「パティスリー? それとも雑貨店?」。そう見間違えそうな程、都会的な雰囲気の赤×ブラウンの外観。扉にはキュートなパンのキャラクターが描かれている。中に入ると、焼き立てのパンの香り、そして爽やかな職人の声と姿が飛び込んでくる。「パサージュ ア ニヴォ」は、パンを片手に笑顔を振りまく"バゲットくん"が目印のブーランジェリー。武蔵境駅近く、踏み切りのそばにある、お洒落だけど、どこか親しみやすさを感じさせる一軒だ。数ある商品のうち、お薦めはやはりバゲット(くん)。オーナーでブーランジェの大和祥子さんが、フランスで感動したという、長時間発酵のトラディッショナルなスタイルを再現した逸品です。大和さんの毎日はこのバゲットが開店に間に合うようスタートする。ちなみに、ホールを担当するのは少し控えめな性格の旦那様。友人のイラストレーター・サイトウヨウコ氏がデザインした“バゲットくん”は、この旦那様がモデルだそうだ。



赤い壁面はオープン以前から。当初はモスグリーンの内装にする予定だったのが、壁面に合わせてブラウンに統一した。白い看板も際立ち、洗練されたブティックのような雰囲気を漂わせている



プチパンを入れた籠や照明の立体的な配置がポイントになり、木のぬくもりのあるショーケースが賑やかに感じられる



「パサージュ ア ニヴォ」は昨年8月のオープンとまだまだ新しい店だが、昨年オープンしたブーランジェリーの中でも、とりわけ印象に残っていた一軒です。その理由の一つが、なぜ真夏の8月にオープンしたのかということ。それがどうしても気になっていました。

その質問に大和さんはあっさりと一言。

「8月からだと、パン屋としてはドン底じゃないですか。最初はあえてこの時期からスタートしたかったんです。後は上がっていくだけじゃないかと思って。周囲からは『不況だ。素材の値段が上がって厳しい』という声も聞きましたが、それもあまり実感しませんでした」なんと大胆な逆転の発想!と驚く後ろには、そっとうなずくご主人の姿が。信じる道をマイペースに進む大和さんの姿、それをやさしく包むご主人との、このほのぼのとした雰囲気も二ヴォの魅力のひとつなのかもしれない。



大和さんへの取材中、そばで様子を見守るご主人の姿が印象的。大和さんは接客も好きで、合間を見ては店頭で販売も行います



そもそもパン店になろうとしたきっかけは?

「私は新潟県出身で、東京に出てきて吉祥寺に住んでいました。その時に西荻の『ムッシュ ソレイユ』のパンを食べて感動したんです。それで、自分でも作りたくなりました」。当時はパン教室に通っていたものの、プロとしては未経験。しかし、タイミングよく四谷の「PAUL(ポール)」のオープニングメンバーに採用が決定。「ポールは前から美味しいと思っていたパン屋だったんです。オープニングだったこともあり、フランス本部から現地スタッフが来日し、一週間ほど技術指導してもらったこともありました。スタッフのみなさんからいろいろな基礎技術を教えていただきました」。こうして大和さんは、ポールでのアルバイトからパン職人としての第一歩を踏み出すことになった。



ニヴォの看板商品、バゲット。芳しい小麦の香りや力強い食感のクラストなど、美味しいパンの要素はたくさんあるが、これぞという逸品に出会った時の感動は、言葉には表しがたい。そんな想いにさせてくれるバゲットを、これからも作り続けて欲しい



その後、都内の「サンジェルマン」に勤務。ここではポールで担当していたビエノワズリーからスタートし、フランス生地や食パンなどの仕込みを経験した。効率よく作業をする方法、生地の状態の見極め方などを学んだという。そして、次は久我山の「ラパン」へ。生地の仕込みから仕上げまで、手作りにこだわるリテイルベーカリーでの経験で、大和さんはより深くパン作りの魅力、楽しさを追求していった。そして最後はフランスへ。「パリから30分ほど郊外にあるブーランジェリーでの修業でした。3ヶ月と短期間だったが、最初にパティシエ、次にビエノワズリー、最後にパンを勉強しました。特にパティシエからの指導が新鮮で、飾り付けや材料のカットの仕方なども、インパクトのあることばかりでした。今、店で出しているシュケットやクレームブリュレ、サブレ、ケーキなどは、当時のレシピを再現しています」。フランスでは本当に毎日が楽しく、刺激的で、伝統的な手法で作られるバゲットにも感慨を受けたと語る。



チビYama、チビKakuなど遊び心のあるアイテムも魅力。ちょうどのぞきやすい目線の高さに並んでいて、つい手が伸びてしまう



急ピッチで理想の道を突き進む大和さんだが、実は元の職業はインテリアコーディネイターと、異業種からのチャレンジだったという。ブーランジェのハードな毎日は大変ではないのだろうか?「朝はAM4時30分から作業に入り、PM7時に閉店。その後1時間は作業をしています」と大和さん。ニュースもラジオで聞いていて、パン以外のことに疎くなっていると冗談交じりに話してくれました。その後ろでインタビューを見守る旦那様は元広告業のサラリーマン。店のオープンと同時に生活パターンが激変したものの、最近はハードな毎日にようやく慣れてきたといいます。それもそのはず! 役割は厨房とホールで分担しているのですが、朝一番からの作業はいつも夫婦一緒なのです。看板商品のバゲットが二人の共同作業で出来上がると知れば、美味しさもまた倍増してきます。



店内にはバゲットくんのディスプレイも飾られています。インテリアコーディネイターだった頃のセンスはフランスでの修業時代に、よりいっそう研ぎ澄まされたようです



5名ほどの来客でいっぱいになるほどの店内は、前職での経験も活かされているようで、こげ茶のショーケースや照明で上品な雰囲気に統一されています。レジ横に、アンティークのような鉄製の籠を発見! かわいいプチパンが顔をのぞかせています。「フランスでお世話になっていた店が、3店舗目をオープンさせた時の籠なんですが、とても気に入ってしまって。自分の店でもお子様向けにプチパンを作ることは決めていたので、ディスプレイするならこれしかないと考えていました」。
それはフランスから帰国直前の出来事。現地で学んだのは、パンの技術だけでなかったようです。
また、対面販売ができるよう、ガラス張りのディスプレイにすることも決めていたそうです。「対面販売だとパンの説明や召し上がり方の提案ができます。お客様と直接やりとりするチャンスを設けるためにガラス張りにしました」。レジ裏は作業台になっていて中の様子がすぐにわかります。そのため、店頭の人出が多くなってきた時は、大和さんもすぐに駆けつけて、パンの説明を交えてながら自らも接客を行っているのだそう。



遊び心があるといえば、こちらのカスタメロンは見逃せません。シャリッとした表皮、とろけるクリーム、やわらかい生地とのバランスが絶妙です。バゲットくんの兄弟ではありません。よく見ると、一つひとつ顔も違いますよ。あ、顔から食べないで!



オープン前に思い描いていた理想のパン店は、住宅街の中にぽつんとあるロケーション。縁あって出会った現在の場所ですが、最寄りの武蔵境駅は改装が進められており、店の前にある踏み切りもいずれは取り払われてしまいます。そのことを知っていた大和さんは、「踏み切りがなくなっても、立ち止まっていただける店になって欲しい」という想いを店名に込めました。オープンしてからもうすぐ1年になり、駅前には新たなパン屋も出店するなど周辺環境は少しずつ変化しています。そのような状況でも大和さんはマイペースに突き進みます。子連れのお客様の来店が多いことに気付き、ソフトな食感のパンも作るようになりました。商品のラインナップは50種類ほどありますが、その中に惣菜系のパンは今もありません。バゲットは理想の味と食感を追求した結果、フランス産とカナダ産の小麦をブレンドしているそうです。「フランス産の粉は私が勉強してきた店の味に一番近く、もう一つの粉をブレンドすることで中のもっちり感が格段によくなりました。最初は塩の味がして、噛んでいくと粉の甘みがでるためこの配合はすごく気に入っています」。やはり看板商品のバゲットの話題は尽きません。このバゲットですが、まずは少量で試したいという方にはチリという商品もオススメ。バゲットと同じ配合の生地にチーズやコーンが効いて、すごく食べやすくなっています。



スタッフの後藤さんを囲んで。おそろいのTシャツとハンチング帽子がお洒落。「街のパン屋として、周囲の方々に可愛がっていただけたら幸せです」と大和さん。現在はライ麦種のパンを研究中。酸味のあるドイツ産のライ麦は好みが分かれるので、日本産のライ麦もチェックしているそうです。月曜・金曜だけの販売なので、店頭で見かけた時はお見逃しなく



さらに素材についてのこだわりをもう一つ。それは、パン作りに欠かせないバターです。フランスで食べていたバターは乳風味が強く、バゲットに最適でした。サンドイッチはあの濃い味でないと美味しくない!といろいろな種類を試したそうです。最終的には、知り合いのパン屋さんで働いていた時に知った現在のバターを選んだそうです。今はサンドイッチの仕込みやクロワッサンなど、すべて同じバターを使用。「一般的なものより少し高いですけど、味に惚れてしまったので仕方ありません!」と、職人らしい一言をいただきました。

フランスで味わったハード系のパンを愛する心、現地で学んだアルチザンの精神は、大和さんの中でしっかり根付いている。踏み切りのように人が立ち止まる場所、そんなブーランジェリーをめざし、大和さんは、明日も朝早くからバゲットを焼き始めることだろう。   (2009.07)






ブーランジェリー パサージュ ア ニヴォ
住所 東京都武蔵野市境南町1-1-20 タイコービル1F
Tel&Fax0422-32-2887
営業時間8:00〜18:00
定休日水曜
アクセス JR中央線武蔵境駅南口より徒歩2分




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