄やフランス人の好みがあって、当然バターがおいしいところではバターを使った焼き菓子が進化し、パリではマカロンが進化する。そんな時代の流れの中で、今、イタリア育ちの日本人が色々な国でお菓子を食べた上で、新たなものを提案していくのは自然なんじゃないかな、と思っているんです」

違いを認識した上でこそ、グローバルな見方ができる。そこに磯尾シェフにしか出せない答えが導かれる。つい最近までは、ショウケースのケーキ達に商品名はついていなかった。理由は、まだオープンして1年もたっていないので、定番商品が見えてこなかったこと。そして、お菓子にフランス語の商品名をつけてしまったりすることが、そのお菓子に固定概念を植えつけてしまうのを避けたかったのだという。しかし、お客さんの反応を見ながら、磯尾さんの考えは少しずつ変化していった。
実は、リピートしやすいようにと、お菓子達に名前がついたのは、取材に伺った日の前夜のことだったらしい。

イタリア語か、フランス語か・・・シェフは商品名に頭を悩ませた。


「今まで、お菓子屋として働いたことが無かったので、手探り・・・というかお客様の反応を見ながら少しずつよくして行こうと思っています」

堅実、ひたむき・・・という言葉がぴったりの磯尾さん、自分のこだわりはしっかり持ちつつも、お客さんの反応にはしっかり耳を澄ます。初めて行くと少し驚いてしまう隠れ家のような店にも、独自の考え方があった。

「あえて、わざわざ来ていただかないとわからない・・という立地も気に入りました。六本木ヒルズなど、人が集まる要素の300メートル圏内の裏通りというのが面白いかなと思ったし、いままで有名なお店で働いていたので、あまり人が押し寄せてくるのも好ましくないのではと思ったので。それに、ここだと、アンテナを張ってるお客様も近くにたくさんいらっしゃいますから」

最近では定番のシュークリームも人気が出てきて、数十個の予約が入ることもあり、磯尾さんの手探りの挑戦は、徐々に自信に変化しつつある。
じっくり、着実に・・・の精神は従業員への考え方にも及ぶ。

皮がバリっと焼かれたおおぶりのシューは、人気商品。

ケークは焼き色の部分の香ばしさが印象的。


「シェフを長いことしてきて、人を使う難しさを感じているので、そのためにちょっと忙しいことがあっても、意思疎通のできる人間とだけ一緒にやっていきたいですね。いいものを作って反響を得ていく中で、段階を経て人を増やしていく、またその人が育ったときにもう一人・・・とゆっくり少しずつ広げていけたらなあという考えでいます」

今後は、イタリア独特の揚げ菓子のラインナップや、パンや軽食などを出すイタリアンバールへの展開など構想は広がるが、あくまでも『お菓子で知名度をつけてから』とのこと。

ローマの街並みに立つ、甘い香りのする菓子屋に憧れを抱いた少年の夢は、やがて着実に枝葉を伸ばし、信頼できる仲間と共に実をつけ、いつか日本の地でイタリアンバールとして新たに花を咲かせるのかもしれない。
『独立を決意するきっかけとなった』という、磯尾さんのお子様が大きくなった頃、父親の焼く唯一無二の「イソオ流イタリア菓子」はどう写るのか。そして、どんな夢を抱くのか・・・。 六本木の片隅の簡素なパスティッチェリア。磨かれた小さなショウケースには、そんな大きな未来と可能性が並んでいるように思えてならない。(2007.4)




Pasticceria Isoo(パスティッチェリア イソオ)
住所 東京都港区六本木7-21-8-101
TEL03-3403-6711
営業時間10:00〜20:00
定休日日曜
アクセスウェブサイトをご参照ください。
http://www.isoo.jp/