キィニョンを初めて訪れた時、まるで絵本から飛び出してきたみたいなお店だなと思った。ペンキで色付けしたウッディな建物や看板。ところどころいい具合に剥げかかっていて、そこだけもとの木目が覗いている。そして木製のドアを開けて中に入ると、そこにはファンシーな世界が広がっていた。5人も入ればいっぱいの店内。パンとお菓子が並べられたテーブルがお客さまのまわりをぐるりと取り囲んでいる。辺りには無造作に置かれた木箱や植木鉢や絵本たち…。そんな手作り感がいっぱいの店は、温もりがあってこちらまでほっとやさしい気分になってしまう。



「おもちゃ箱みたいなお店にしたかったんです。楽しいものがたくさん詰まっている、そんなイメージで作りました」。

人懐っこい笑顔で現れたのはオーナーシェフの神林慎吾さん。



神林さんはパンを作り始めて17年になる。

「元々パン屋になる気は全くなかったんですよ。大学生の時にたまたま国分寺のパン屋でアルバイトをしたのがきっかけでした。パンのおかげで、僕の人生はがらりと変わってしまいました」

大学時代、神林さんは悩んでいた。それは、将来が見えない悩み。親のレールに乗せられて、なんとなく大学まで来てしまった。いざ気づいたときにはやりたいこともなく、自信もない人間になっていた。この先どうしたらいいのだろう。

「最初パンの販売をしていたんですが、あるとき製造を手伝うことになりました。これが面白くて、面白くて。周囲に誉められたことも嬉しかった。そして僕にはこれしかない!って。初めて“生きてる”って実感しましたね(笑)」

こんなふうに、やりがいは突然訪れたのだった。元々手先は不器用だと笑う神林さん。図画工作や家庭科で誉められたことはなかったそうだ。ところが、パン作りだけは違っていた。難しいと思うこともなく、まじめに作ればきちんと形になる。それが楽しかった。自然と自信が湧いてくるようになった。


神林さんのパン作りへの想いは日に日に膨らんでいく。そして大学3年生を迎えた年のこと。

「パンの世界で生きていこうって決心しました。そう決めたら少しでも早く一人前になりたかった。だから、親に内緒で退学しちゃったんです。不安は全然ありませんでしたよ。それほどパン作りは魅力的でしたから」

社員となって国分寺のパン屋で1年働いた後、神戸屋キッチンを経て個人店へ。この店では天然酵母を使用した無添加のパンを得意としていた。イーストを使用したパンを作ってきた神林さんにとって、その出会いは衝撃的なものだった。

「天然酵母パンって、独特の旨みがありますよね。イーストなどの化学的なものを使わないで手間暇かけて作ったパンはなんておいしくなるんだろう、そのことに気づかされました。そして何より、作り手の想いが一番大切だということを、この店のオーナーシェフに教えてもらいました」



2002年4月、35歳のときに神林さんはキィニョンをオープンした。お店を建てたのは神林さんと仲間の5人。日曜大工が好きな人や絵が好きな人が集まってひとつのお店を作り上げるにまで至ったというから驚いてしまう。

「資金面のことなどもあり、自分たちでお店を作ろうと思ったんです。いざ始めてみると、本当に大変でした。設計から建築、そして内装に至るまで全部自分たちでやり遂げたんですから。完成まで3ヶ月もかかってしまいました。でも、あきらめずにいいものを作りたいという想いがあれば必ず形になるんです」

物作りに対して苦手意識があった神林さんも、気づけば金槌を握って一緒になって作っていたそうだ。あきらめなければ必ず夢がかなう、そのことは決して忘れてはいけないことなのかもしれない。


「夢はかないましたが、店を持つということはなんて大変なんだろうって実感しています。毎日忙しい上に、オーナーとして利益のことや人材のことなども考えなくてはいけない。以前のようにただ好きなパンを作っているだけでは済まされませんから」

それでも、神林さんには譲れないことがある。それは、たとえ手間がかかっても採算が合わないとしても、自信を持っておいしいと思えるパンを作るということ。そのひとつの表れが水へのこだわり。パン、中でも酵母は水が命だからと、国分寺の名水といわれる湧水を毎日汲みに出かける。その酵母でパンを作ると、とても風味が豊かになるという。
   

「この水を使うからこそ、酵母の香りを最大限に活かすことができる。消毒してある水道水はもちろん、ミネラルウォーターでも今の味は作れない、そう思っています」

神林さんの酵母はちょっと変わっている。まず、熟成期間は3日とふつうよりも短め。そして出来上がった酵母は全て使いきってしまう。若い酵母を使ってパン生地を長時間発酵させると爽やかな酸味のソフトな食感のパンができるそうだ。


  


他にも、自分で作ったほうがおいしくなるからと作り始めたカスタードやサンドイッチ用のチャーシューなど、こだわるうちにどんどん自家製のものが増えてしまった。

「せっかく独立したんだから、とことんこだわりたい。こんなふうにいま僕が頑張れるのは、情熱をかけてがむしゃらに働いた過去があるから。何年もかけて一生懸命やってきたことは決して自分を裏切らない、必ず形になるはず。ただ、こだわればこだわるほど時間がかかって忙しくなっちゃうのが悩みですけれど(笑)」



神林さんの情熱が伝わったのか、聞いているこちらまで体中が熱くなるのを感じた。









キィニョン
住所 東京都国分寺市南町2-11-23
TEL&FAX042-325-6616
営業時間10:00〜20:00
定休日日曜日
アクセスJR中央線国分寺駅より徒歩4分