東京ミッドタウンや新丸ビルなど超巨大商業施設のオープンや百貨店の改装が相次ぎ、国内外からの新店が、マスコミを賑わせていたちょうどその頃、あるシェフが東京に進出するというニュースが入ってきた。
惜しまれつつ閉店した福岡の名店「パティスリー・フレ」の木村成克シェフがやってくる。――そのニュースは、多くのスイーツファンにとって“復活”という言葉がふさわしい、胸の躍るような報せだったに違いない。しかし、その噂が現実となって私たちの目の前に現れるまでには、しばらくの時間を要した。
そして、待望の日はやってきた。2007年10月25日、「ラ・ヴィエイユ・フランス」がオープン。木村成克シェフのケーキ達が、東京・千歳烏山の地に“復活”を遂げた。

店名はパリの「ラ・ヴィエイユ・フランス」を継承。看板に掲げられたPARIS/TOKYOの2文字に、東京にパリのエスプリを伝えようという木村シェフの決意を感じる


1963年、大阪生まれ。神戸ポートピアホテルでパティシエとして勤務していた22歳の時、技術指導で来日していたパリ「ラ・ヴィエイユ・フランス」のオーナー、ルネ・エルマビシエール氏との出会いが第一の転機となった。本場フランスの技術を初めて目の辺りにし、大きな衝撃を受ける。

「キムラ、フランスにこないか?」

このルネ氏の一言がすべての始まりだった。
今まで漠然と描いていたフランスへの夢が、現実になる。24歳で木村さんは渡仏し、その後11年間、計4店のフランスの菓子屋を渡ることになった。その間に日本に帰国したのは、たったの2回、である。

「何の躊躇も無かった。ただ、好奇心だけが先に立っていました」

ストラスブールの「ネゲル」で1年半の勤務後、パリに渡って「ラ・ヴィエイユ・フランス」で約2年半。今は亡き恩師であるルネ氏の元で、フランス菓子技術と職人としての心構えの全てを叩き込まれた。その後、リヨンの「ベルナシオン」、ミュールーズの「カプリス」の2店でショコラを学ぶ。

1カットで1.5個のリンゴを贅沢に使ったタルトタタン(¥450)は、ベルナシオンで学んだもの。オーブンで4〜5時間、生の状態からゆっくり煮詰めていく。中まであめ色に火が通ったリンゴが蕩けるおいしさ


その土地に馴染むためには、自分のバリアを取り去り相手に受け入れてもらうことが大切。木村さんは正道会館で鳴らした空手の如く、どんどん相手の懐に入っていった。どこでも生活していける術は、菓子技術以外にフランスで学んだ大きな知恵だという。

「人の暮らし方には二通りあると思うんです。ひとつは、ずっと同じ場所に住み着いて、その土地のスペシャリストになる人。そして、色んなところを渡り歩いて、比較論で物事を観る人。僕は完全に後者です。様々な土地の良さとか、人の良さを肥やしにして生きていくのはすごく楽しい。フランスで働いているときはいつも、次はどこで働こうかって考えてました」

そんな頃、再びルネ氏から、「シェフという形で、店に戻ってこないか」という連絡が来た。かくして、パリ六区の名店「ラ・ヴィエイユ・フランス」に初の日本人シェフ・パティシエが誕生した。

ボルドレー(小¥1,000/大¥1,400)は、ラ・ヴィエイユ・フランスの先代から受け継いだルセットから。タルトに敷きこんだアーモンドローマッセと卵白のしっとりとした生地に、リキュールに漬け込んだオレンジピールが爽やかに香る


フランスの地でシェフパティシエとして働くも、「このまま“雇われ”でやってくのか・・・」という考えが頭をもたげた。やはり自分の店を持ちたい、その思いが木村さんの中で大きく強くなっていった。

「一時は、日本に戻らず、渡米してアメリカに住んでいる従兄弟といっしょに店をやろうとしたこともありました。でも共同経営というのは難しく、結局断念しました。ならば、日本でどれだけ自分のフランス菓子が受け入れられるのかを試してみようと、帰国を決めたんです」

帰国後、「シェ・シーマ」から声がかかる。シェフを勤めるも、やはり雇われの身では制約もあり自分の思うようなお菓子が作りにくい。そんな中、偶然にも木村さんの菓子を食べた、ロイヤル(ロイヤルホールディングス株式会社)の社長から「フランス菓子をやりたいから、福岡に来て欲しい」という話が入った。  

福岡へ渡り、「パティスリー・フレ」が誕生する。オーナーでこそなかったが、そこでは木村さんの味に惚れ込んだ社長のもとで、遺憾なく才能を発揮することができた。しかし契約期間の5年が終わろうとしていた頃、木村さんが「親方」と呼び慕っていた社長が、亡くなった。

ショウケースには、“基本を忠実に”作り上げた想いの全てが並ぶ。クラシカルだが、最後の一口まで存在感のある味わいは木村流


「いろいろなことが重なって、フレを閉めて独立することを決めました。何度も挑戦してきたけれど、誰にも影響を受けないっていうのは不可能だった。表現することを第一に考えたとき、最終的には自分で店を持つしかなかったんです」

まず、場所を選ぶのに悩んだ。福岡か、実家のある関西か、あるいは・・・東京か。福岡は食べ物もおいしいし、文化レベルも高い。人もいいし、何をするにも不都合はない。ただ、お菓子に対する発想は自分が求めているものとは違うと感じていた。

「家内に相談したら、『何を迷っているの?あなたのやりたいことは東京でしかできないでしょ?』と。そのひとことに、背中を押されました」

しかし、出店は思うように進まなかった。当初の予定では、新浦安に本店を7月にオープンし、続いて、お台場にアイスクリーム専門店として2号店を出店。・・・のはずが、契約上の問題で新浦安の物件がふいになってしまい、お台場店が9月15日に先立ってオープンし、本店はそれを追いかける形となってしまった。

「お台場店の菓子やジャムを作る場所が無くなってしまったので、業者の厨房を借りたりして、大変でした。千歳烏山に物件を決めてからは、店舗は後でいいから、まずは厨房を作ってくれということでお願いして、お台場の商品を作りつつ、開店準備を進めました。とにかく一日でも早く本店を開店させたいという思いがありました」

ラ・ヴィエイユ・フランス―― フランス語で“古きゆかしきフランス”という意味。言葉とイメージのつながりは大切だ、と木村さんは語る。自分で選んだ言葉に対して責任を持つ意味でも、店名に即した店作りをしなければならないと思った。アンティーク調にして手作り感を出すなど凝ったものにしたため、予想以上に手間がかかり、着工から完成までは2ヵ月半を要したという。


柱は全てインディアンの住家の廃材を使用。家具もニスや焼き色を付けて仕上げ“古きゆかしき”を表現。新店とは思えぬ重厚感は木村さんの菓子とも良く合っている


ついに念願の本店が出来上がった。新しい厨房には、フレ時代から木村さんを師事するスタッフ達が顔をそろえた。ほぼ全員が、上京は初めて。生粋の福岡っ子ばかりだ。

「僕も、外国に住んで初めて日本の良さが分かった。違う土地で暮らしてはじめてわかる良さもある。これは仕事の面でも人生の面でもチャンスだと、そう思って欲しかった」

新生「ラ・ヴィエイユ・フランス」のスタッフは総勢11人。うち厨房は6人。お台場店の焼き菓子などの製造も担う為、トータルのアイテム数はかなりのものになるだろう。それでこの人数では、随分少ないような気もするが・・・。

「厨房は、10人くらい働ける予定で作ったので、今の人数だとかなり広いと思います。ただ僕は、労働時間を短くしたいと思っているんです。狭いと労働時間に関係してくる。広ければ、同時に作業が出来たり、ストックできたり、機械が入れられる。理想は少数精鋭のスタッフで、12時間で完結できるような仕事をすることです」

販売員もフレ時代のスタッフから。磨きこまれたショウケースと丁寧なケーキの説明に、スタッフひとりひとりの店への愛情が伝わる


オーナーになっても、あくまで職人でありたいという木村さん。パリのラ・ヴィエイユ・フランスで、オーナー兼職人だったルネ氏や、多くの“師匠”達に自分が叱咤激励されて教え込まれたことを、自分もスタッフに指導していきたいという。

「ひとつは、基本を大切にすること。それを無視してやってしまうと、絶対に長続きしない。長年、続けてきた“師匠”達は皆ベースを大切にしています。パティスリーの表面的な新しい部分は時代でどんどん変わっていくけれど、土台を無視すると自分の商品を考えることはできないと、若い子達に言っています」

新作のマリアージュ(¥440)は、トマトの酸味とフロマージュムースの乳風味が優しく絡み合う。新しい味の組み合わせでも、揺るぎない基盤の上ならば、難しい素材同士も高位置で調和する


「そしてもうひとつは、物を無駄にしないこと。たとえば、ショーソン・オ・ポム。フィリングはタルトタタンのリンゴの残りを再加工して使っているんです。これもパリのラ・ヴィエイユ・フランスで教えてもらったこと。これを使うと感動的においしくなるし、無駄が出ない。再加工の技術はフランスに学ぶところがたくさんある。それは全て物を大切にするという考えのもと、伝統的に行われていることなんです。日本では、敬遠される風潮がありますが、その良し悪しを判断する為に、僕らはキャリアを積んでいるといっても過言ではないと思う。スタッフを連れて、苺狩りや乳絞りにも行くのですが、それも物を大切にするための重要なイメージ作りになるんです。一緒に働いている人達には皆、モラルのある社会人になって欲しい。お菓子屋さんになる以前に人として大切なことを理解して欲しい。だから物を捨てることは絶対に許しません」

ショーソン・オ・ポム(¥360) 
発酵バターの香りが力強く立ち上るフィユタージュを齧ると、中からキャラメリゼされたリンゴがトロリ。パリ修業時代、そのおいしさに感動したヴィエノワズリのひとつ



木村シェフのケーキの特徴は、なんといっても記憶に刻まれるような濃厚な味わいだ。ザクッとフォークに力が要るほどしっかり焼きこまれたタルト、どっしりとしたバタークリーム、強く長いショコラの余韻。気迫さえ伝わるケーキは、食べる側にも覚悟が必要だ。

「つい先日も、年配の方から『おいしかったわよ、こういうのは難しいと思うけど、曲げずに頑張って』という激励のお言葉をいただきました(笑)。フランスでは、料理でも菓子でも「これを食べさせる」っていう作り手の意思がストレートに伝わるような味の作り方をするんです。昔、とある九州のケーキ屋に『1個食べたらもう1個食べたくなるようなケーキじゃなくちゃだめだ』っていわれたことがあるんですが、僕は違うと思う。ひとつのお菓子が来たとき、その存在価値をきちっと表現し、食べ手を満足させて完結させるのがプロの仕事だと思っています」

コンベルサシオンに、ミルリトンにサンマルセラン・・・まだ店には並んでいないが、作りたいお菓子がたくさんある、と木村シェフは眼を輝かせる。どれも、パリ修業時代の思い出のお菓子だ。
めざましい進化を続ける東京のパティスリー界に、「古きゆかしきフランス」がどっしりと根をおろした。11年間のフランス修業、そしてシェ・シーマ、フレなど名店でのシェフ時代を経た今、いよいよ期は熟し、「木村」流のフランス菓子が東京に開花する。
ここに結実したフランスの「伝統」と「基本」に感謝して、最後のひとかけらまで食べよう。
(2008.1)



ラ・ヴィエイユ・フランス
住所東京都世田谷区粕谷4-15-6 グランデュール千歳烏山1F
TEL03-5314-3530
FAX03-5314-3531
営業時間10:00〜19:30
定休日月曜(祝日の場合は翌日)
アクセス京王線・千歳烏山駅下車徒歩8分