武蔵野の自然が残る、静かでのどかな街。そんなイメージを抱きながら、JR中央線の西国分寺駅から歩く。街道沿いに大きなマンションが立ち並ぶさまは、まさにベッドダウンといった感じ。けれども整備されすぎていない環境や、辺りに大きな公園や自然散策スポットが点在しているせいか、不思議と素朴で飾らない雰囲気が漂う。10分ほど歩くと「みのりの歩み」に到着した。“国産小麦と天然酵母をメインに”とうたい、今年、2009年4月にオープンしたブーランジェリーだ。



早速、シェフの前川幸太郎さんにお薦めのパンについて尋ねると、
「『みのりブレッド』という食パンに、クリームパンやメロンパン、それからドーナツやピッツアもいいですよ」
との答え。ん?!それって菓子パンとか調理パンがいいということ? 国産小麦で天然酵母というから、てっきりハード系などのシンプルなものが多いのかと・・・。
「うちではハード系はほとんどやっていないんですよ。最近、いくつか出すようにはなっていますが」
これはちょっと意外な展開。なにやら秘密がありそうな予感・・・?!


国産小麦100%の「みのりブレッド」。
もっちりしっとりの食感が魅力



自家製カスタードがたっぷり入った「クリームパン」


その日仕込んだ新鮮素材で作る「本日のピザ」


「ツイストドーナツ」は甘さ控えめで脂っぽさもないのが嬉しい


前川さんは19歳のとき、パンの世界へと飛び込んだ。近くに住む叔母に勧められたことがきっかけだった。

「叔母がパン屋をやっていたんですよ。そのせいもあって、パンが好きで好きで。小さい頃からお店に行ってよくもらっていましたね」

叔母の紹介でフォションに入り、その後は数店で修業。だが、その10年間、パン作りが楽しいと思ったことは一度もなかったそうだ。大好きなパンの仕事なのに、何故?

「なんだろう、きっと仕事を甘く見すぎていたからなのかな。朝は早いし重労働だし、きついことだらけでした。それにパン屋の仕事って、流れ作業でポジションが決まっていることが多いでしょう。同じことばかり繰り返していると、自分が歯車にでもなったような気がして・・・」



楽しくて幸せそうなパン屋のイメージとは違った、過酷な現実。想い描いていた世界とのギャップがあまりにも激しすぎたのかもしれない。そんな“つらい”イメージを払拭してくれたのが、阿佐ヶ谷にあるベーカリー・グッドモーニングだった。

「とにかくそれまでとは全く違いました。私が自分の店をもてるようになったのも、まさにグッドモーニングのおかげなんです」

と前川さんは力を込める。そして、

「あの店がなかったら、今の僕は存在しません」

とまで言い切った。グッドモーニングは阿佐ヶ谷の商店街にある、地元で人気のベーカリーカフェ。明るく開放的な雰囲気、そして天然酵母や国産小麦などを使用した優しい味わいのパンは確かに魅力的だ。だが、何がそれほどまでに衝撃的だったのか。配合?製法?それとも厨房の環境? 仕事がそれほど厳しくなかったとか?

「いえ、普通に厳しかったですよ(笑)。それにテクニック的なことはある程度できるようになっていましたし・・・。それよりも、“意識”の部分ですね、決定的に違っていたのは」


自家製スイートポテトが入った「スイートポテトのような
さつま芋餡パン」。さつま芋の甘みが優しいひと品



粉糖で雪化粧をした「スノーマウンテン」


オーナーの清水さんは、職人ひとりひとりに自立を促す人だったらしい。作業中も、“なぜ” “どうして”という言葉を多用した。

「例えば、“なぜ、ここまで混ぜるのか”と聞かれたとき。思いついたことをさらっと答えようとすると、そんな程度では許してくれないんです。なぜそう思うのか、それならこれはどうなのか、といった具合にとことん追究されてしまう。きっと、本質を見極める訓練をしてくれていたんですよね。おかげで、配合や製法について、常に意識するようになりました」

配合を考えたり混ぜ方や温度、時間を変えたりすることで、パンの味や食感はどう変わるのか・・・。試行錯誤を重ね失敗も繰り返しながら完成したレシピは、前川さんの宝物だ。今の店で使っているレシピも、ほとんどがその頃のものだという。更に、そうした探究心は、素材へも向けられるようになった。


石臼挽き全粒粉を使った「全粒カンパーニュ」は、
粉の香りと旨みがそのまま楽しめる



「粉の特性なども気になるようになって。関東3県で作られている『農林61号』があるんですが、これは主にうどん用に使われていて、パンには不向きと言われているもの。でも、あえてこの粉1種類で作ってみたらどうなるか。試してみると吸水性が悪いからなかなかうまくいかない。配合を変え製法を変えと繰り返していくうちに、ようやく粉の味も活かせるようになりました。そうして出来上がったのが、『香りカンパーニュ』というパンです」

グッドモーニングで徹底的に鍛えられ、本当の意味でパンに目覚めた前川さん。最終的にはチーフとしての務めも果たした。ここで真剣にパンと向き合ううちにいつしか迷いは消え、"自分の店をもちたい"という思いは確固たるものになっていたそうだ。


生のほうれん草を入れたものやローストした五穀と
クルミを入れたものなど、ベーグルは数種類を用意



形がユニークな「歩みの切り株」はココアを使った牛乳生地


実際に前川さんが独立することになったのは、グッドモーニングで4年、更に清水オーナーが経営するパティスリーで1年弱学んだ後のこと。国分寺という土地に縁はなかったが、 「これまた清水オーナーが面倒を見てくれて。この場所を紹介してもらえることになったんです。正直なところ、決して立地がいい場所とはいえませんでした。でも、立地に頼らず、自分の力を試してみようと」

確かに、駅チカでもなければ商店街でもないから、商圏的に恵まれているとはいい難い。けれども、自然を近くに感じられるし、またのんびりとした街の雰囲気も心地よかったそうだ。ここで愛されるパンを作ろう、そう決意して地元で好まれるパンについて調べてみることに。その結果が、
「菓子パンや調理パンだったんです」
そのうえ、
「そもそも、ハード系とかソフト系とかいったジャンルや、国産小麦や天然酵母といった素材は、私にとって“絶対”ではないんです」
とも。なんて、意外なひとこと!だが実のところ、前川さんには確固たるポリシーがあったのだった。


素朴な風味の「全粒こっぺ」。
この生地を使った「元町ドッグ」もお勧め



「小麦の風味と食感をね、大事にしているんです」

グッドモーニングで粉と格闘しているときに気づいたのは、粉の種類や扱い方次第で風味や食感は幾通りもにも変えられるということ。自分は“粉の風味と食感”をアピールしたい。例えば、旨みともっちり感を出したいときには国産小麦と天然酵母を、ふんわり軽くあっさりさせたければ外麦とイーストをプラスするといった具合。前川さんにとって、ジャンルの違いや素材の違いは、何種類もの風味や何種類もの食感を生み出すための一手段なのだ。

では、具体的にはどうなのか。例えば、「かぼちゃぱん」が誕生するまでのアプローチはというと、

「ふわふわしているけれど軽くはない、そんな生地を作りたかった。外麦だとふかふかしてしまうので、内麦でもっちり感をアピールしようと。そこで、香りがよい『香麦』と、作業性の良い『みのりの丘』をブレンドしました。製法は、天然酵母特有の引きの強さは出したくなかったので、イーストで。中種法で仕込んでマイルドに仕上げています」


かぼちゃの実がコロコロ入った「かぼちゃぱん」。
優しい甘みで子供にも人気



なるほど。・・・と聞いてはいたものの、なぜだかピンと来ない。粉や水などの一部を先に捏ねて中種を作り、その後、残りの材料を混ぜる中種法は、確かにマイルドに仕上げることができる。でも、かぼちゃぱんの生地は、もっともっと口あたりが優しい。適度にもっちりしつつ、スッとハギレがよいのだ。まだなにかあるのでは?と思わず聞き返してしまった。

「うーん、これはちょっと言えない部分でして。実は中種法といってもちょっと変わった作り方をしています。イーストの量もほんの少しだし、砂糖も控えめ。だからナチュラルな風味が活かせているんだと思います。“あれ、見た目は普通だけどなにか違うな”って思ってもらえればしめたもの。そんな、地味でさりげない部分でこだわりたい、っていう性格の悪さはありますね(笑)」

こっそり聞かせてもらったところ、本当にあまり耳にしない製法だった。手間がかかる上に生地の扱いも楽ではないから、失敗してしまうこともあるという。そもそも、そうしたこだわりをどれだけの人が気づいてくれるのだろう? そんなこちらの心配をよそに、前川さんは涼しげな顔。見えない部分でストイックに作ることを楽しんでいるようだ。


ジューシーなソーセージが入った「黒胡椒ソーセージ」と、
ジャガイモがゴロゴロ入った「ゴルゴンゾーラじゃがいも」



「こういうパンもあるんですよ。どうぞ食べみてください」

差し出されたのは、「ゴルゴンゾーラとじゃがいも」。バターをしみ込ませたジャガイモに、癖のあるチーズを合わせた調理パンだ。ただ、調理パンといっても、生地の香りも風味もしっかりある。茶色がかっているのは、全粒粉?

「はい、石臼挽き全粒粉入りのハードタイプの生地で、ホシノ天然酵母とイーストを併用しています。天板なしで直焼きしているので、パリッと仕上がるんです。将来的には生地だけのもの、例えば1種類の粉と天然酵母100%のハード系などもやりたいのですが、いきなりだと食べ慣れない方も多いと思うんです。そこで、まずは調理したもので楽しんでいただければと・・・」


低温熟成発酵で仕上げる「バゲット」と「バタール」


開店から半年以上が経ち、最近ではラインナップに少しずつ変化が生じてきたという。というのも、食事パンやハード系を要望するお客様の声が予想外に多かったのだそうだ。石臼挽き全粒粉入りの「香りブレッド」を週末限定で出したり、バゲットの生地をより本格的なポーラスなもの(気泡の大きなタイプ)に変えたり・・・。菓子パンや調理パンにも力を入れつつ、生地そのものを味わうタイプも浸透していけばと工夫をこらす。



ここにくるのは、マンションに住むファミリーがほとんど。目と鼻の先には小学校もあるから、子連れの母親が買いにくることも多い。そんな人たちにふさわしいのは、どんなパンなのか。ふんわりしていながら適度な噛み応えと旨みがあって、甘さがありながら後味はスッと心地よく、調理していながらしつこさはなくて・・・。風味と食感でアピールしながら、前川さんが試行錯誤する日々は続く。
(2009.12) 




みのりの歩み
住所 東京都国分寺市西元町2-17-14
TEL042-312-2820
営業時間10:00〜19:00
定休日月曜
アクセス JR中央線西国分寺駅より徒歩10分




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