西武池袋線の中村橋駅を降り、線路を横切る中杉通りを北へ。通り沿いは小さな店が軒を連ね、賑やかな商店街となっている。魚は魚屋さんで、野菜は八百屋さんで・・・どこかの店員と他愛の無い話も挟みつつ、買い物袋をぶら下げそぞろ歩く人達。パッチワークのような雑多な町並みと、暮らしのにおいに、なんだかほっとする。そんな商店街の先に、“当たり前”みたいに、ずっとずっと昔からそこにあったかのように、佇む小さなパン屋さん。それが2006年8月26日にオープンし、まだ1周年を迎えたばかりの「ブーランジェリーヌクムク」だ。ドアをあけると、『いらっしゃいませ〜』が、一瞬『おかえりなさい』に聞こえるような、温かな声がした。優しいパンの香りと、まあるい笑顔に、するすると自分の中の緊張が解けていくのを感じる。売り場と厨房をつなぐ小さな窓からも、同じくまあるい笑顔が覗いた。


店の上には学習塾があり、塾帰りの腹ペコ小学生達もパンを買いにくるそう



シェフを務めるのは与儀高志さん。焼き菓子を担当する奥様の文美さんと二人で厨房に立ち、全ての商品を作っている。接客を担当するのは、文美さんのお母様。

「店の名前の“nukumuku(ヌクムク)”は、『ぬくもり』や『あたたかさ』という意味を込めています。店作りやパン作りにおいても、ぬくもりを感じてもらえればと。パンは、無骨なものよりも、形も丸っこいものだったり、味もどこかほんわかとしたものに仕上げたり、あたたかみのあるほのぼのした感じを出せたらと思っています」


ヌクムクの“ぬくもりパン”は常時30種類。フィリングもできるだけ手作りにこだわり、安心・安全なパン作りを目指す



自家製のクリームがたっぷり詰まった「クリームパン」に、ふっくらと炊き上げたお豆が入った「なごみ」。その丸みを帯びたフォルムと、優しい後味はヌクムクならでは。スペシャリテのひとつである長時間発酵のバゲットも、しっかりと熟成を取っているため、噛み締めると口の中にじんわりと地粉の甘みが残る。中でも、クロワッサンには、特別なこだわりがあるようだ。

「一番手間隙がかかって、試行錯誤しているのがクロワッサン。オープンした頃と今のものでは、随分変わっています。自分の理想とする食感があるんですけど、なかなか近づかなくて何度もレシピを変えました。天然酵母を使ってみたり、甘さを出したくて練乳をいれたり、バターのくどい味が出過ぎないようにサワークリームをいれて爽やかな感じにしたり・・・。試作を重ねて、今は結構いいところまで来ていると思っています。まだ、進化の過程ではありますが」


クロワッサン ¥160

液種を起こし、熟成させ4日間もかけて作るクロワッサン。サクサクとした歯ごたえと、生地からジュワーッと立ち上がる発酵バターの風味。口いっぱいに広がる淡い甘味が、心に残る味わいだ




自分らしいパン、ヌクムクならではのオンリーワンのパン。そんなぬくもりパンが出来るまでの、与儀さんのパン人生は少しだけ遠回りが必要だった。

「実家の茅ヶ崎から東京に出てきて、最初はアパレルの業界で働いていました。でも、昔からパンが好きだったので、手に職をつけるならばパンしかないと、思い切って仕事を辞め、夜間の製パン学校、昼間はパン屋でバイトの生活を始めました。休みの日も、自転車でパン屋を廻って食べ歩いたり。その時は、漠然と自分でパン屋を開けたらいいなと思っていたのですが、一番最初に中目黒のナイーフに行った時、フランスっぽくてオシャレな店作りやパンの味わいにすごく衝撃を受けたんです。自分もナイーフのような店がやりたいと、漠然としていた思いが、その時初めて確信に変わったんです。製パン学校を卒業して、数軒のパン屋で働いた後、ナイーフでも修業させてもらったのですが、今の自分のパン作りのベースはナイーフで叩き込まれたもの。それまでの自分の技術や知識が一気に覆されたくらい、谷上さんにはパン作りの基礎を一から勉強させてもらいました」

パン屋としての独立を考えた時、食パンとバゲットの2つをどんなものに仕上げるかが課題となった。毎日食べるパンだからこそ、シンプルだけどおいしいものにしたい。色々なパン屋の食べ歩きを続ける中で、アンジェリーナの食パンと、ペルティエの長時間発酵のバゲットに刺激された。この2つのパンとの出会いが、以後、与儀さんの目標となった。

「ナイーフの後は、アンジェリーナとペルティエで実際に働いて、技術を学びました。ヌクムクでは、その時に得た知識を元に、粉の配合をオリジナルにしたりと、自分の味を追求しています。材料は、安全面から考えてなるべく国産のものを使いたいと思っているので、食パンは100%国産小麦で、多田製粉の“P陣馬”と“醍醐味”をブレンドしてます。“醍醐味”は麺用に近い粉で旨みや甘味があり、“P陣馬”は、歯切れの良さが特徴的。粉による旨みとサク味、それから生クリームを入れてまろやかな乳風味を出しています。この食パンを、本当に毎日毎日買いにきてくださるお客様がいるんですよ。うれしいですね」


パン・ド・ムク ¥280

サックリと歯切れの良いミミ部分と、しっとりとした生地のクリームの風味が心地よい。カリッと焼いても、さらに粉の香ばしさが増しておいしい。まさに毎日食べても飽きの来ない味わいだ



修業した店ごとの技術や考えを自分なりに消化しながら、独立開業の準備をしてきた与儀さんには、もうひとつ人生の大仕事が待っていた。――文美さんとの結婚式。それは、オープンの1ヶ月前だった。

「ひととおり、自分の行きたい店も廻ったし、色んなパンの作り方も学んできて、次に就職するならば、もう自分で店を出してしまおうと。結婚を決めたこともあり、時期的にも、このタイミングしかないと思ったんです。でも結婚式から、オープンまで時間が無くて、本当にバタバタでした(笑)。中村橋は、妻の実家がある場所なのですが、家族や親戚を巻き込んで、一家総出で開店までこぎつけました。開店前は、駅前でチラシを配ったり、近隣にポスティングしてもらったり。お盆明けにオープンの予定だったのが遅れてしまい、工事が完了したのが開店予定日の2日前。試作も全くできないまま開店に至ったので、正直不安でしたね」


奥様の文美さんはケーキ店での勤務経験があり、焼き菓子やラスク、プリンは文美さんが担当している

新商品のペッパーチップス(¥210)とペッパーチーズ(¥240)。可愛らしいラッピングもヌクムクオリジナル


「無事オープン出来たものの、妻が過労で入院したり、結構大変な時期もありました。その時も、家族総出で手伝いをしてもらったんです。自分も体調を崩しかけた時があって、このままではいけないなと。今では月曜の定休日に加えて、月に2回の火曜不定休の日を頂いて、あまり無理のないように気をつけています。でも、とにかく今はまだ店を落ち着かせることが一番で、もっとゆとりができて、従業員が雇えるくらいになったら、色んなことをやって行きたいなと思っているんですよ」

未来に思いを馳せ、笑顔で語る与儀さん。パンだけでなく、店作りもまだまだ変化の過程とのこと。店内に入ってまず目を奪われるのは、ディスプレーされた可愛らしい雑貨たちだが、手作りのフエルトの雑貨やアンティーク調のポスターは良く見ると、ヌクムクオリジナルのものも多い。動かぬ“モノ”にも、どこか人の体温のようなものが感じられる。


オープン1周年のオリジナルエコバック。先着100名分はすでに終了だとか。・・・惜しい!

焼き菓子のギフトボックス。“おうち型”にヌクムクらしいセンスが。イラストはひとつひとつスタンプで押して、手作りしている



「もともと雑貨集めや、雑貨屋めぐりが大好きで、店に今置いてあるものはほとんどオープン前から自分の趣味で集めていたものなんです。エコバックとか、焼き菓子のギフト函はヌクムクのイメージにあうようなものを…と、みんなで考えました。妻の兄が、コンピューターやイラストが得意でアイディアを形にしてくれています。ホームページも、義兄が作ってくれているんですよ」

家族内で店のひとつひとつを作り上げていく過程では、意見を言い合う中でぶつかることもあるという。でも、それもみんなが店のことを真剣に考えているからこそ。むしろ、いい刺激になっていると、与儀さんは笑う。


nukuプリンのポスター.。外国製のアンティークかと思いきや、こちらもしっかりヌクムクオリジナル。このようなアイディアたっぷりの仕掛けが、店内にあふれている

こちらはおばあちゃんの手作り。ヌクムクをささえる優秀なデザイナーはお兄さんだけではないようだ



「・・・“ぬくもり”のある店作りって、木を使ったり、茶系のものでまとめたりというのも表現のひとつ。ヌクムクの表現は、オリジナルの雑貨や手作りのパッケージ、そして、うちでしか出せない味や、パンの形。そういったものがたくさん集まり、混ざり合って出来たヌクムクだけの色に、ぬくもりを感じていただければと思っているんです。オープンして1年間。お客様にとっても自分達にとっても、もっと居心地の良い空間にしたいと、少しづつ手を加えて今の形になっています。パンに関しても、もっと種類を増やしていきたいと思っているし、バゲットや食パンも、今のものが完成形ではありません。時を積み重ねていく中で、店もパンも、さらに良いものにしていければと思っているんです」

足りないものは、補いながら。でこぼこやガタガタも、時を経て、手になじむ形になるように。これから先も、少しづつ形を変えながら、家族の温もりの中でヌクムクは愛されるパンを作り続けていくのだろう。








Boulangerie nukumuku (ブーランジェリー ヌクムク)
住所 東京都練馬区貫井5-1-8
TEL03-3825-5404
営業時間10:00〜19:00
定休日月曜、第2・第4火曜
アクセス西武池袋線中村橋駅から徒歩7分
URLhttp://nukumuku.com/