2005年11月、バウムクーヘンで有名な「クラブハリエ」が手がけるイタリア菓子と料理の専門店「ソルレヴァンテ」が表参道にオープンした。テラス席が連なる縦長のエントランス部分を抜けると、ドアの向こうには新しい世界が広がっている。左手にバーカウンター、そして真ん中に鎮座する大きなU字型のショーケース。中に並ぶのは、郷土色豊かなイタリアのドルチェの数々だ。カウンターに腰掛け、スタッフと談笑しながらエスプレッソやお菓子を軽く楽しむ・・・そんなイタリア人にとって欠かすことのできない日常のスタイルが再現されている。
更に、奥にはレストランスペースが用意され、料理や皿盛りデザートなどをゆっくり楽しむことも可能。こちらのスペースは“隠れ家的”にするため、あえて入り口からは目立たせないような造りにしたという。

「どうせやるなら面白いものにしないと。そこで、今までにないスタイルの店にしようと思ったんです」

とシェフの藤田統三さん。語り口調は非常にパワフルでスピーディー。弱冠35歳という若々しいエネルギーがみなぎっている。体内からほとばしる活力が聞き手にまで伝わってくるようだ。





大阪出身の藤田さんが職人の世界に足を踏み入れたのは18歳の時。意外なことに、その道は保育士を目指したところから始まった。

「若い頃はちょっと荒れていまして(笑)。その自分が保育士を夢見たのは、子供と接する機会があった時。“子供って皆、えらく素直やな。一緒にいたら自分も綺麗な心になれるんちゃうか”そんな気持ちにさせてもらいました。ところが、自分が希望した学校では、その年から男子が入学できなくなってしまったんです。翌年に再チャレンジしようと決意しましたが、それまで1年間何しようかと。僕は3兄弟の末っ子で、上の2人は建築士と服飾デザイナーなんですよ。すると父が“おまえは「食」や。そしたら3人で“衣食住”なるやろ“って。それ聞いて、とりあえずお菓子を習ってみることにしました。お菓子が作れる保育士っていうのもおもろいかなと(笑)」

そして「あべの辻調理師専門学校」に入学。軽い気持ちで始めたお菓子作りだったが、次第に物作りの面白みを知るようになる。気が付くと、それまで厳しい講師陣に噛み付いてばかりいた自分がお菓子作りに没頭するようになっていた。そして自然と菓子屋に就職したいと思う気持ちが芽生えていた。

「働くなら一番好きなところに行きたい、その思いと勢いで帝塚山にあるパティスリー『ル・プレジタン』のドアをたたきました。履歴書も持たずに行ったら、当然、“何やお前、履歴書持って出直してこい!”言われて。翌日持っていって、無事に入ることができましたけれど」



ビニョラータ
(スポンジとシュークリームのフルーツたっぷりのアントルメ)



タルティーナ
(ブルーベリーとボール状のメレンゲを飾った愛らしいタルト)



しかし念願かなって入店したものの、それほど甘くはない現実に直面する。“ここは学校とちゃうからお前に教えることはない。自分で見て覚えるんだ”“仕事を覚えるよりも、まずシェフに気を使うことを優先しろ”これがシェフや先輩から初めに言われたこと。そして頼まれることといえば洗い物や袋詰め程度でなかなか本来の仕事をさせてもらえない。

「そりゃ、腹立ちましたよ。同期の男性は先に厨房に入って作業していましたから。そこでシェフにお願いして、営業時間外にジェノワーズを焼くようになったんです。見よう見まねで毎日毎日焼き続けました。絶対に負けたくない思ってましたから」

2年目を迎える頃になると、ようやく厨房での仕事を任されるようになった。素直さと負けず嫌い、そしてそれらを後押しするパワフルさが藤田さんの武器なのだろう。その藤田さんが、負けず嫌いゆえに号泣するシーンもあったそうだ。

「シブーストクリームを作っていたときのこと。シェフなら25台分とれる分量で自分が作ると、20台分しかできない。たぶんメレンゲの立て方や混ぜ方が原因だったんやろうけど、どうしても駄目やった。何でシェフと同じことができないのか。悔しくて悔しくて思いっきり泣きましたよ。21歳でこんなに泣くことあるやろうかと思うくらい(笑)」

泣き崩れる藤田さんにこの時シェフがかけた言葉は今でも忘れられないそうだ。“死ぬ気で3年やったら誰でもできるようになるわ”その言葉をバネに、藤田さんは文字通り“必死で”やった。“本気でやれば、いつかきっとシェフのようになる”


サラメ ディ チョコラータ
(スペチャリタのサラミに見立てたチョコレート)


それから暫くして、ついにその時がやってきた。

「帝塚山から心斎橋に店を移転することになり、それと同時にシェフが辞めることになりました。そこで、自分が名乗り出たんです。プティフールやアントルメ、セック、ドゥミセックなどひととおりの試験を受けて、合格。勤め始めて3年ほど経った頃です。すごい自信がつきましたね」

わずか3年という経験で勝ち得たシェフの座。この時、藤田さんは22歳。始めに苦労した時期があったとはいえ、長い目で見ればあまりにも順調すぎる滑り出しに見える。しかし、22歳という若さでシェフという大役が務まるものなのだろうか。

「無理でした(笑)。当たり前のことですけれど、シェフの仕事はお菓子作りだけではないですよね。人を指導しなければならないし、経営のことも考えなくてはならない。それらをこなすには、僕はあまりにも若すぎました。だから僕には難しい、そう判断して前のシェフに戻ってきてもらったんです。悩んだ末、もう店をやめようかとも思いました」


ジャンドゥイオッティ
(ジャンドゥージャチョコレート)


そして藤田さんはフランス菓子の世界から飛び出してしまった。

「大阪で老舗のイタリアンレストラン『ジジ』の姉妹店、『ジジ・デルソーレ』に入りました。食べることが好きで普段からいろいろ食べ歩いていましたが、イタリアンが一番自分の肌に合っている様な気がして」

人生の壁にぶつかった時、それを破るためにひたすら進み続けるのか、それとも回避して違う道を選ぶのか。結果的に藤田さんはリセットを選択したということになる。これまで積み上げてきたものが無駄になってしまうかもしれない、ゼロからスタートすることへの不安もあったかもしれない。

「ジジ・デルソーレでは、イタリアのドルチェや前菜から、手打ちパスタ、メイン料理のアシスタントまでやらせてもらうようになりました。今考えると、あの時気持ちを切り替えて良かった思ってます。新しいことを始めてみて、自分がやりたいことがいろいろと見えてきましたから」

イタリアンの魅力は素材を活かしたシンプルな調理法にあると言われることが多い。その素直さが、藤田さんの性格に馴染んでいたのだろう。まるで水を得た魚の如く、暫く自らの中に眠らせていた行動力を再び開花させていった。ジジ・デルソーレで2年半ほど勤務した後は、ジェラートに興味を抱いてハーゲンダッツ・ジャパンへ。更に郷ひろみプロデュースのリストランテ「ソーニ・ディ・ソーニ」、その後「パポッキオ」で料理全般に関わった後、28歳で渡伊。北イタリアの街、ブレーシャにあるレストランを中心にパスティッチェリアなどをまわり、数々の料理やドルチェに触れる機会を得て帰国した。


クロスタータ・ディ・マルメラータ
(イタリアで定番のジャムのタルト)


帰国後、ついにシェフとして迎えられることになる。

「2000年、南船場にオープンすることになっていた『パスティッチェリーア・バール ピアノピアーノ』の立ち上げから店を一任されることになりました。そして、どうせやるなら半年以内にエリアNO.1になってやる、3年後には2号店だ!本気でそう思ってました」

イタリアのバールそのままのしゃれた雰囲気や本格的なドルチェなどが評判を呼び、店は瞬く間に人気店の仲間入りを果たした。しかし・・・。実はこの時期、藤田さんはひとり悶々としていた。存在が知られ、繁盛するようになるにつれて、何か違うと思うようになっていた。

「忙しすぎたせいもあるかもしれません。自分が作っているものは本当のイタリア菓子なのか、今のまままでいいのか、わからなくなってしまったんです。これはもう一度イタリアに行くしかない!そう決意したのがオープンして半年ほどたった頃。もちろん、非常識なことはわかっていたから、オーナーやスタッフを必死で説得しましたよ。直前まで死ぬほど仕事して出来る限りの誠意を示して、そうしてイタリアへ発ちました」

2度目のイタリア滞在は前回以上に密度の濃いものになったそうだ。たくさんのものを見て食べて作った。約2ヵ月半という充電期間を終えて戻ってきた時、藤田さんはある確信を得ていた。“自分がやってきたことは正しかったんだ”という確かな手ごたえ。その想いを胸に料理・菓子作りに没頭した。その結果は、“Hanako2000年度グランプリ”、更に2002年に2号店オープンという華々しいものになって表れることになった。


プチフールも充実


職人の世界に入って15年。その間、人一倍多くの店で修業を重ねてきた。新天地に赴くたびに果敢にチャレンジし、そして時々リセットすることで自らの立場を確認する。そんな藤田さんが選んだ新たなるステージ、それは・・・

「東京!東京でアクションを起こしたい!」

昨年11月のソルレヴァンテのオープンに際しては、物件探しから設計、内装に至るまで全てに関わってきた。そして何より力を入れたのは、ドルチェを充実させるということだった。

「これまでに僕が見てきたイタリアの生菓子や郷土菓子をどんどん紹介していきたいですね。それから、皆さんにお馴染みのドルチェだって、まだまだ知らない本当の楽しみ方があるんですよ。例えば、このティラミスだってそう」

足付きのデザートグラスにたっぷり盛られたティラミス。スポンジとクリームを重ねて表面にココアがまぶしてある。日本人にもお馴染みのよくあるタイプに見える。


ティラミス


「これをかけて食べてみてください」

添えられていたのは、熱々のエスプレッソ!グラスの脇からたっぷりと注ぐと、底のスポンジ部分にじんわりと染み込んでいく。それを口にした時、これまで体験したことのないほどふくよかなコーヒーの香りがふわっと広がった。まるで初めてティラミスを知った時のような感動が押し寄せる。香りひとつで、こんなにも特別なものになるなんて!

「スポンジにあらかじめコーヒーシロップを含ませておくのが一般的な作り方。でも、僕はシロップを使いません。だって、コーヒーなんて淹れたてがおいしいに決まってるでしょう。コーヒーの香りを最大限に活かすには、その場で注ぐのが一番」

香りが大切、と言い切る藤田さん。その本髄が最も表れるのがこうしたデザート類だ。先のティラミスの他にも、マジョラム風味の「イチゴのプロフィットロール」やマスカットワインの香りが印象的な「カンポ ディ フィオーリ」など、多種多様な香りを閉じ込める。豊富な料理経験も一役買っているに違いない。

「イタリア菓子は料理の延長線上にあるものやから。料理の伝統やベースを知らないと本来作れないものやと思うんです。そしてハーモニーを大切にするフランス料理・菓子と違って、単一の素材の風味を強調するのがイタリアのよさ。これからも香りをスパイス的に使って、キレのあるお菓子を作っていきたいですね」

(2006.04)

イチゴのプロフィットロール



ソルレヴァンテ
住所 東京都港区北青山3-10-14
TEL03-5464-1155
FAX03-5464-1081
営業時間月〜土11:00〜23:00(L.O21:30) 
日・祝11:00〜22:00(L.O21:00)
定休日水曜
アクセス東京メトロ表参道駅 B2出口より徒歩2分
URLhttp://sollevante.jp/