「製パン界の大物シェフが、パン屋をオープンしたらしい」
そんな話を耳にしたのは4月のことだ。

今年3月、立川に飲食店や書店など約20店舗が集まるショッピングモール「ケヤキモール」がオープンした。うわさのベーカリー「ムッシュ イワン」はそのモール内の一番目立つ場所にある。品の良いシックな赤をアクセントに、ベースは木目のダークブラウン。壁面にガラスを思い切り大きく使うことで、モダンでありながら開放的な気分が味わえる空間になっている。
まず目に入るのは、対面式の販売コーナー。食欲をそそるカスクルートやフルーツたっぷりのデニッシュ類が並ぶ。そして、右のカフェスペースでは、カゴいっぱいのパンを前にランチを楽しむ家族連れの姿があった。

“奥にはどんなパンがあるんだろう”

引き込まれるように、奥に進むと、そこには堂々たる姿の石窯が構えていた。石窯というと、ナチュラルなレンガ貼りをイメージするかもしれない。ところが、イワンの石窯はイメージカラーの赤で統一され、スタイリッシュな雰囲気になっている。


休日のブランチはもちろん、
1人でもくつろげる雰囲気が嬉しい



「こんにちは」

大物シェフと聞いて年配で強面の男性をイメージしていたが、現れたのは溌剌としたオーラをまとった長身のシェフだった。
シェフ小倉孝樹さんの名前はプロの間では有名だ。だが、一般向けの雑誌や活動に登場することは少ない。そこで、まずはその経歴から伺うことにした。

「最初はパン屋をやりたいわけじゃなかったんですよ(笑)。本当は洋食のコックになりたかったんです。そこでホテルに就職しようと決めたものの、当時はオイルショック後の就職難。しかも、雇ってくれても、最初はベルボーイからというところがほとんどでした。そんな中、まだオープンしたばかりの「ホテルパシフィック東京」は、最初から調理として採用してくれると聞き、すぐに決めたんです」

コックを夢見て入ったホテルの世界。そこで待ち受けていたものは、皿洗いの日々だった。調理のセクションとはいえ、まずは洗い場を半年間、その後2年間はウェイターの勉強をする。フライパンを握れるのは、もっと先だ。そんな生活にうんざりしていたある日、小倉氏はある人物の目に止まった。


パンの味を知ってもらいたいとの思いから、試食の種類も豊富


「おい、パンやらないか?」

その人物とは、ホテルパンの父と呼ばれ、JPB(ジャパンプロフェッショナルベーカーズ)友の会(※1)の設立者でもある故福田元吉氏であった。当時は、今のようにパン屋も職人も多くない時代。親分的存在だった福田氏のもとには、現「シャラント」の竹内氏、現「ブロートハイム」の明石氏を始めとするパン職人を目指す若者たちの輪ができていたという。“もっとおいしいパン作りたい!”という思いが募ってできた会、それがJPBだった。当然ながら、現在も福田氏を師と仰ぐ職人は多い。愛情をもって厳しく叱る古きよき頑固親父、といった雰囲気だったのだろうか。愛情を込めて『親父』と呼ぶ小倉さんから、そんな師弟関係が見えるようだった。


自慢のイギリスパンは、ホテル時代から、
ずっとレシピを変えずに守り続けてきた入魂の作!




だが当時はその製パン界の重鎮を前に、小倉さんは『まぁ、パンでもいいか』と思ったという。洗い場を離れられるなら何でも良かったのだ。

「そんな気持ちでベーカリーのセクションへ移ったので、1年くらいは自分の仕事に誇りがもてませんでした。やっと面白さがわかるようになったのは、2,3年が過ぎた頃でしょうか」

興味をもったら一直線の小倉さん。持ち前のセンスと好奇心を活かして頭角を現し、移動になった「浅草ビューホテル」ではスーシェフを担当するまでになった。そして、シェフの急な移動を機に、瞬く間に33歳という若さでシェフの座に上りつめた。

「そのときは嬉しかったですね。すでに家族もいましたから、色々なことを胸算用して、意気揚々と福田の親父のところへ報告に行ったんです」

弟子の成功を喜ぶどころか、福田氏はこう言った。

−−−『おまえなんて、ヘマしたらいつだって代えられるんだからな』



「舞い上がっていた僕の気持ちを察したんでしょうね。帰り道は、シュンとなって肩を落としていました」

この言葉で身を引き締めた小倉さんは、初心にかえってパン作りに奮闘した。だが、職場でも喜んで迎え入れられたわけではなかった。昇進は実力でないと思われたためだろう、多くが反感を持っていた。そんな逆境の中で小倉さんを支えていたものは、“大きなホテルには負けたくない!”という思いだった。



小倉さんの一途な思いが伝わったのだろう、徐々にスタッフもその実力とリーダーシップを認めはじめた。

「嬉しかったのは、一番僕のことを批判していたスタッフが、最初に『チーフ』と呼んでくれたことですね」

小倉シェフ率いる浅草ビューホテル・ベーカリーは、一丸となり日本一のホテルベーカリー目指して邁進した。あのルコント氏からも絶賛されるほど、当時の小倉さんとビューホテルの活躍ぶりは有名だったという。
怖いもの知らずだった、と小倉さんは当時を振り返る。興味があるものは片っ端から精力的に取り組んでいき、ついに39歳でレストランとパン両方の長となった。



石臼挽きやフランス産の小麦粉をブレンドした、
ヴァラエティ豊かな食事パンが並ぶ




気になる福田氏の評価はどうだったのだろう?

「『(浅草)ビューホテルのパンは、間違いなく東京で3本の指に入る』、親父がそう言ってくれたんですよ」

小倉さんにとって、これほど嬉しいことはなかっただろう。



そして時代は流れる。街には本場顔負けのブーランジェリーが溢れ、ホテルベーカリーもかつてほど特別な存在でなくなっていった。相次ぐ外資系ホテルの進出に、ホテル業態の変化、ベーカリーを縮小するホテルも少なくなかったという。

「自分はこのままで良いのかと、悩みました。それから、自分の実力はどれくらいなのかを試したい気持ちが強かったですね」

悩んだ末に、小倉さんはホテルを離れる決意をした。次に選んだ舞台、それは少し特殊なベーカリーだった。



窯の内部を覆っているのは、厚さ50mmの石。
旨みや水分をしっかり閉じ込めて焼き上げる




“好きなことをやってください”
そう申し出てくれたのは、大手流通業「丸正」のオーナーだった。高級食料品店としてオープンする丸正府中店のベーカリー、「ルヴァンドール」のシェフとして招かれたのだ。

「ホテルとの一番の違いは、値段だと思います。スーパーというと値引きして当然という意識があるから、パンも値段設定を気にしないといけない。それから、イギリスパンは売れるけれど、フランスパンはダメ。壁にぶつかりましたね」

最初は高級志向だったスーパーだが、不況のあおりを受け、安く売るような形態に少しずつ変わっていった。商品を右から左へ動かすことで利益を得るスーパー側に、作るという感覚をわかってもらえないことが、ジレンマになった。

「それでも素材は、ホテル時代から変わらない品質にこだわりました。値段ですか?かなり安くしていましたよ」

“やるからには何としても成功させたい!”。小倉さんは、潔くホテル時代と気持ちを切り替えた。そして、値段設定や売り方に心を砕いたためだろう、売上は毎年伸びていった。
だが、小倉さんは満たされなかった。“自分のパンを食べたいと思う人に買いに来てもらいたい!”、そんな気持ちが胸の中にくすぶっていた。



ムッシュイワンで使用する全粒粉は、すべてこの石臼で挽いたもの



上質さと高級感を求めるホテル、そして生活感あふれる値段重視のインストアベーカリー。その両方を経験した小倉さんが行き着いた先、それが「ムッシュ イワン」だ。

「高級感のあるスタイルにしたいと思っていました。でも、毎日のパンとしてお客様に食べていただきたいですね。お客様に“うちのパンが食べたい”と思ってもらえることが何より嬉しいです」

上質へのこだわりは、迫力満点の石窯だけではない。店内の一番奥には、ガラス越しに珍しいオーストリア製の石臼製粉器が見える。毎朝、製粉して挽きたての粉を使い、ハード系だけで約10種類の生地を使い分けているという。

「石窯の一番の特長は、火抜けの良さですね。この窯はツジキカイ製、全面にセラミックを使用しているのですが、最初赤みがかった石も使い込むと黒味がかった良い色になるんですよ。遠赤外線の効果で生地の窯伸びの良さが違います」



バジルで香り付けしたチキンと、軽くマリネした鮮やかなパプリカ、
そしてトロッととろけたモッツアレラチーズ!
旨みが強く、もっちり弾力のあるイギリスパンはさすがのおいしさ。




そして、ロシアを思わせる「ムッシュ・イワン」という名前にも、深い意味がある。

「福田元吉氏の師匠の名前なんです。イワン・サゴヤン氏といって、ロマノフ皇帝文化の流れをくむ人物だそうです。おそらく、ロシア革命後に離散してしまったのでしょう。満州のヤマト・ホテルでパンを焼いていた所をぜひに、と明治の実業家であり食通として知られる大倉喜八郎氏(※2)が声をかけ日本に来ていただいたそうです。親父は、パンのもつ長い歴史、そしてイワン氏の技術と伝統を将来へ伝えることが自分の使命だと考えていたんです。私は親父に、パンの基礎を叩き込まれました。それは、愛情をもって生地に接し、丁寧に作業するということ。特に変わったことではないんですよ。そして、人間としてどうあるべきか、そんな根本的なことを教えてもらったような気がしています」

後輩の育成、そしてJBPの設立。福田氏は、全身全霊をもってそれを実現しようとしていた。ガンを患いながらも、亡くなる前年までパンを作り、後輩たちを気にかけていたという。

「なにか恩返しになるようなことがしたかったんです。それなら親父が一番大切に思っていたイワン氏の名前を店名にいただこう、そう考えたんです」

ムッシュ・イワン氏、そして福田元吉氏の想いは、小倉さんの中にしっかりと息づいている。そして、「ムッシュ イワン」のパンとなり、大勢の人々の心に伝えられていくのだ。



お客様とのコミュニケーションを大切にするため、
デニッシュやカスクルート類は対面式を採用




「繁盛店じゃなくて良い。10年後、名店と言われたいですね」

小倉さんは、微笑んだ。
今日もまた一歩、『ムッシュ イワン』はその想いに向かって進んでいく。
(2006.6)



※1 JPB(ジャパンプロフェッショナルベーカーズ)友の会
1979年、パン職人の技術と地位向上のために福田元吉氏を会長として設立された非営利かつプロ向けの会。本部、青年部から成り現在の会員数は(正会員・特別会員)約350名、3代目となる代表幹事を「ベッカライ ブロートハイム」の明石克彦氏が務めている。セミナーや食材の勉強会などを年間を通じて行っている。

※2 大蔵喜八郎
鉄砲商から身を立て、朝鮮・中国(満州)など国内外に事業を拡張。維新後、大倉財閥の基礎を築いた人物。息子の大倉喜七郎はホテルオークラ創始者。




◆ 近々今週のパン屋さんでも紹介する予定です。お楽しみに!







ベーカリーカフェ ムッシュ イワン
住所 東京都立川市若葉町1-7-1 若葉ケヤキモール内
TEL042-538-7233
FAX042-537-5231
URLhttp://www.ivan.shop-site.jp/