小田急線経堂の駅を降り、賑やかな商店街を抜ける。信号を過ぎた辺りから途端に道が細くなり、少し懐かしい感じのする静かな住宅街へと続く。「パティスリーミラベル」は、この細い道をもう少し歩いたところにある。

今年5月にオープンしたばかりの「パティスリーミラベル」は、シェフ橋本望さんと奥様のみず紀さんが2人で切り盛りする小さなパティスリーだ。1歩足を踏み入れると、そこにはまるでフランスの田舎にあるパティスリーのような空間。お世辞にも広いとはいえないながら、パリッと小気味良い音が聞こえてきそうなシューやタルトにヴィエノワズリー類、さらには焼菓子にコンフィチュールと、魅力的なお菓子たちが居心地よさそうに並んでいる。居心地がよいのはお菓子ばかりではない。安心感とでもいうのだろうか、アンティークのランプシェードや戸棚のかもし出すやわらかい空気に包まれて、なぜか懐かしく、ほっと安らぎを感じる。



「実は、最初は卸しの仕事をしようと思ってここを借りたんですよ。でも、大家さんから、ふらっと来ても買えるようにしてほしいと言われて・・・。それだったらと、急遽、販売する場所を作ることにしたんです」

店舗スペースを設けることで少し窮屈になったが、実際にお客様がケーキを買いに来てくれる姿が見えるのがうれしい、と橋本さんは笑みを浮かべる。販売を担当するのは、奥様のみず紀さん。ご自身が生まれ育ち、場所、人ともに親しみのあるこの場所を選んだそうだ。



新潟出身で神奈川県育ちの橋本さん。製菓学校卒業後は、小田原「ブリアン・アブニール」、「オーボンヴュータン」などで修業を重ねた。

「ケーキの味、そしてパティシエに対する考え方で一番影響を受けたのは『オーボンヴュータン』です。河田勝彦シェフの厳しさは精神的な部分なんですよね。細かいことは言わないけれど、ひとつの工程を完璧にできるようにならないと次のことをさせてもらえない。手が空いているからといってできない作業を手伝えば、それはお菓子に反映してしまう・・・、そういう厳しさなんです。今も、丁寧に作ることが一番大切だと思っています」

『オーボンヴュータン』での河田シェフとの出会いを経て、それまで以上に真剣な気持ちでパティシエという仕事に向かい合うようになったという橋本さん。このときの経験は、彼をフランスへも向かわせることになった。

「『オーボンヴュータン』はすごくフランスに近い店で、周りにはフランスから帰ってきたり、これから行く予定の人たちがたくさんいた。そういう環境の中で、フランスのケーキって実際はどうなんだろう、自分もいつかフランスへ行きたいと強く感じ始めたんです」



そして願いが叶い、いざフランスへ。パリにある有名パティスリー『アルノー・ラエール』を初め、5軒のパティスリーや星つきレストランで計2年半学んだ。

「最初に行ったのは、サンジェルマン・アンレーにある老舗店『グランダン』というところ。何百年も前から続く店で、仕事のやり方もケーキもかなり旧式なんです。フランスに行く前は、本場のパティスリーに華やかなイメージを持っていたので、かなりギャップがありました。でも、それが逆に良かったのかもしれないですね。フランスでは『グランダン』が一番印象に残っています。今、店に置いているボストックやエクレアのチョコレートクリームはそこのレシピなんですよ」

その頃フランスで修業していた『パリ・セヴェイユ』の金子さんも、この店のケーキが好きでよく通っていたそうだ。


フランスで一番おいしかったという
あるレストランのカヌレを再現。



フランスでは、ケーキの味や技術以外に印象に残ったことがあったという。

「一番感じたのは、フランスのパティシエたちには変なこだわりがないんだなということ。美味しいレシピがあると、仲間で交換して自分の店でも作ってみるんです。『このケーキはあの店のと同じなんだよ』、なんてこともよくありました。フランスではパティスリーやケーキはもっと身近な存在。自分だけのオリジナリティよりも、お客さんにおいしいものを食べてもらうのが良いっていう考え方が強いんですよね、きっと」

一方、みず紀さんも同じ時期にフランスへ。元々“食”に興味があり、レストランで仕事をしていたみず紀さん。橋本さんが日本に戻った後、いずれパティスリーを開くんだったら、自分にも知識があった方が良いと、フランスの名門リッツ・エスコフィエでお菓子を学ぶことに決めた。

「フランスではケーキって生活に当たり前にあるものなんですよね。考え方が違うんだなって感じました」



昨年秋に帰国したばかりの橋本さん。ショーケースには、フランスのエスプリ漂うケーキが並ぶ。いわゆる“フランス菓子”への思い入れも強いのだろうか。

「フランス菓子じゃなくても、おいしいものなら良いと思ってるんです。自分ではわかりやすいシンプルな味が好きですね。素材の味がしっかりあって、素直においしいと感じられるものを作れればいいと思っています」

橋本さんは自然体だ。気負ったりせず、奇抜さや、目先だけの変化は望まない。親しみのある素材を使って、自分が正直においしいと思えるものだけを、もくもくと丁寧に作る。その姿勢は間違いなく作品に投影され、それを口にする人にも伝る。だからだろうか、ほとんどの人が「この間買ったあのケーキ、おいしいのねぇ!」などと声をかけ、話しをしてゆく。

「よく買いに来てくれる男の子がいるんです。本当にお向かいなので、お皿だけもって買いに来るんですよ。『すぐ食べるからいいです!』って言って」

みず紀さんが微笑む。




町の雰囲気や、店の大きさなど色々な要素はあるだろう。しかし、ここにいると、ケーキが特別なものではなくなるのは事実のようだ。
かつて、フランスで2人が感じたお菓子への想い・・・。本当の意味で、フランスにあるようなケーキ屋になってほしい。そう強く思いながら、店を後にした。




パティスリーミラベル
住所 東京都世田谷区桜丘1-8-5
TEL03-3420-6779
営業時間9:30〜19:00
定休日火曜日
その他 夏休み・冬休みあり
アクセス小田急線「経堂」駅から徒歩10分