「きな子」「ママクッキー」「らくだの涙」・・・。ほのぼのとしたネーミングの焼き菓子が茶色い木枠のショーケースに並ぶ。すぐ隣の小さな冷蔵ケースの中には、「プリン」や「ロールケーキ」「焼きショコラ」などのケーキ類。どのお菓子もナチュラルな風合いで、手作り感溢れる和のインテリアにも不思議と馴染む。ほんの数百メートル先は東京タワーという周りの喧騒を忘れてしまうほど、そこにはゆるやかな時間が流れていた。
店の名は「ルスルス」。週3日だけ営業といった、ちょっと珍しいスタイルのお菓子屋さんだ。



“RESSOURCES”
入り口の引き戸の足元に、ちょこんと立てかけられた看板。といっても、看板とは気づかないほど小さくてさりげない。
「もう2年以上経ったので、そろそろちゃんとした看板を作りたいですね(笑)」
と、シェフの新田あゆ子さん。「ルスルス」という心地よい響きの文字は、フランス語で「みなもと」「発信」の意味。“ひとつひとつていねいにつくられたお菓子のあたり前においしいということを味わってほしい。・・・大切な人と過ごす穏やかな時間。その傍らにルスルスのお菓子がご一緒できたら幸いです(HPより)”といった気持ちが込められている。大事にしているのは、ほっと和むような空間作りのお手伝い。人と人とのコミュニケーションの場が、手作りのお菓子で潤ってくれたらと願う。もちろん、ただ手作りしているわけではない。“どんな時に、どんな人とこのお菓子を食べるんだろう?”そんな想像を膨らませながら、ネーミングを考えることも楽しいそうだ。



例えば、リピーターが多いという「きな子」。
「これはスノーボールクッキーをアレンジしたもの。焼き上がったら、まわりにきな粉+砂糖+塩をまぶしているんですが、普通に「きな粉」だと味気ないような気がして。“粉”を“子”に変えるだけでも不思議と愛情がわいてきますよね」
また、コーヒー味のメレンゲ菓子「らくだの涙」なら、
「らくだ色をしていて、雫の形に似ているから・・・。それに、確か砂漠では、らくだがコーヒーを運んでいたなあと思って、そのイメージもありました。でも、実は違っていたみたいです(笑)」
「ちょっと変わった名前のお菓子を見て、食べる方たちにも楽しんでもらえたら嬉しいですね」
といった具合。

店内は2人も入ればいっぱいになってしまうほど

らくだの涙。小さくてころんとした形が愛らしい


手作りの温かみが伝わってくるルスルスのお菓子は、都会の真ん中で着実にファンを増やしているようす。今後ますます力を入れていこう、と気合が入っているに違いない。そんな展開を期待していたら、見事に裏切られてしまった。
「もともと “職人になりたい”と、強く希望していたわけではないんです」
しかも、必ずしも“店”という形式にもこだわらないという。そういえば、店を開けているのは週3日ほど。残りの日は教室を営んでいる。この辺りに何かわけがあるのかも・・・?


たっぷりのきな粉をまぶしたクッキー、きな子。
きな粉の香りとあまじょっぱさ程よく、癖になりそう



「小さい頃は、母が時々お菓子を作ってくれていましたね。プリンとかパンプディングとか、それから人参のケーキとか。そのせいか、市販のお菓子を買ってもらうことはあまりなかったです。本当は食べたかったんですけれど(笑)」
ということは、やっぱりかなりのお菓子好き?
「いえ、それほどでも・・・。すごく好きなわけでもないし、甘いものに目が無いわけでもない。母のお菓子を普通に食べていました」
これまた予想に反して淡々とした答え。しかし、そうした幼少体験が、その後の人生に少なからず影響を及ぼしていたようだ。なぜなら、就職を控えた新田さんが出した結論は、“ケーキ屋で働く”ということだったのだから。



「もともと、自分の手で何かを作り出すことが好きでした。美術や工作の授業なども楽しかったですね。だから、働くなら手に職をつけたいと思ったんです。それで、お菓子屋に。作る仕事とひと口に言っても、いろいろ選択肢はあったのかもしれません。でも、あまり悩んだという記憶はないですね」
“お菓子は買うものではなくて、自分で作るもの”新田さんの中では、おそらく、こんな気持ちがベースにあったはず。手作りのお菓子が身近にあったという環境を考えれば、ごく自然な成り行きだったのだろう。


シンプルなバニラ風味のプリンは、形を保ったしっかり系

センターにコーヒームースとクルミを入れた、ショコラムース


短大を卒業した後、お菓子の道を歩み始めた新田さん。初めに選んだ場所は、都内にある洋菓子店だった。
「ケーキ屋さんというより、カフェと言った方が近いかな。規模が大きくないところがいいと思って」
規模が大きい店の場合、“計量”“焼き物”“窯”など、細かく作業が分かれ、担当が決められていることが多い。それよりも、少人数で小ロットで仕込んでいる店の方が、いろいろやらせてもらえると考えたようだ。
「約3年の間に、ショートケーキやムース、パイなど、ひと通りのお菓子を作らせてもらいました。もちろん完璧に習得したとはいえません。でも、プロのお菓子がどういうものかは実感できたと思います」


プレーンのパウンドケーキ。教室ではシュガバッター法とフラワーバッター法の2パターン作り、違いを比較する


パン ド ジェンヌには、自家製のマジパンを使用


普通なら、この後、次々と修業先を見つけてステップアップを・・・といきたいところ。ところが、新田さんはそうではなかった。がらりと矛先を変え、バンタン製菓学園へ就職。アシスタントとして生徒にアドバイスする役割を担うことになった。というのも、
「教えるという勉強をしてみようと思ったんです。そもそもお菓子作りを始めたきっかけが、教室を開くことだったので・・・」
もちろん、現場で働き始めた頃は、製菓を習得することで精一杯。日々新しいことの連続で刺激的な毎日を送っていた。その後暫くして、教室への想いが再燃した。進むべき方向性が改めて見えてきたのだろう。


バターをたっぷり使ったガレットは、サクサクの食感が魅力


全粒粉入りスコーンは、さっくり、ほろり


しかし、現場で経験を積んだのなら、すぐに教室を開くという選択もあったのでは?
「いえ、作れることと教えることとは全く別もの。教える中で一番大切なのは、“言葉で伝えること”なんです」
学校でたくさんの生徒たちと接していると、次第にあるパターンが見えてきた。例えば、面白いと思うところや、逆に難しかったり失敗したりするところは、だいたい皆、同じなのだそうだ。そうしたポイントを見つけ出し、プロらしい手さばきを披露することはもちろん、わかりやすく説明しなければならない。それは実際に教壇に立つ先生だけでなく、サポートするアシスタントたちにも求められていること。そのため、日々、先生と打合せをしては技術を磨いたり製菓理論を学んだりした。


アーモンドキャラメルがカリンと香ばしい、アルル


ヘーゼルナッツの風味が豊かな、三日月



さて、こうした教える仕事を続ける傍ら、新田さんは武蔵小金井で人気のパティスリー「オーブン・ミトン」の教室にも通っていた。
「お菓子の世界に入った頃にいろいろとお店めぐりをしていました。その時に、“ああ、おいしいなあ”と素直に感じたのがオーブン・ミトンだったんです。それから、教室に通い出して、インストラクターコースまでいきました」
その後は小島シェフの勧めもあって、教室スタッフとして働くことに。更に、「ナッペ&絞りクラス」といった特別コースを受け持つことにもなった。その時に感じたのは、
「同じ“教える”という仕事でも、バンタン製菓学園の時とは全く違う。パティシエを目指している学校の生徒さんに対して、趣味で作りたいのが教室の生徒さん。だから先生に求めるものも違っていて当然なんです。物越しも柔らかくしなくちゃとも思いました(笑)」
特に、“教室は接客業なんだ”と痛感したという。楽しく学んでもらうための空間作り―そんな教室ならではの一面も、肌で感じとったに違いない。




学校や教室で働きながら、いつかは自分の教室を・・・と願っていた新田さん。その夢は案外早くに現実のものになった。
「ある人からこの場所を勧められて、急にやることになりました。事前の準備ですか? いえいえ、全然。でも、せっかくいいお話をいただいたんだから、とにかくやってみようと。ルスルスを開きながら、準備をしていたようなものでしたね」
ルスルスという看板をかかげ、まずは教室からスタートした。というより、当初は教室だけでもいいと考えていたらしい。しかし、どんなお菓子を教室で学ぶことができるのか知ってもらいたい、そんな想いもあった。そこで、曜日限定で販売をスタートすることに。
「結果的には、お店もやってみて良かったです。生徒さんにも好評だし、近所の人にも来てもらえるようになりました。お店としてバリバリやるというよりも、出来る範囲で少量ずつ作っています」
そのアットホームな感じが逆に魅力的に映るのだろう。お客の中には、近くに住んでいる人以外にも、OL やサラリーマンの姿も多いという。


フルーツをたっぷり使った、グレープフルーツとピスタチオのタルト


作る側と教える側とに立ち、経験を積んできた新田さん。夢に向かって着々と歩を進めてきたイメージがあったが、いざ自分の城となると全くの手探り状態だったと振り返る。そんな新田さんをサポートしてきたのが、妹のまゆ子さんだ。教室の準備をしたり、接客を受け持つのもまゆ子さん。いつでも、明るい笑顔で迎えてくれる。新田さんも「一緒にやるのは妹以外に考えられなかったですね」ときっぱり。確かに、姉妹ならではのほのぼのとした空気が、いい空間を作り出しているようだ。さて、年子で仲の良い2人に、ちょっと質問。“お互いのことをどう思っていますか?”


人気のシュークリームは、注文してから
クリームを詰めて提供


「妹はすごく細かいところまで気がつきますね。私がざっくりしている分、心配性で(笑)。いつも立ち止まってじっくりと考えてくれるので、助かっています(あゆ子さん)」
「姉は言ったことは必ず実行する・・・というより、言う前にやってしまうくらい行動力がある人。私とは全然違うタイプです。普通なら友だちにはならないですね(笑)。(まゆ子さん)」
こんな風に気を使わずに本音で言い合えるのも姉妹の魅力。妹さんのお陰で、新田さんも安心して作ったり教えたりすることに専念できているようだ。


シュークリームときな子。どちらも、素材の
おいしさがストレートに伝わってくる



「ずっと作業しながらですみません。良かったらどうぞ」
厨房兼教室となっているスペースで取材を続けていると、シュークリームときな子をサービスしてくれた。その表情がなんとも優しくて心がほぐされていく。口に入れてもやっぱり、優しく、素直な味わい。
「食べた時にいろいろ考えなくてもいいお菓子がいいなと。“これは何が入っているんだろう?”というように悩んでしまうものではなくて、自然に食べ進められるものが理想ですね」
ただ、生徒さんたちにも同じように、とは思っていないらしい。
「ルスルスのお菓子をそのまま再現して欲しいわけではありません。皆、それぞれに自分好みのお菓子があるはず。そのお菓子を、頭で描いたとおりに上手に作れるようサポートをするのが、私の役目だと思うんです。だから、私のお菓子は、あくまでも一素材として考えてもらえればと考えています」
ルスルスのお菓子をみなもとにして、様々なお菓子が巣立っていく。そんなナチュラルで心地よい精神が、ここには息づいている。(2009.05)


可愛らしいルスルスの雰囲気にぴったりの
あゆ子さん(左)とまゆ子さん(右)






菓子工房ルスルス
住所 東京都港区東麻布1-28-2
TEL&FAX03-6424-5662
営業日木曜〜土曜
※詳細はウェブサイトをご参照下さい
営業時間12:00〜20:00
アクセス 都営大江戸線赤羽橋駅より徒歩1分
URL http://www.rusurusu.com




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