Stéphane LEROUX
1985年〜1993年 リヨン、ブレスト、ブリュッセル、パリ、ボルドーの製菓店で研鑚を積む
1994年〜1995年 パティスリー・サン・トーレイ(ブリュッセル)でシェフ・パティシエを務める
1995年〜1996年 コンラッド・インターナショナル・ホテル(ブリュッセル)でシェフ・パティシエを務める
1996年〜1997年 パティスリー・マルコリーニでシェフ・パティシエを務める。以後、技術指導・開発、技術アドヴァイザーとして独自の活動をスタート
1997年〜2001年 フリューベル社にて技術指導(マナージュ/ベルギー)
2004年 M.O.Fを得る
現在は、M.O.Fのドゥバイヨル氏の経営するドゥバイヨル・プロダクト社や、その他多くの製菓関係からの依頼を受けて、技術指導、製品の研究・開発、新しいデコールやデザインの開発にあたっている。

フランス国立イッサンジョー高等製菓技術学校教授
ベルギー製菓・製パンアカデミー教授




「フランス文化を識る会」が主催する講習会の講師として、ステファン・ルルー氏が来日した。日本での知名度こそ高くないが、M.O.Fにして、WPTC(World Pastry Team Championship)のピエス・アン・ショコラ部門でベルギーチームを2度優勝に導いた、名実ともに今注目ナンバーワンのパティシエである。 (講習会のレポートはこちらから)

コンクールと聞くと華やかなイメージが先にたつが、今回の講習会で披露してくれたお菓子から感じたのはむしろ堅実さ。アントルメにしても、それほど複雑な作りこみや奇抜な味作りはしない。素材を活かし、パーツの1つ1つの味を丁寧に作り上げていく。当然、デザインは洗練されているが、なによりも素直においしい。仕事場所のあるベルギーと、生まれ育った北フランスで愛されてきたであろう、どこか安心感のある味わいが印象に残った。


「タルト・ア・ラ・ヴェルジョワーズ」
ノール地方のスペシャリテ。
風味とコクの強いヴェルジョワーズ(砂糖)とバターを活かした、素朴なおいしさ。


ルルー氏は北フランス・シャンティ地方で生まれ、現在はさらに北に位置するノール地方で暮らしている。 だがノール地方と聞いても、どうもピンと来ない。山間の自然豊かな場所なのだろうか、それとも都市なのだろうか。そこで、シェフの住むノール地方について伺ってみると、想像以上に長い答えが返ってきた。


「どんな風に説明したらよいでしょうか。まず、ノール地方は元々炭鉱の町でした。20世紀始めに工業が盛んになりましたが、基本的には農業地帯です。小麦、砂糖大根などが採れますよ。会社で働く人よりも、労働者や農家など個人で仕事をする人が多く暮らしています。ちなみに現在、仕事をしているベルギーは、元々フランスの領土でオランダとの戦争を避けるため作られた国。まだ200年くらいの若い国で人口も2500万人くらいしかいません。だから、フランスとはよく似ているところがあります」


要約するとこんな感じだろうか。こちらの要求に応えてくれようとする、誠実な気持ちが伝わってきた。


プラスティックの定規を使ってメレンゲを整えます



パティシエとして活動の幅を広げつつあるルルー氏。最初のきっかけはどんなことだったのだろうか。


「小さい頃、両親と一緒に祖母の家に住んでいた時期がありました。とても大きな家なんです。時々、遊びに来るパティシエのいとこにかなり影響を受けました。それに、祖母もとてもケーキ作りが好きでした。よくケーキ作りを見ていましたよ、つまみ食いをしながらね!『あなたは甘いものが好きだから、きっとパティシエになるわよ!』。その言葉がなぜかいつも耳に残っていて、14歳頃にパティシエになることを決めました。学校を卒業したあと、コンパニオン制度という店舗で修業ができるシステムを利用して、8年間かけてリヨン、ブリュッセル、パリなどを回ったんです」


そして、アビニオンで奥様と運命の出会いを果たしたルルー氏。一緒に暮らすため、奥様の出身地ノールへ戻り、ブリュッセルで働くことを決めた。違う国とはいえ、自宅からベルギーの国境までは約3kmほど。日本人の国境という感覚とは少し違うようだ。

ここで、もうひとつ運命的な出会いがあった。M.O.Fのドゥバイヨル氏との出会いである。彼の影響を受け、ラスベガスで開催されるWPTCを始めとしたコンクールに出場するようになったという。


「タルト・プラリネ・フランボワーズ」
プラリネのコクとフレッシュなフランボワーズを組み合わせた爽やかさのあるタルト。
ベルギーでは、フランボワーズをパックごと山のように盛り付けるのだそう!




ルルー氏が求めるケーキについて伺ってみた。


「私はケーキに複雑さは出しません。ドゥバイヨル氏に『シンプルにおいしいものが一番良い。何も複雑怪奇に作っておいしいとは限らないし、逆に素材が活かされないこともある』と教えられました。パティシエにテクニックは大切です、基本はきっちりできていないといけない。ただ、一番大切なのは、お客さまはコーヒー風味のケーキならコーヒーの味を、イチゴを使ったケーキならイチゴの味を期待しているということ。期待する味を裏切ってはいけない、その素直な味を大切にしたいと考えています」


その考えはルルー氏のケーキを食べるとよくわかる。余計なことを考えずに、ただシンプルにおいしいと思える味。だが、それは日本のショートケーキに見られるような単純さとは違う。

例えばマカロン。間のシナモンガナッシュは、まず温めた牛乳にシナモンスティックを細かく砕いて加えてゆっくりと香りを抽出し、さらに粉末のシナモンで味を深める。しっかり効いたシナモンガナッシュに合うように、マカロンの生地はアーモンドとヘーゼルナッツを使った風味の強いものを選ぶ。シンプルに見えて考え抜かれた配合なのだ。


「複雑なケーキが登場してきた背景には、レストランのあり方が関係あると思います。レストランは、味・風味・食感の微妙な違いを追及する。それぞれの違いを組み合わせて、新しいものを作るという考えが、レストランのデセール、そしてそこからパティスリーにも流れてきたのだと思います。でも、実際にはそれを理解し求める人は少ないのではないでしょうか」


と現在のパティスリー界の流れを分析する。


「パティシエはお客さまのためというスタンスが一番。それが、仕事のため、自分のためになってしまうと、お客様が求めるものとかけ離れてしまうと思います。そして、基本技術がしっかりあること。基本を省みなくては絶対にいい仕事はできません」


当たり前ながら、見失いがちな意味深いことばだ。


「時代の変化の中で消えていく職業もたくさんありますよね。パティシエの仕事も例外ではないと思うんです」


まさかパティシエの仕事がなくなるなんて・・・と冗談かと思ったが、シェフの目は真剣そのものだ。確かに、日本でも時間や手間のかかる職人仕事は減りつつある。最近は、何とか復活させよう、守っていこうという気運も出てきたが、例えば金平糖のようにそれ自体は残っても職人の技が消えつつあるというものは少なくない。そう考えると、パティシエの仕事も例外ではないのだろうか。


「サブレ・パッション」
薄くカリッと焼いたサブレに、パッションの酸味を効かせたガナッシュの組み合せ。
正方形を組み合わせたスタイリッシュなデザイン



左:「ケーク・オ・ラム・エ・オ・レザン」
ラム酒に漬けたレーズンのケーク、素朴な味わいが魅力。
右:ラヴェンダー風味の「ショコラ・オ・ミエル」
やはりベルギーではモールドを使ったショコラが一般的のよう。
ピストレで型を黄色く色づけ、個性を出しています。



「私がしなくてはいけないと思うのは、次へ伝えていくということ。技術だけではありません。もっと大きい意味でのケーキのエスプリやパティシエの仕事を、若い人たちや自分の子供にも伝えていきたい。企業のアドバイザーやデモンストレーション、そしてコンクールを通して、それができればと願っています」


講習会で、どこのどんな素材を使ったか、どんな技術を駆使したか、細かいことまで一生懸命伝えてくれようとするルルー氏の姿が思い浮かんだ。

実はそこには、もうひとつ彼が大切にする自分に対してのルールがある。


「人間は、一度評価された形にはまりやすく、どうしても次もその形に固執してしまいがちです。だからそれは絶対にしないようにしているし、それを貫くためにも評価された技術についてすべて包み隠さず話し、教えるようにしているんです」



最終日の講習会より「アントルメ・ショコラ・レ・ダマンド・スリーズ」
ベルギーではよく使用する“アーモンド・ミルク”入りバヴァロワーズの風味がアクセントに。
飾りの華やかさに圧倒されます!




最後にパナデリア会員にメッセージをいただいた。


「流行という考えはとても危険なものです。流行を追うということは、オリジナルではなく真似をするということ。それに流行は一時のもので、次の日にはどうなるかわかりません。流行を追うと、個性はなくなる。そして、個性がなくなるということは、自分がなくなるということでもあるのです。
どんなものが良いのか、常に自問して欲しい。ファッションの世界を見ればわかりますが、流行を引っ張るデザイナーは常にどんどん新しいものを造り出す。でもそういう存在になるためには、土台となる経験、知識、技術が絶対に必要なのです。
パティシエの世界でも、20年間いい仕事をして存在感のある人もいるし、一時期もてはやされるだけの人もいる。本当の意味でプロになるために、経験、知識、技術を身につけて欲しい、そう願っています」





近頃、日本ではパリの有名パティスリーが相次いで日本店をオープンさせている。斬新なスタイル、ラグジュアリーな雰囲気が食べ手の感情をくすぐる、そんな店が多くなった。 ではフランスでは皆そういうお菓子を口にしているのかというと、決してそうではない。パリを離れれば、その土地の人々がずっと愛してきた味がしっかりと根付いているのだ。


「彼の作るお菓子は美味しいよ。なぜだかわかる?それは、メディアのためでなく食べる人のために作っているからだよ」


「フランス文化を識る会」を主宰する倉重氏の言葉が、いつまでも耳に残っていた。