新食感や斬新な味の組み合わせなどの流行りものがもてはやされるいっぽうで、いつの世にも変わらないお菓子がある。伝統菓子とか郷土菓子とか呼ばれているものがそう。古くから人々に愛され続けている、いわば地味なロングセラーだ。
「そういう素朴なお菓子が好きなんです。奇をてらったものよりも」
とル リスの須山真吾さんは断言する。つい最近もフリュイ・デギゼを店頭に並べたばかり。 「これはマジパンにフルーツやナッツを乗せてシロップにくぐらせたもの。例えばプルーンならプルーンの形に、クルミならクルミの形にと使うフルーツやナッツに似せて形作るのがポイントです。こういうお菓子が広まってくれると嬉しいですよね」


フリュイデギゼ。クルミ、ヘーゼルナッツ、パイン、チェリーなどの素材とマジパンを合わせたフランスらしいコンフィズリー。このお菓子には味の濃いマルコナ産のアーモンドを使用


他のラインナップを見ても、並んでいるのはがっちりとしたフランス伝統菓子。ここまで潔いと、さぞかし堅気で近寄りがたくて・・・なんて心配してしまうけれど、当の須山さんはとても気さくで優しい。
「カリソンとかもやりたいなあ。でも、売れないんですよね・・・日本では」
と笑顔で話す。聞けば聞くほど、伝統菓子一筋!なのに、気負いのようなものは感じられないのだ。


しっとりとしたアーモンド生地に酸味が爽やかなカシス&フランボワーズのクリームを挟んだ、デリス

仕上げにラムをふりかけて香りづけしたサヴァラン、しっかり焼きこんだミルフイユやタルト・オ・フリュイなど、どれも芯のある表情

パウンド型のブリオッシュナンテールと筒型のブリオッシュムースリーヌ。ブリオッシュのアレンジ版があるのは珍しい


須山さんは島根県出身。サラリーマンにはなりたくないとの想いから、高校卒業後、地元の和菓子屋に就職した。ところが、配属されたのは和菓子屋の中にある洋菓子部門というちょっと意外な展開に。でも、これがよかった。
「面白い!って。洋菓子の世界にはまってしまいました。それで、洋菓子ならやっぱり洋菓子屋に行かないと。そう思い立って、和菓子屋は4ヶ月で辞めてしまいました」
同じく地元、島根の洋菓子屋に移り、パティシエとして再スタート。ここで暫く学んでいくうちに、須山さんの中で新たな目標がフツフツと沸いてきたそうだ。“いつかは東京か大阪にいこう!” 本格的に学ぶならやはり東京か大阪しかない、そう思うようになっていたという。そして、4年程が過ぎた頃、ついに、ある店の存在を知ることになった。
「東京の下高井戸にあるノリエットです。専門誌に載っているのを見かけて、“ここだ!ここしかない!”ってピンときて。東京で働いた経験のある先輩に話を聞いたりもしていたので、自分の中でどんどん盛り上がってしまったんです。で、『ノリエットで働きたいのでやめさせてください』と挨拶してお店を辞めました。本当は何も決まっていなかったのですが(笑)」


キャラメルクリーム入りのエクレアにフォンダンがけした、エクレール・オ・キャラメル

ヨーグルト入りフランボワーズムースとバニラムースの2層を楽しめるアプロディテ(左)と、オレンジリキュールの効いた大人のためのチョコレートケーキ、チュニス(右)


東京に出てアパートを借りて、早速、ノリエットへ。しかし、ことはそう簡単には進まなかった。ノリエットといえば、全国的に知られる有名店だ。当然、修業を希望する人も多い。“何人も先約がいるのでいつ厨房に入れるかは保証できない”そう告げられて一旦は引き下がったものの、やはり諦めきれない。“すぐに厨房に入れなくてもいいので働かせてほしい”と食い下がり、ようやくOKをもらった。さて、憧れのノリエット、現実にはどうだったのか。
「始めの1年は販売スタッフを経験して、その後厨房へ入ったのですが・・・環境が全然違うんです!例えば、生地の仕込み担当、生菓子担当、窯担当という感じできっちりとセクションが分かれていることにびっくりしました。おかげで、自分の仕事に集中することができるし、もっと頑張って次のセクションに行こうって精神面も鍛えられる。仕事の流れが良くなると自分自身がこうも変わるのかって。衝撃的でした」


マンゴー、ライム、桃、パッションをブレンドした夏向きのエキゾチック(左)と、ヘーゼルナッツとショコラのシックな組み合わせ、ノワゼッティーヌ(右)

カカオイエ。3種のチョコレートムースとバニラムースをグラス仕立てに

フランス菓子というものの本質を知ったのもこの時だ。
「永井シェフがよく言っていたんです。“フランス菓子屋にはこうあるべき姿がある”って」
日本の菓子屋は子供も大人も食べるのが大前提。だから軽くて柔らかい、食べやすいお菓子が受ける。あくまでも主体はお客であり、店側もお客の好みを反映することが多い。ところが、フランスでは事情が違っていて、お客もお店も対等なのだそうだ。“お客に好まれるから”作るのではなく、“自分がいいと思うから”作る、それがフランス流。
「だから、単純に“売れるものをつくろう”という発想はシェフにはありませんでした。何より大切にしていたのは、フランスの食文化を日本の人たちに伝えること。“フランス人にとってのフランス菓子は料理の延長線上にあるものなんだ” “フランス菓子は子供のおやつではなくて、大人が愉しむためのものなんだ”そんなことをいつも聞かされてきました。厨房で時間が空いたときはもちろん、飲みの席でも(笑)」
食べたり飲んだり話したり。永井シェフはスタッフとそういう時間を共有することが多かった。真面目に語り伝えることもあれば何気ない雑談で盛り上がることもあったという。きっとシェフは、テクニックやレシピ以上に大切な“想い”を伝えたかったに違いない。


店内は焦げ茶が基調で落ち着いた印象。
お菓子の型やフランス小物などをさりげなくディスプレイ



「後に永井シェフがビストロ『ル・プチ・リュタン』を開いたのも、フランス菓子は料理と切り離せないという想いがあったから。フランスのパティスリーではケーキ以外にもショコラ、コンフィズリー、グラスなどはもちろん、お菓子以外のパンやトレトゥール(惣菜)なども置いてあるのがごく普通のこと。ビストロを開くことでノリエットでもトレトゥールを出せるようになり、ようやくシェフの目指していた“フランスのパティスリー”の姿になったようです」


ショコラは専用のショーケースの中に。キルシュやウイスキー入りのボンボンはカラフルなラッピングが目を引く。お土産にはもちろん、一粒から購入できるのも嬉しい

フランスのパティスリーでは定番のヌガーも。ショコラ、蜂蜜など3種類が楽しめる


フランス的なお菓子の捉え方や濃厚な味わいに、大いに刺激を受けた須山さん。ノリエットで7年ほど修業した後は、自由が丘のオリジンーヌ・カカオへ。ここで2年ほどを過ごした。
「ショコラのことをもっと知りたいって、そう思っていました。でも、実際に入ってみると予想以上に大変で・・・」
ショコラの知識はある程度あった。仕事の流れも大きな違いはなかった。ところが、アプローチの仕方が全く違っていたという。
「料理人の経験もある永井シェフは、どちらかといえば感覚的に作る方。いい意味でアバウトさがありました。でも、オリジンーヌ・カカオの川口シェフは対極に位置する方。配合を考えるときなどは全てを分解して、分子レベルでものを考えていくんです。あまりに違うので始めはかなり戸惑いました。とはいえ、わかってしまえばかえってやりやすいし、いろいろなものに応用が利くんです」
チョコレートの種類やカカオ分を変えると他の配合はどう変わるか。ある素材と素材をどんな割合にすれば乳化できるか。オリジンーヌ・カカオを辞めてル リスをオープンする時にも、その発想が役立ったようだ。


自分が好きなクリームものを主役にした、ルーヴル。形状がルーヴル美術館のピラミッドに似ているところから命名


素材としてのチョコレートが好きという須山さんに、ル リスのお勧めを挙げてもらった。
「ルーヴルというプティガトーです。これはザッハトルテの生地に似た濃厚なチョコレート生地の上に、チョコレートのクリームを乗せたもの。クリームは、カカオ100%のカカオパートを2種類ブレンドしてガナッシュを作り、そこにスイスメレンゲを合わせています。チョコレートを使ったものはどうしてもしまりやすいのですが、スイスメレンゲなら目がしっかりしているからつぶれにくいんです」
ふんわりなめらかなクリームはカカオの苦味と酸味の余韻が心地よい。チョコレートの生地とクリーム。シンプルな構成だから素材の味がストレートに伝わるのだろう。意外なのは、予想していたよりもずっと、食べ後が軽いこと。いかにもどっしりしていそうなのに、何故?
「味のメリハリをつけつつ喉越しは軽く、というのが理想です。例えば生クリームは脂肪分低めの35%のものを使用したり、チョコレートのムースなら卵黄を入れないでキレを出したり。ムース用の生クリームを泡立てるときにも、立てすぎると脂っぽく感じてしまうので5〜6分立てで加えるだけでもずいぶん違うんですよ」
ショーケースに並ぶのはフルーツやチョコレートを使ったムース、しっかり焼きこんだタルトやパイ、エクレアやバタークリームを使ったケーキなど。クラシックなフランス菓子が中心だが、食べ心地を軽くしたりサイズを小さめにするなどの工夫を欠かさない。今の時代に合わせてさりげなく進化しているから、気軽に楽しめるのが嬉しい。


間にアーモンドクリームとラムレーズンを詰めた、ガトーバスク

サブレバスクにはフランス産の甜菜糖を使用

“いい男”という名のオレンジのサブレ、ボンノム

ナッツとフルーツをぎっしり詰めた、タルトマンディアン

ノリエットで開眼した伝統菓子への想いも健在だ。バスク地方の銘菓、ガトーバスクやサブレバスク、南仏にあるバランスの銘菓、ボンノムといった焼き菓子や、フリュイデギゼ、パート・ドフリュイ、ヌガーといったコンフィズリー・・・。どれも地に足の着いた揺るぎないものばかり。
「ベーシックなもの、素朴なものが好きだから」
と話す須山さんからは、流行りものを追いかけようという急いた姿勢は見られない。
「自分たちのペースでゆったりと好きなものを作っていけたら、と思っています」
駅から歩いて20分という場所を選んだのも、あえてのことのようだ。


クロワッサンザマンド、ショーソンポム、クグロフにクイニャマンなどのヴィエノワズリは、窓側の光が差し込むコーナーに




ところで、ずっと気になっていたのが、「ル リス」(百合)という店のネーミング。フランス菓子や伝統菓子に由来しているようには見えないし、地名とも違う。水を向けると、ちょっと照れくさそうに、でも毅然とした答えが返ってきた。
「妻の名前が『百合子』なので、百合という言葉を入れたくて・・・。1つしかない百合という気持ちを込めて、定冠詞のルを頭につけました」
ノリエットで共に働いた百合子さんは、いわば同士とも言える存在だ。自分の好きな人や好きなものに囲まれてこそ、須山さんのお菓子は生きてくるに違いない。


ケーク・オ・プリュノー。食べ飽きない素直な味わいは、日々のティータイムにぴったり

「ほら、ちょうどケークが焼けました。この焼きっぱなしの素朴な表情がとても好きです。本当はオーブンの中もずっと眺めていたいくらい(笑)」
須山さんの愛情を一心に受けて生まれてくるお菓子たちは幸せだ。もちろん、その想いを受け取る、私たちも。
(2010.08) 







フランス菓子 ル リス
住所 東京都三鷹市下連雀1-9-16 KENTビル1F
TEL0422-70-5002
営業時間10:00〜19:00
定休日火曜
※8月16日〜20日まで夏期休暇あり
アクセス JR中央線 吉祥寺駅南口よりバス「武蔵境駅行き」などにて「下連雀」下車すぐ。またはJR中央線 三鷹駅南口よりバス「久我山行き」にて「下連雀」下車徒歩2分
URL http://lelis.p-kit.com/default.html




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