昨年復活を遂げた世界的なコンクール「シャルル・プルースト」で、見事、準優勝の栄誉に輝いた日本人パティシエがストラスブールのパティスリーにいるという。
ストラスブールは、ドイツ国境に近いフランス北東に位置するアルザス地方の首府。とはいえ、最先端を行くパリとは違い、豊かな山々に抱かれ中世の面影を残す美しい街並みは、訪れるものをゆったりとした気持ちにさせてくれる。旧市街をぐるりと囲むイル川のゆるやかな流れに沿って歩を進めた静かな場所に、目的のパティスリー「クブレ」はあった。


時間までゆるやかに感じるイル川の流れ ノエルのディスプレイが華やか

訪れたのは、昨年12月初旬。ノエルが一番美しい場所と言われるアルザスでは、店々が競うようにして思い思いの装飾で店を飾っていた。「クブレ」のショウウィンドウには、イエス・キリストに羊たちといった伝統的なノエルのディスプレイ、そして12月4日のサンニコラを祝う“マナラ”(子供の形をしたパン)に、黄金色に焼き上がったクグロフが並ぶ。常連らしい人々が、サロンで雑誌を片手にのんびりカフェとケーキを楽しんだり、お気に入りのケーキを買い求める姿は、昔からずっと変わらない、皆の大好きな町のケーキ屋さんといった風情だ。

ぷっくり焼きあがったマナラ。
どこから食べるかで性格がわかるかも・・・?


クラシックで重厚感のあるノエルのディスプレイ


この店のオーナーAntoine Hepp氏は、M.O.Fを持つ生粋の職人。その彼が、日本人パティシエの浅見欣則氏の技量とセンスを認め、今では店に並ぶケーキの味からデザインまで、すべてを浅見氏に任せているのだという。

M.O.Fだけでなく、ルレ・デセールの会員としても名を連ねるHepp氏 ケーキやタルトのほか、ショコラに焼き菓子と幅広い品揃え


「日本を出てからもうすぐ丸6年になります。この店に来る前は、小さい町にあるM.O.Fのパティスリーやリュクサンブールのレベーという店にもいたんですよ」

穏やかでまっすぐな眼の浅見さん。そして、まるで自慢の息子を見守るかのように、やさしく、誇らしげなHepp氏の表情が心に残った。安心して任せ、その期待に精一杯応える、そんな信頼関係が2人の間には築かれているようだ。

師弟というよりも、親子のような雰囲気の漂う2人


コスモポリタンなパリとは違い、保守的で伝統を重んじる気質が強いと言われるアルザス。いわばよそ者である浅見さんにとって、ケーキの味作りで苦労したことはなかったのだろうか。

「たしかに、パリとは違います。ただ、4,5年前から、パリなど外へ修業に出てアルザスに戻ってくるというパティシエが増えたせいか、変化が生まれてきているんです。伝統的なスタイルや味は大切にするけれど、新しい食感や香り付けをするといった具合に。例えば、アルザスの代表的な伝統菓子“クグロフ”も、ドライフルーツの配合を変えて食べやすくするなど、若い人に受け入れられるような味に変化してきているんですよ」

バター控えめのブリオッシュ生地にレーズンの風味を加えたクグロフ 見ているだけで楽しくなる表情豊かなマジパンが並ぶ


「クブレ」も、シェフが浅見氏に代わったことで、品揃え自体を変えているわけでない。むしろ、フリュイ・デギゼなどマジパンを使った手の掛かる伝統菓子も置いているほどだ。だが、見かけに反して、その味わいは流行の味を食べなれた舌をも唸らせるものがある。

「ただ、ケーキのサイズだけは大きくないとだめですけどね(笑)」

そう聞いてショーケースを見ると、パリや東京の1.5倍はありそうなケーキが並んでいる。

「アルザスでは料理など全体的にボリュームがあるんですが、ケーキも型自体が大きいんです。だから、これだけはなかなか変えられないですね」

そう聞いて、前の晩に食べた料理が目に浮かんだ。名物料理“ベックオフ”や“シュークルート”など、アルザスには肉やジャガイモをたっぷり使ったボリュームのある料理が多い。そんなアルザス人気質はそうそう変えられるものではないようだ。

ケーキはもちろん、ショコラのサイズも大きめ。気取らず食べられるのがうれしい



確かに、アルザスは、あのクリスティーヌ・フェルベール氏やピエール・エルメ氏を生み、お菓子の聖地とまで称される場所だ。だが、シャルル・プルーストコンクール準優勝という実力を持つ浅見さんだったら、パリや世界に挑戦したいという気持ちがあるのではないだろうか。

奥のサロン・ド・テでは、ゆったりとケーキを楽しめる

「人も環境も含めてこの土地が好きなことはもちろんですが、とにかく素材が素晴らしいんです。生クリーム、小麦粉、フルーツ・・・、どれも質が良く、しかも安い。例えば、小麦粉は近くにある製粉会社で挽いたものですし、生クリームも牛乳も当然アルザス産のもの、本当に味が全く違んですよね。ですから、ほとんど全てアルザスでとれたものを使っています。きっと、こういう環境だからこそ、フェルベールさんのような人が世界中の人を魅了できるんじゃないかなと思うんですよね」

とにかく美味しいケーキを作り、食べてもらいたい。目を輝かせてそう話す浅見さんの姿には、お菓子を愛する純粋な気持ちが溢れていた。

華のある浅見さんのケーキ。コンクールには、ヴァカンスの時期を利用して、積極的に参加しているそう

浅見さんの作るケーキは、一見すると味が濃厚そうだ。しかし、口に入れると、驚くほど軽やかに溶け、素材の力強い味わいが溢れる。輪郭のはっきりしたキレのある味わいには、技術はもちろんだが、素材にもどうやら秘密がありそうだ。

「よかったら、味をみてみますか?」

私たちの気持ちを察したのか、そう言って厨房から持ってきてくれたのは、ポリバケツのような容器に入った“Alsace Lait”というブランドのこの土地の牛乳。興味津々で口に運ぶ・・・。「甘い!」、最初に感じたのは、濃厚な甘み。水のようにサラッとして軽い口当たりなのに、コクのある甘みが口いっぱいに広がる。何も考えず、体が素直においしいと感じる味わいだ。

アルザスらしいイラストがかわいらしい“Alsace Lait”の牛乳。ポリバケツスタイルがアルザスの定番だそう

「おいしいでしょう?これは、アルザスのパティスリーで一般的に使われている牛乳なんです」

特別なものではないのにこの味わいとは、アルザスの素材の良さを思い知らされる。

「それから、これはオーナーの親戚が経営する酒造所のキルシュなんです。一口いかがですか?」

アルザスで採れたさくらんぼから作られるキルシュは、まるで初夏の風のように甘く爽やな香り。だが、口に含むと、グングン味が深まり、まるでブランデーのようなふくよかな味わいが広がる。

旬の味を丁寧に作ることで生まれる、爽やかさと深さ。このまま飲んでもおいしい

浅見氏は、この味を活かすため、サントノーレのクリームにたっぷりとキルシュを使う。酔っ払ってしまいそうなほどの強さだが、その奥深い香りと生クリームのミルキーなコクが生み出す風味が夢見心地にさせてくれる。生クリーム、クレームパティシエール、そしてシュー生地とフィユタージュ、というシンプルな味わいだけに、キルシュが嫌味なく引き立てられているのだ。一口ごとに立ち上る芳醇な香りは、一度食べたら忘れられない。一般には香り付けとして少量を使うことがほとんどだが、せっかくのキルシュのおいしさを伝えたいという、素材主義ともいえる浅見さんのポリシーが表れている。

クリームが驚くほどたっぷり!甘さを控え、キルシュの香りを際立たせた一品

「お菓子を作る際に常に心がけているのは、とにかく素材の持つ良さを引き出すこと。活かすも殺すも、作り手の加減ひとつだと思っています。例えば、アーモンドプードルは店で挽いたものを使っています。やっぱり挽き立ては香りと風味が全然違いますね。フランスではほとんどの店でそうしているんじゃないでしょうか。それから、フルーツは旬のもの以外は使わず、味が落ちたらスパッと切り替えるようにしています。お客様もそれを受け入れてくれるので、これも日本とは違う点かもしれませんね」

あまり複雑な構成にはせず、素材の味を最大限に引き出したケーキが好きだという。だからこそ、素材の宝庫であるアルザスの地を選んだのかもしれない。

ピスタチオ、アーモンド、ノワゼット、3種のナッツのボンボン。自家製プラリネならではの香ばしさと深い味わいに感動!


「将来ですか?やっぱり、フランスで店をできれば良いですね」

と浅見さんは穏やかに微笑む。修業でフランスを訪れるパティシエは多いが、実際にその地に留まる人は少ない。だが、浅見さんなら、自然体のままアルザスの地に温かく迎えられるような気がした。


周りから愛され、その気持ちに美味しいケーキを作ることで応える。
お菓子の聖地で出会った日本人パティシエは、自分ではない誰かのために、これからもお菓子を作り続けるだろう。




Kubler
29, Avenue des Vosges
Tel: 03.88.35.22.27




〜Heppさんに厨房を案内していただきました〜


Kublerは、スタッフは厨房が12人、販売が6人の計18人。朝6時から厨房に入り、3時頃には仕事を終えるそうです。ノエルの忙しい時期というのに、“せっかく日本から来たのだから”とHeppさんは奥の厨房まで案内してくれました。

まるで宇宙人のように見えるのは、マナラの生地。
元々は、こんなにほっそりした形なんですね!


通路のような作業スペースには、計量用の分銅やパイシーターが。
この先に、広い厨房があります。


ノエルのディスプレイ用に星の飾りを作っているところ。
ホワイトチョコレートをシート状の型に流しいれていきます


ちょっと珍しいマシンを発見!
これに生地を入れれば、あっという間に生地が分割できてしまうという優れもの。
かなり使い込まれています