アレルギーを持つ子供に、安全なパンを食べさせたいと願う母親がいる。
大病を患い、添加物の入ったものが一切食べられない人がいる。
『必要とする人がいるから、作る』――職人の答えは、シンプルだ。

守るべきものがある人間は、強く、そして優しい。
待つ人がいて、求められるほどに、職人は懸命に応える。最良の答えを探し、悩み、助けられ、高めあう。この厳しくも温かなつながりが、パンに命を与える。作り手と食べ手をつなぐパンは、〈たべもの〉を超え、両者を繋ぐかけがえの無い〈ことば〉になる。


東急線大岡山駅より徒歩5分。ドイツ風のブリキの看板と、清水さんの愛車が目印



2006年11月末、大岡山にオープンしたドイツパンの店「ショーマッカー」。シェフの清水信孝さんは、ひとりで全てのパンの製造をこなしている。27歳という若さだが、完成度の高いドイツパンは、ドイツ大使館やドイツ料理店、語学学校からも注文が入るという本格派だ。
清水さんが、ドイツパンを作るに至るまでは、少しだけ遠回りが必要だった。

「学生時代に神戸屋でパン製造のアルバイトをしていたのがきっかけで、もの作りの面白さに目覚めました。卒業後、ユーハイムに入社しましたが、しばらくは工場でケーキを作る毎日。でも、その間もずっと、赤坂のペルティエでパンを作りたいと、希望を出し続けていました。偶然空きが出て、赤坂のパン工房に入れたのは、1年後のことでした」

念願だった、パン工房での仕事。しかし、ペルティエでの1年半の勤務の中で、清水さんの中に変化が生じた。

「ペルティエのパンは、工程も細かく、すごく手間がかかるんです。味はもちろんのことですが、見た目の美しさが非常に重視されるんですね。ペルティエでもドイツパンを少し作っていましたが、確かに、見栄えで行くと全然フランスパンに勝てる部分は無い。でも、栄養価は高いし、アレルギーや健康志向の人から必要とされていた。フランスパンの職人はたくさんいるけれど、本当に旨いドイツパンを作れる職人はまだ日本に少ない。そこに需要があるなら、自分はドイツパンを作りたいと、そう思うようになりました」



清水さんの中で徐々に膨らんでいった、ドイツパンへの想い。“本物のドイツパンを作るには、ドイツに行くしかない”と決心するも、ドイツは失業率が高い為に外国人をなかなか受け入れてくれないという現実が待っていた。その時、偶然に清水さんが出会ったのは小さな記事だった。

「“パン・ニュース”を何気なく観ていたら、ドイツ研修の募集を、偶然見つけたんです。条件も合っていたのですぐに申し込んで、採用が決まりました。ユーハイムを退職して、いざドイツに向かったのですが、最初に紹介されたパン屋は機械ばかりの工場で。仕事をやめてドイツまで来たのに、機械のオペレーターになるのは違うと思って、なるべく手作業の多い店を改めて探してもらいました。そこで研修生として快く受け入れてくれたのが、ショーマッカー氏だったのです」


ドイツ北西部に数店舗を持つ「ショーマッカー」。写真の工場一箇所で、全ての店のパンを製造している

店のオーナーであり、マイスターの称号を持つショーマッカー氏



ドイツでの研修中は、日本との作業工程や作業内容の違いに驚きの連続だったという。

「ショーマッカーの工場では、たった10数名の人数で一日5000個ものパンを焼くんです。しかも、法律で労働時間が厳しく制限されているので、効率の良さが重視されます。ドイツの多くのパン屋で機械化が進んでるのはその為なんですよ。ショーマッカーでも、分割は機械で行われていましたが、その後の手作業の部分には目を見張りました。本当に感動するくらい手の動きが早いんです。今までの自分の作業の仕方では到底追いつかない。言葉は通じなくても、見て学び、数をこなして学ぶことで技術を習得していきました」

持ち前の度胸と物怖じしない性格で、どんどん作業場に入って行き、本場のドイツパンの技術を必死で体に叩き込んだ。自分でも数キロもの生地を手早く扱えるようになった時、ようやく仕事が楽しく思えるようになってきた。

「でも、形は、絶対に日本で売れないなってものばかりですよ。バゲットなんてひっぱるだけですもの(笑)。その中でも、自分だけちゃんと成形しようとしたりすると、『早くやれよ!』って言われちゃうから、すみません…って、結局ひっぱる(笑)。向こうで“日本人は作業が丁寧だ”ってよく言われてました。皮肉だったのか、ほめられてたのか・・・」



ショーマッカーの工場にて。愛称は、“タカハラ”。当時ドイツで活躍していたサッカーの高原選手から・・・らしい

ドイツ研修で習得した技術が記載された証明書。
「これを持っていけば、ドイツの他の店でも働かせてもらえます」




1年半の研修期間を終えて、2006年の春に帰国。その後、山梨のドイツパン店で2ヶ月修業した後東京に戻り、インターネットでドイツパンの販売を始めた。

「ドイツで得た経験や技術を生かして、もっとたくさんパンを作りたかったから、東京に戻ってきました。でも、店を持っていないと定期的に売れないんです。夜中から朝にかけてパンを焼いていたんですが、本当に売れるのかという保障のないまま一人でパンを作っていると、夜明け頃何度も不安に駆られました。語学学校やレストランへの卸しもやっていたのですが、たいした量にはならない。半年ほど経って行き詰まりを感じていた頃、長野に住む父親が見るに見かねて『そんなにパンを作りたいなら自分の店を持ってみたらどうだ』と。ゆくゆくは出来ればいいなと思っていたのだけれど、思い切って開店を決意しました」

2006年11月末。そろそろ、街からクリスマスソングが聞こえるという頃、ショーマッカーは開店の日を迎えた。


本国の承諾を得て、清水さんは「ショーマッカー」の屋号を受けた。日本第一号店の誕生だ(※日本で使用しているロゴは“Die Biobaeckerei”の部分は抜いています)



「大岡山にしたのは、もともと母の実家が奥沢にあり、学生時代から自分も住んでいたので地の利が良かったからなんです。でも客層や街のことは、店を開いてから知ったことのほうが多かったですね。お年寄りが多いけれど、裕福な家が多くて、昔ヨーロッパに住んでいて『ドイツパンが懐かしい』といってくださる方がいたり。それからこの辺は、数年前までドイツ人学校があって、いまもドイツ人がたくさん住んでいるんです。お客さんで、ドイツの方も結構いらっしゃっていて。これも店を開くまでは判らなかったことなので、自分はラッキーだと思います」

とはいえ、開店すぐには、思うようなパンが焼けなかった。新しい店を開くとき、職人が一番苦労するもの・・・それは酵母の安定である。種は、ドイツの「ショーマッカー」から分けてもらったサワー種と、小麦から起こした天然酵母の2種類。

「最初の1ヶ月は、びっくりするくらい安定しなかったですね。目には見えないけれど、壁には雑菌がたくさんいるので、種が負けてしまうんです。工事を始める前に、壁に種を塗ったりしてみたんですが、全然ダメでした。だから、始めは表面に大きな亀裂が入ってしまったり、随分と変なパンが出来てしまいました」


ドイツから持ってきた大切なサワー種。毎日の種継ぎのために、休みもままならないという



ドイツから持ってきたサワー種を取り出し、見せてくれた。サワー種特有の刺すような臭気は無く、乳酸のまろやかな香りが鼻をくすぐる。この店の命ともいえる、この“ショーマッカー製サワー種”について伺ってみた。

「このサワー種は、人間と同じ“1日3食”。ショーマッカーのやり方では、1日に3度の種継ぎをすることで、非常に強い菌を作るのです。温度の管理も大変で、休みの日も必ず店に来て種の状態をチェックします。大変ですが、香りもすごくいいし、一度安定すればなかなか死なない。でも、まだ自分はこの種を人に任せられないですね」


サワー種を使ったドイツパンは、噛み締めるごとにじんわりと広がるまろやかな甘味が特長。ドイツパンのイメージが変わる、穏やかで優しい味わいだ



種のみならず、清水さんは粉へのこだわりも強い。素材へのこだわりを伺ってみた。

「ドイツのショーマッカーでは、全てビオ(有機農法)の素材を使っている為、屋号をもらったときは“BIO”の文字が入ってるんですね。でも、日本の基準はとても厳しいので、現時点では全ての材料で完全にビオを謳うのは不可能に近い。だから今は、“BIO”の部分を外したロゴを使わせてもらっています。ゆくゆくは、オーガニックで行きたいから、常に材料は探しています。オーガニックでパンをやっているお店と横のつながりを持って情報交換したり。ライ麦も、国産で探してもなかなか安定して手に入らないので、色々試して〈メールダンケル〉を含め、何種類かを使い分けています」

完全オーガニックの材料を探すこと。店名の冠にもう一度“BIO”の文字を飾ること。清水さんの課題はまだたくさん残っているが、未来を見つめる表情は明るさに満ちている。

「まだ全て始まったばかり。でもいつか、『ショーマッカー』のパンを日本で広めたいんです。安全でおいしいドイツパンを多くの人に知ってもらいたい。でも、その前にやはり今のお店をしっかりやって少しでも多くの人に味を覚えてもらうことですね。レシピももっと増やしたいし・・・」




店内に貼り出された一枚の告知。夏季休業を利用し、再びショーマッカーに戻って新しいドイツパンのレシピを学びに行くのだという。

「オープンしてからはほぼ休み無しの状態で、独りきりでパンを焼き続けてきたから。久々にドイツに戻って、仲間とも会ってまた刺激を受けてきます。屋号をもらっているから、日本での報告もしなければいけないし。こんなに長く店をあけるのは初めて・・・ただ、サワー種を置いていくことだけが、心配ですね」

そういうと、清水さんの目が一瞬窓の外に動き、笑顔がこぼれた。
ドアの向こうに、可愛らしい小さな女の子と、そのお母さんが立っていた。

「いらっしゃいませ!」







――守るべきものがある人間は強く、優しい。
もしかしたら、守られているのは清水さん自身なのではないかと思った。
おだやかに呼吸をしながら冷蔵庫で眠る酵母と、パンを求める人たちに守られながら、さらに強く、そして優しい職人になっていくのだろう。日本の「ショーマッカー」の未来はまだ、始まったばかりだ。




ショーマッカー
住所 東京都大田区北千束1-59-10
TEL&FAX03-3727-5201
営業時間9:00〜18:00
定休日月曜
アクセス東急「大岡山」駅より徒歩5分
地図
URLhttp://www.schomaker.jp/