「パンも人間と同じようにちゃんと表情があるんだな」と今回改めてしみじみと思わされた。一つ一つの個性はあるけれど、どのパンからも穏やかなほんわかした優しい印象を受ける。小さな店内に行儀良く並んでいるパンを見ると、しっかりと愛情を受けて育ったパンだというのが伝わってくる。そんな温かいパンを作るシェフにぜひ話を聞いてみたい、そう思い期待いっぱいで店を訪れた。(2005.11)


「パナデリア シエスタ」。私たちと同じ名前を持つこのお店は、横浜市青葉区の住宅街に今年の6月にできたばかり。小さなカフェを思わすようなかわいらしい外観は、こののどかな住宅街に早くも溶け込んでいる。

「看板もこの間つけたばかりなんですよ」

と水谷シェフは笑いながら話してくれた。「パナデリア」はスペイン語で「パン屋」、そして「シエスタ」は「昼寝」という意味。日が射すとポカポカと心地のよい店先。ここでおいしいパンをお腹いっぱい食べた後、そのまま昼寝できれば幸せ、などと思ってしまう。

「美味しいパンを作るために一番大切なことは、発酵だと思っているんです。生地をゆっくり休ませることで、生地の持つ旨みを最大限に引き出すことができます。そもそも、最初に“シエスタ”という言葉を知ったのは学生時代。ボサノバが好きで良く聞いていたところ、歌詞によく出てくるんですよ。この言葉の響きが好きで、意味は何だろう、と思っていたら“昼寝、休憩”だった。パン職人になった時、パン作りにおいて一番大事なことは何か、と考えた時にこの単語がぴったりきました」

「生地をゆっくり休ませてあげる」、穏やかな口調で話すシェフのこの言葉に、パンに対する優しい気持ちがしっかりと感じとられた。と同時に、店内に並ぶパンの姿が頭に浮かんで「なるほど」と納得。作り手の想いはしっかりと形、そして味となって現れるんだな、と。『寝る子は育つ』とはよく耳にするが、人間のみならずパンの世界でも通用するのかもしれない。

この通りパンへの愛情に満ち溢れた水谷シェフであるが、意外にもパン作りへの道 に進んだのは比較的遅かったようだ。

「旅行が好きだったこともあり、旅行会社に就職してツアープランナーをしていました。中堅社員と呼ばれるような、ある程度責任のある立場だったんです。ある意味、趣味も兼ねていましたから仕事は楽しかったですね。しかし、一生できる仕事ではないと、ある時期思ったんです。それで、他に好きなものは何かと考えた時に、それが“パン”だった。『食』というのは人間が生きていく上で最も重要な部分ですし」

それが27歳の時。パン職人として一からのスタートなのだから、勇気のいる決断であったに違いない。


もともとパンを食べることが大好きな水谷シェフが、いろんなお店を食べ歩いて自分が一番おいしいと思ったお店が「ベッカライ 徳多朗」。

「やはり人気のパン屋ですから、順番待ちのため、すぐ雇ってもらうことはできなかったんです。しかし独立を視野に入れていたので、修業先選びに妥協はしたくなかった。パンのクオリティ、考え方、仕事に対する姿勢など圧倒的に違いますから。半年待って、やっと店に入ることができました。声がかかる前から徳多朗の近くに引っ越して、いつ呼ばれてもいいように待ち構えていたんですよ(笑)」

「ベッカライ 徳多朗」での修行期間は3年。それまでに他店で2年間修業したが、仕込みから成形、窯まで全て教え直されたという。

「自分のパン作りにおいての基本は、「徳多朗」なんです。得た知識や技術は、もちろん現在も活かされています。今でも一番好きなパン屋ですし、目標ですね。」



「パナデリア シエスタ」のパンのおいしさの秘密の一つは、人気店「ベッカライ 徳多朗」での経験にあることも確かだろう。しかしそれ以上に、水谷シェフの真摯なパン作りにあることは間違いない。例えば、店で使用されているフィリングは全て手作りである。

「あんパンに使われるあんこは、北海道産の小豆を信頼できる問屋さんから仕入れ、4時間かけて炊き上げています。季節や豆の状態で炊き方も変えているんですよ。カスタードクリームについても同じ。カレーパンにおいても、約30種類の食材を合わせて調理することによって、オンリーワンの商品に仕上げています。フィリング作りに一番手間がかかっているんじゃないかな」

手間隙惜しまない丁寧な仕事。特にこれらの定番商品にこそ、しっかり手をかけることを心がけているという。なるほど、あんこやカスタードクリームはしっかりと素材の味が活かされているけれど甘さ控えめの優しい味であったし、カレーはピリッとくるスパイシーさが心地よく、旨みもしっかりと感じられるものであった。これぞ「シエスタの味」なのであろう。
また、“旬”を取り入れたパンも魅力的である。紅玉のデニッシュに使われるフィリングの綺麗なピンク色には溜め息が漏れるほど。

「素材選びについては、実際に作ってみておいしければ使います。自分の舌が判断の基準なんです。紅玉は自分でも好きで思い入れのある商品。あと、今の時期だとサツマイモのデニッシュですね。実は、店の大家さんが畑で作ったサツマイモを使っているんですよ。正真正銘地場産の素材をこうして地域でパンとして消費する、スローフード的な商品で気に入っています。今後もこういった商品を増やしていきたいですね」


場所柄、味の分かるお客さんが多い界隈である。そして、小さな子供連れの女性客も多い。実際、店に到着した際、店先にベビーカーを押す若いお母さんが数人いるのを見かけた。「シエスタ」のパンなら小さな子供も安心しておいしく食べることができるだろう。広告など出していない分、お客さんのクチコミが頼り。

「天然酵母はオーガニックレーズンとグリーンレーズンの酵母をブレンドして作っているのですが、力のある香りがよいパンを作ることができるんです。酸味のない食べやすさを追求しています」

との言葉からも、シェフがこだわりに固執するだけでなく、身近な地域の消費者のことを念頭に置いていることがよく分かる。店の営業時間は定休日の月曜日を除いて、一応10時から19時ということになっている。しかし、シャッターを開けているのは6時から20時。その間はパンを購入することができる。朝は種類こそ少ないが、状態の良いパンを提供できるから、というのが大きな理由だ。



さっぱりした口当たりのレモングラスティー。
来店した際にはぜひ。



「パナデリア シエスタ」を訪れると、とても心が温かくなる。店内でお客さんの喉を潤す爽やかなレモングラスティーに、注文を受けてから絞ってくれる『ミルククリーム』。こんな細やかな気遣いがうれしい。こんな水谷シェフやスタッフに大事に育てられたパンは幸せだ。そして、当然ながらそのパンを食べることができる私たちはもっと幸せ者なのだけど。「またすぐパンを買いに来よう」お店を出た途端、そう思う自分がいた。



パナデリア シエスタ
住所 横浜市青葉区奈良5−4−1
TEL045−963−5567
営業時間10:00〜19:00
定休日月曜日
アクセス横浜高速鉄道こどもの国線 こどもの国駅から徒歩5分