近所にお気に入りのパン屋がある人は幸せだ。毎日の朝食や昼食用に、ちょっと空腹を満たしたい時などにふらりと立ち寄ってパンを選ぶ。「ぴぃたぁせん」は、まさにそういった“馴染みの店”という表現がしっくりくる。

「わざわざうちの店をとりあげるようなところは何もないですよ」

取材前、そう話していたオーナーシェフの志保石さん。確かに、ぴぃたぁせんには特別目立つようなパンやインパクトの強い味わいのものなどは並んでいないかもしれない。けれどもひとたび口にすれば、心に響いてくる何かを感じずにはいられないから不思議だ。その何かとはなんなのだろう。





志保石さんはパン職人である父親のもと、幼少の頃からパンに触れて育った。既に小学生の頃には、ソーセージパンを巻いたり、カレーパンを揚げたりといった手伝いをしていたという。子供にとって、パンが出来上がっていく様を間近に見るのはさぞかしワクワクするような経験だったに違いない。

「全然(笑)! 人手が足りないから無理やり手伝わされていただけなんです。本当は、自分も皆と同じように遊びたかった」

父親は北池袋で「ヤナギヤベーカリー」という名のパン屋を営んでいた。時は昭和30年代。ブーランジェリーという言葉もなければ、現在のようにパン職人が憧れの職業としてとりあげられることもほとんどなかった時代である。“パン職人にはなりたくない”幼心にそう考えていたそうだ。

「父の姿といえば、白衣に前掛け、ネジリ鉢巻き。それがちょっと気恥ずかしくて。普通の服装をしている友達の親が羨ましく思えましたね」

そんな志保石さんの心をパン職人の道へと動かしたのは、知り合いから発せられたひと言だった。

「“銀貨一枚”、つまりどこに行っても通用するような、役に立つ人になりなさいという意味の言葉。高校卒業を間近に控えてその先の進路を考えていた時に、この言葉を思い出したんです。よし、職人になろう、職人になるならやっぱりパン職人しかないだろうなって思うようになって」

“親と同じにはなりたくない”それは思春期なら誰もが一度は考えること。しかしあれこれ葛藤していても、結果的には親と同じ道を歩んでいたりする人は案外多いのではないだろうか。成長していく過程でいつしか親の生き方や価値観に気づく、それはとても自然な姿なのかもしれない。





高校卒業後に向かった先は東京製菓学校のパンアカデミーだった。小さい頃からパン作りを目の当たりにしてきた志保石さんが、敢えて学校に?ちょっと意外な気がして聞いてみると、

「学校では理論も教えてくれるから、全然違った視点で捉えることができるんですよ。それに、世界各国の珍しいパンなんかも作るんです。ヤナギヤベーカリーでは絶対にありえないようなハード系のものとかね(笑)」

そしてもうひとつ、パン職人を目指すという同じ夢を抱いた仲間ができたことも大きな財産となったそうだ。皆、それぞれ別のパン職人の道へと進んだが、卒業してから25年以上経った今でも、時々集まっては情報交換を行っているという。





志保石さんが学校を卒業したのは昭和54年、弱冠19歳の時。他の生徒たち同様に、始めはどこかのパン屋に就職して修業を積もうと考えていた。ところが、父親のひと言で事情は一変。

「ヤナギヤベーカリーを閉じるから、自分の店をやってみたらどうか」

こうして、思いがけないほど早く志保石さんのシェフとしての人生が幕を開けた。店名をヤナギヤベーカリーからぴぃたぁせんへ、場所も北池袋から世田谷代沢へと移し、全く新しいスタートを切ることに。この世田谷の物件、実は父親が食堂を営んでいた場所。パン屋の他に食堂をも切り盛りしていた父親は第一線から身を引いてアシストにまわり、主導権を息子に委ねる形となった。

「オープンに際しては、経験のある職人さんに手伝ってもらおうと思っていました。そこで、知り合いからフロインドリーブ出身の方を紹介していただき、その彼にパン作りを指導してもらっていたんです。ヤナギヤベーカリーの時には扱っていなかったフランスやドイツのハード系のものなどもいろいろ作りました。そして2年ほど経った頃、その職人さんが辞めることになって。そこからですよ、大変だったのは」

2年間彼のもとで共に作業してきたとはいえ、まだまだ経験の浅い志保石さん。辞める前に散々指導を受けたはずなのに、実際に独りで作ってみるとなかなか同じものができない。そんな時、助けとなったのが学校時代の仲間だった。どうやって作るのか、何に気をつければいいのか、などを聞いては作るの繰り返し。何度も何度も失敗を繰り返し経験を重ねる中で少しずつ答えが見えてきたそうだ。

「以前、教えてもらっていた時に言われてもわからなかったことが、“ああ、こういう意味だったんだ”ってわかるようになったんです。それは試行錯誤を重ねたからこそ見えてきたこと。でも、何より大切なのは“もっとおいしいものを作りたい”と思う気持ちなんですよね」






ぴぃたぁせんではハード系から菓子パン、惣菜パンに至るまで常時60種類ほどのパンを揃えている。その中でお勧めのパンについて伺ってみると、

「バゲット生地の中にベーコンと粒マスタード、マヨネーズを詰めた「ベーコンフレンチ」やフランス産の石臼引き粉を使った「レトロ」、生クリーム、蜂蜜、バターを入れて日本人好みの甘さを出した食パン、それに自家製コロッケで作ったコロッケパンなどでしょうか。どれも食べやすいから、普通に気軽に楽しんでほしいですね」

お店の雰囲気そのままに、ほっこりとした温かみのあるパンばかり。そこには、もっと気軽に楽しんでもらいたい、そうすることでパンの文化を根付かせたい、そんな想いがこめられている。




ぴぃたぁせんをオープンして25年余り。その間、志保石さんはずっとある想いを抱いてきた。

「町のパン屋でいたい、そう願っています。毎日買いに来てくれるお客様や、お気に入りのパンを求めて週に何度も足を運んでくれるお客様がいる、そんな近所の人が喜んでくれるような店であり続けたいですね」

最近、パンはちょっとしたブームだ。雑誌に目を通せば“パン特集”が組まれ、人気のパンや職人の紹介がされていることも多い。そういう情報をもとに遠くのパン屋まで足を伸ばすのもいいけれど、もっと近くに目を向けてみてはどうだろう。そこには、地元同士だからこそ生まれる交流や心の豊かさ、温かみというものがあるのだから。





志保石さんの“地元を大切にしたい”と願う気持ちは、パン作り以外の場にも表れている。

「自分の店だけではなくて、この町全体を盛り上げて行きたいんです。最近は、皆、自分のことで精一杯、なかなか心のゆとりが持てないような気がします。でも、本当は知らない人同士でも自然と挨拶できるような町になってほしい。だって大人が会話しない町になってしまったら、子供たちだって町の顔が見えないでしょう。だから、私たちが頑張らないと」

“自分たちの町”という言葉に力がこもる。これまでにも町会の青年部として町会主催の行事に積極的に参加するなどのコミュニティ活動を行ってきた。そういった活動を通して、少しずつ町の輪が広がっていけばと願っているのだそうだ。

「この間、小学生たちが取材に来たんですよ。学校の課外活動なんでしょうけれど、“朝は何時に起きるんですか〜?”とか“これは何ですか〜?”なんてたくさんの質問を受けました。パン生地を触らせてあげたりもしました。子供たちに“パン屋のおじさんだ〜”と知ってもらえて嬉しかったですね」

コミュニケーションの場としても欠かせないぴぃたぁせん。“パン屋のおじさん”は、今日も町の子供や大人たちのためにパンを作り続けている。









ブーランジェリー ぴぃたぁせん
住所 東京都世田谷区代沢1-23-1
TEL03-3412-2633
営業時間10:00〜20:00
定休日木曜日
アクセス京王井の頭線駒場東大前駅より徒歩15分、または渋谷駅より「渋51」「渋52」系統バスにて「池尻住宅前」もしくは「代沢一丁目」バス停下車、徒歩約3分