木曜日、PM3:00。店に入ると、小麦の甘く豊かな香りが鼻腔をくすぐった。焼き上がったばかりの食パンが棚に並べられるや、ひとつ、またひとつと消えていく。常連と思われる客は、パンが入った大きな袋をよいしょと肩に掛け、店を後にした。店内の棚には、もう今日の仕事を終えた幾つかのプライスカードが端に寄せられている。
「今日はまだパンが残っている方なんですけどね。土日なんて午前中でほとんど無くなってしまうんですよ」
申し訳なさそうに少し眉を下げて話すのは、接客を務める奥様。その肩ごしに、奥の厨房で黙々とパンを焼くご主人の姿が見えた。この店のシェフ、塩塚雅也さんだ。
「文字通りの夫婦二人三脚でやってるんで・・・あ、ちょっと待ってくださいね」
ピピーッとアラームが鳴った。小走りで窯に駆け寄ってパンを出す。次の瞬間には冷蔵庫へ。番重からは、トロンと滑らかで潤いのある生地肌が顔を出した。カードを器用に使い、伸ばすように2度、3度とパンチをかけ、また番重を元に戻す。機敏で素早い動きの中、パンを触るその瞬間だけ、ふっと優しい手つきになる。


「ブーランジュリー パリゼット」は、2007年4月3日にオープン。まだ一年半程の新店だが、平日は近隣の住宅街から、休日は遠方からと幅広い客層が足を運ぶ、地元の人気店だ。塩塚シェフが目指すのは、修業時代に出会った“フランスの味”を再現すること。バゲットの濃厚な粉の味わい、バターが香るクロワッサン・・・今も忘れられないパンの味をこの場所で独り、追いかけている。そして、特筆すべきは“食事パン”へのこだわり。リテイルベーカリーで、食パンだけで6種類のラインナップが揃う店は珍しいだろう。

東急東横線大倉山駅から15分程。カリグラフィー調のロゴマークは塩塚シェフのお兄さんがデザインしたものだそう

木のインテリアを配置した温かみのある内装。本格的なハード系、食パンなどの食事パン以外に菓子パンや惣菜パンも豊富


塩塚雅也さんは、静岡県浜松市出身。料理人を志し、専門学校を卒業後は地元・遠州森町のオーベルジュ(宿泊付きフレンチレストラン)で働いていた。
「『フランス料理今井』という、地元では有名なオーベルジュ。オーナーシェフの今井さんは、フランス料理界では有名な方。1日1組限定の完全予約制で、地元で採れた野菜や旬の肉、魚を使ったフレンチを提供していました。初めからメニューが決まっているのではなく、その日に手に入った食材から決めていく。契約農家の畑に野菜を採りに行ったり、養鶏場で生きた鶏を屠殺したりと、料理だけではない貴重な経験をしました」

「フランス料理今井」では、パンも自家製。塩塚さんは料理専門だったので、パンは未知の世界。パンが発酵し膨らむ姿に興味を持つようになり、いつしか自分もパンを作りたいという気持ちが強くなっていった。
「3年目になった時、もう一度今後を考え直して、思い切ってパンの道に進むことにしました。22歳でゼロからのスタートですが、やるなら今しかないと思って。そこで、学校から紹介されたのが、銀座の木村屋でした」


菓子パンの生地は、30%の糖分を含むためボリュームが出にくいので、初めに液種を作って、後から粉と砂糖を加える加糖液種法。人気のクリームパンはパティシエールも自家製と、副素材にも手間を惜しまない




銀座木村屋の製造は、「アンパン」「ハードパン」「デニッシュペストリー」の3部門に分かれている。塩塚さんが始めに配属されたのは「アンパン」の部門だった。

「木村屋といえば、アンパンだからヤッターッ!って思ったんですけど、蓋を開けたら、来る日も来る日も・・・一日中包あん。木村屋は3年毎に部門が変わるというシステムなんですが、1年経った頃どうしてもハード系がやりたくなった。そのためには人の3倍働けばいいんじゃないかと思って、休憩時間は他の部門に行って、先輩からパンを教わりました。その頃知り合ったのが、パティスリーマディでシェフをやっていた松原さん。相談したら『そんなにやりたいなら、店に来い』って言ってくれて。それからは休日になるとマディに行って研修させてもらいました。休憩も休みも全く無しだったけど、全く辛くなかった」

そんな姿を見て、上司は1年で希望のハード系に移動させた。異例の待遇に周囲の反発もあったが、塩塚さんはさらにその先を見ていた。


ヴィエノワはブール、ショコラ、あんバター、カフェの4種類を展開。しっかりした弾力と歯切れを備えた生地の味わいが印象的


「久々に、専門学校に顔を出したら、同級生がフランスで働いているっていう話を聞いて。他にも、すでにフランスから戻って日本でスーシェフをやっている奴もいる。同じ教室で勉強していた人が、すでに世界に出て行ってるってことがものすごくショックで。・・・で、僕もフランスに行こうって(笑)」

このままじゃいけない、自分ももっと上を目指したい。一度決めたら一直線という性分。当ても無いが退職届けを出し、半年後には日本を発った。パリで見つけたアパートメントは3畳程の広さにでトイレも共同。シャワーも暖房も無く、塩塚さんは毛布にくるまって暖を取ったという。

「紹介でパリのジャック・タピオ氏に会いに行きました。タピオ氏の店はたまたまスタジエが入ってしまって、空きが無かったんです。次が見つかるまで1週間程お世話になった後、ダニエル・デュピュイ氏の店で働くことになりました」


クロワッサン生地はフランス粉と最強力粉を使用し、力強い粉の味と発酵バターのコクの両方を愉しむことができる。フランスで学んだルセットがベース


13区の「ダニエル・デュピュイ(Boulangeries de Paris Daniel Dupuy)」は、パリ市内のレストランでも供され、特許を取得した独自の製法で焼き上げたビオのパンが人気。天然酵母や低温長時間発酵法・・・テーブルの上の巨大なバターの固まりにナイフが刺さっている姿まで、塩塚さんにとっては全てがカルチャーショックの連続。フランスの素材が織り成す味わいと、デュピュイのパンに心底惚れ込み、どっぷりとフランスパンの世界にのめりこんだ。

「日本人特有の繊細さや器用さは褒められましたが、フランスでは数をこなすことが大切。デュピュイでは全てが手作業。負けず嫌いなので、フランス人に負けないように頑張りました。日本とフランスでは素材からして全く別物。小麦は製粉の仕方から違います。日本だと、製粉技術が高度なので粉が非常に安定していてブレがほとんど無いのですが、フランスの粉は毎日状態が違う。だから、その時々でミキシングとかパンチのタイミングとか加水量を変えなくちゃいけない。常に生地との対話です。そうしないと全然いいパンにならない」

バゲットトラディション ¥231

一次発酵後のバゲットトラディションの生地。うるうると輝く表面に、加水の多さをうかがわせる


デュピュー氏から学んだバゲットの製法は、今も塩塚シェフのパン作りの大切なベースになっている。小麦の質が異なる日本では、酵素活性を良くするためとうもろこし粉を加えるなど工夫している。塩塚さんのバゲット・トラディションは、加水73〜75%とかなり多めに入る。フランスパン粉「リスドオル」に低速でゆっくりミキシングして吸水させ、パンチして生地に力を与えながら、5℃で12時間発酵させて粉の味わいを引き出す。高温・短時間で一気に火を入れ、厚めのクラストと、モチッと引きのあるクラムからはしみじみと粉の旨みが広がる。

「途中ブルターニュでも仕事しながら、フランスには3年いました。向こうで知り合った日本人が、関西の『パン工房 麦の花』のシェフになることが決まっていて、一緒にやらないかといわれて帰国しました。その頃、松原さんがマディを辞めるから後釜に・・・という話も何度か戴いたのですが、僕自身まだ勉強したかったし、大阪の店がとにかく忙しくて辞められなかった。ちょうど一年くらい経った頃、松原さんが店に来たんです」

塩塚さんの前で、松原さんは頭を下げた。

「シェフをやってくれないか」

知識も技術も無いまま裸一貫でパン業界に飛び込んだ自分を受け入れてくれた。松原さんのおかげで現在の自分がある。今が恩返しをしなくちゃいけない時なんだ・・・。塩塚さんは、マディに行くことを快諾した。


「会社のコンセプトに沿ってやらなくちゃいけなかったので大変なこともありましたが、いい勉強をさせてもらいました。伝票を整理したり、人の面倒を見たりということに時間を割くことが多くなっていくと、やはりもっと自由に、自分のパンを焼くことに専念したいと思うようになってきて・・・」

木村屋に入った22歳の時、心に決めた目標があった。それは“30歳までに自分の店を持つこと”。その思いはフランスにいても、帰国しても常に頭から離れることはなかった。  30歳。塩塚さんがマディを辞めたと同時に、マディのブーランジェリー部門も終了した。自身の店を成功させることで、社長には恩返しをしよう。気持ちを新たに、独立の準備を進めた。

パン・オ・ルヴァン ¥462
ドイツ産のライ麦粉メールダンケルを15%配合。天然酵母は自家製のルヴァンリキッドを使用し、軽い酸味のある旨みを粉の味わいがまろやかに引き立てる。


ルヴァンリキッドは毎日蜂蜜と小麦粉を継ぎ足している。爽やかな酸味と優しい甘さを備えた薫りが鼻をくすぐる


「大倉山は住宅街も近くにあるので、売れそうな商品を色々並べて、従業員も何人も使ってやろうって考えていたんです。だから充分な敷地が必要だと考えていました。厨房も21.5畳と広めにとったんですが、いざオープンしてみて、自分の性分に気付いたんです。・・・僕は、自分のパンを人にいじられなくなかった」

オープンしてしばらくは従業員を雇っていたものの、思うようにいかないと怒鳴ってしまったり、他人に仕事を任せることができない。これじゃいけない・・・と思いつつ、ついに『パンに触るな!』という言葉が出たとき、塩塚さんは、ひとりでやっていこうと決めた。全部の工程をこの目で見て、自分の手で焼いて店に出したい。

「それが、僕のこだわりなので。オープン当初からは随分とパンの種類も数も減ってしまったので、お客さんには本当に申し訳ないです。初めから自分がこういう性格だって分かっていれば、もっと狭く作ったんですけどね。成形して、オーブンが鳴ると走って、材料を取りにまた戻って・・・ってひとりだと広すぎて大変(笑)。体力的にはしんどいですが、精神的にはすごくラクです」

パン・オ・ブレ・ノワール ¥630
第2回SAF製パンコンテスト入賞作品。“ブルターニュ”をイメージし、そば粉とシードルから起こした液種で。ローストしたそば粉とダッチの上掛けをのせて焼きあげ、有塩バターで仕上げる




オープンして1年半。回り道はしたものの、塩塚さんの迷いの霧は晴れた。フランス修業時代に出会ったパンそのままを日本で作りたい。手間はかかっても、素材と、生地と、とことん向き合いたい。
「自分の目指す店」「作りたいパン」がクリアになり突き詰めていくと、その道は狭くなるどころか、買い手もその意思に沿って道なりに膨らんできた。

「年配の方やファミリー層だと菓子パンや調理パンのほうがいいのかなと思っていたのですが、ハード系もすごく売れるんです。やりたいことをやってもいいんだって気付いて、少し自信がつきました。」

湯種、七穀、パンドミ、全粒粉、セサミトースト、ハードトーストの6種の食パンは粉の選別にはじまり、配合も生地も全て変えている。いずれは“食事パン専門の店”にしたい、という夢もあるそうだ。

「僕は思うんです。パンは嗜好品ではなく、日常の食べ物。毎日食べるものは食パンやフランスパンで、クリームパンは毎日は買いにこないでしょ?お客さんには毎日の食卓にパンがあってほしい。特に日本の食事パンの代表である“食パン”はバリエーションを用意して、毎日出来たてを買いに来てもらいたいんです」

口どけ良くソフトなパンドミは練乳を配合。全粒粉の食パンは最強力粉でボリュームを出し、胚芽と全粒粉の独特の風味を消すために牛乳を入れるなど、食べやすくする工夫が随所に。

湯だね食パン ¥263
焼きあがりのパンを並べる時、接客の奥様が「これ重くて大変なんですよー」と根を上げるほどの重量感。粉の甘みをじっくり噛んで味わうことができる、“湯種”らしさを実感できる生地が魅力





素材と製法の選択、目指す味わいと食感。ひとつひとつのパンに、理由がある。パンの話は尽きることがなく、気がつくととっぷりと陽が暮れ、店にはもうわずかなパンしか残っていなかった。

「1年半経って、やっと方向性が定まってきたんです。やってきた道というのを今ようやく振り返れる。結局は、僕は自分のパンを作りたい、それをみんなに食べて欲しい、それだけなんです」

最後に店名「パリゼット」の意味を聞いた。
それは、フランスの古い本に出てくる妖精の名前。そして、同じ「パリゼット」という名前の高山植物があるのだそう。その意味を辿っていくと、“酔わせる”“病み付きにする”という言葉に行き着いた。
パリゼットの魔法にかけられた塩塚さんは、今日もあの少し広すぎる厨房で独り、パンを焼く。その味わいと薫りに病み付きになった人々はまた大きな紙袋を抱えて、笑顔でその店を後にするのだろう。

「ありがとうございました!」

PM6:00。奥様の明るい声が響くと共に、最後の食パンが売れていった。 (2008.11)




ブーランジュリー パリゼット
住所 神奈川県横浜市港北区太尾町1115
TEL045-479-9267
営業時間9:00〜19:00(土曜、日曜8:00〜18:00)
定休日月曜、火曜
アクセス東急東横線大倉山駅より徒歩10分






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