フォークで上から下までザクッと勢いよくカット、そして後は口に運ぶだけ…。そんなごくごく当たり前のケーキの食べ方が、実に大事なことだと思わされた。自分でケーキを作る方やスイーツ好きの方なら共感してくれるだろうが、初めてのケーキを食べる時、各パーツごとに分析しながら食べてしまう職業病とも言える習性。そんなことをせずに食べたい、いや食べるべきだと改めて思わせてくれたのは「ラ スプランドゥール」藤川浩史さんのケーキたちだ。強い甘み、酸味、苦み、コク…個性と言ってもいいほどはっきりとした味わいを持つ各パーツは、突出することなくそれぞれが完成形として、一つのケーキの個性を形成する。だからだろうか、一見重そうなケーキでも最後まで軽く食べ進んでしまうのは。そして、食べ終えた後はなんとも言えない充足感で満たされる。「まとまりが良い」などという言葉で簡単に終わらせられない何か…それが藤川さんのお菓子にはあるのだ。



はにかんだ笑顔に穏やかな口調、しっかりと力強い味わいのケーキたちから受ける印象とは違い、藤川さんの第一印象は物腰柔らかで謙虚な方。そもそもパティシエの道を志したきっかけとは?

「実はマスコミ関係の仕事に就きたいと考えていたんです。でも、その世界って学歴というか大学の名前で決まることが多いじゃないですか。大学受験の時に、自分はそこまでのラインには行けないと分かっていたので、大学に行くこと自体を諦めたんです。それで次に面白そうだと思ったのが美容師かお菓子屋でした」

と少し意外な返事が返ってきた。一見、全く別ものに思えるマスコミ、美容師、そしてパティシエの世界。しかし、これらに共通することは“自らで表現する”ということ。それこそが藤川さんのやりたかった事だったのかもしれない。

「今でこそケーキ屋は多いですけど、当時はそれほど多くありませんでした。それに比べ美容院は軒数が多かった。それに、お菓子のほうが奥が深いと思ったんです。また、小学校6年まで札幌で育ったんですが、実家は喫茶店をやっていたんですよ。それでパフェやちょっとしたお菓子を作ったりはしていましたね」

そんな幼い頃の経験が今に繋がっている藤川さんだが、

「実はすごく飽き性なんですよ。だからまわりからは止めろと反対されました(笑)」

自らの選択を貫き、高校を卒業すると大阪の辻製菓専門学校に進んだ。その頃の思い出は?

「仲間作りかな。1年かけて知識や技術を習得するよりもそのほうが大事でしたね。就職までのワンクッションといったところでした」

高校を卒業したばかりの18歳の青年にとっては、きっと部活動のような楽しい毎日だったのだろう。そして、フランス校の存在を知った藤川さんは留学を志願し、専門学校を卒業後アルバイトを経てついに渡仏。場所は美食の街として名高いリヨン郊外。本場フランスの食材を使った少人数制の授業は非常に濃密なものだったに違いない。半年間の授業を終えると、希望者のみ引き続きフランスで半年間のスタージュができる。もちろん藤川さんも希望したのは言うまでもない。

「楽しかったですよー!」

藤川さんの口から一番にその言葉が出た。

「スタージュ先は、リヨンから車で1時間ほどの大きな5つ星ホテルでした。スタージュと言っても新人と全く同じ扱いをしてもらえたんです。フランス語についても作業中は決まった単語しか使わないので困らなかったですし。まあ、仕事を離れたところでのコミュニケーションは大変でしたけど(笑)あと、僕は大自然が好きなんですけど、そこはすごく自然の多い気持ちのよいところだったんです。とてもいい思い出ですね」

そう瞳を輝かせながら話してくれた。

自分用にはもちろん、贈り物にもしたい焼き菓子たち

帰国後は就職先を探していろいろなお店を訪ねた。しかし、フランスで過ごした1年の間に日本の洋菓子事情はガラリと変わっていて、藤川さんの目にはどの店も変わり映えなく同じように映ったという。その中で「他とは違うな」と思った店が3店舗あった。そのうちの一つが、当時及川太平シェフ(現「アン・プチ・パケ」)が腕を振るっていた今はなき名店、代官山「ピエールドオル」である。

「最初店に行ったら軽くあしらわれたんです。でもどうしても入りたくて、翌朝6時前に中目黒のアトリエでシェフを待ちました。そうしたら『明後日から来いよ』って言ってもらえたんです。ものの5秒でしたね(笑)」

及川シェフは藤川さんの熱意ややる気を試していたのかもしれない。熱望して入った「ピエールドオル」ではあったが、その5年間は「きつかった」の一言に尽きる。6時半〜15時半の勤務時間はほぼ保障されていたが、その時間内の仕事はかなり濃縮されていた。しかし、及川シェフに学んだことはたくさんある。

「まず人としての礼儀やしつけから教育されました。今となっては理解できますけど、当時の若い自分には納得のできないこともたくさんあって、その旨をシェフに直訴したこともありました」

「辛い」と思いながらも続けられたのは、及川シェフのお菓子に対する思い入れ、味作り、技術に魅せられたから。そして藤川さんが今一番感謝していることがある。

「『菓子屋に行ったらお菓子を買って来い』と言って全て経費で落としてくれたんです。それをみんなで試食するんですが、黙っていたら怒られる。コメントを必ず求められるんです。始めは慣れていないからそれが辛くて…。でも、結局は言葉で表現できないと、素材の合わせ方や味の構成などの発想ができなくて、お菓子を作れないんですよ。お菓子作りにおいて大事な良い訓練だったと思っています」

約20種類の生ケーキがショーケースを飾ります
国産いちごをふんだんに使ったホールケーキはお祝い事にぴったり


「ピエールドオル」で一通りのことは任せてもらえ、パティシエとしての力もついてきた藤川さんだが、次に行きたいと思う店がなかなか見つからなかった。そんな時、急遽結婚が決まり子供が生まれることに。

「費用がかかるにもかかわらず、普通に考えて24、5歳ではシェフまでの期間がまだある。しかも、シェフになれるという保障もありませんから。もうパティシエを辞めようかと悩んでいたんです」

そんな危機を救ってくれたのが寺井則彦シェフ(現「エーグル・ドゥース」)だった。「オテル・ドゥ・ミクニ」のシェフ就任に伴って、藤川さんに「マダム・ミクニ 上大岡店」のシェフの話を持ちかけてくれたのだ。規制がほとんど無く自分の力を試すことができる場で、レストラン・パティシエとして自分のやりたいようにデザートを作ることができた。その1年後には立ち上げて間もない「オテル・ドゥ・ミクニ」のパティスリーのラボで寺井シェフのもとでスーシェフを務めることに。シェフパティシエとして多忙な寺井シェフは常に厨房にいられるわけではないため、実際に厨房をまとめるのはスーシェフである藤川さんの仕事だった。

「シェフの求めている通りにするのは普通の2番手、シェフが求めているものを120%にして返すのが良い2番手なんです。毎日本気でやりましたし、ミクニは世界レベルのレストランですから自分にとってとても良い経験でした。当時スタッフの数は10人くらいでしたが、4年の間に財産とも言える後輩もできました」



ほろ苦い甘さと独特の食感が止まらないおいしさのシュー生地ラスク


そんな藤川さんが次に移ったのは、レストランウエディングや大企業のパーティーもやるような渋谷の大きなレストランだった。及川シェフ、三國シェフ、寺井シェフに加え、藤川さんに影響を与えたのは、このレストランの料理のシェフだった。

「とことん味にうるさく、追求する方でした。『1つ食べてなんぼ』と言っては僕の作るケーキ、デセールを全部食べて量の多さなどのアドバイスをくれるんです」

この頃には、パティシエが一生の仕事だと既に心に決めていたという。勤務が終わってからも自発的に練習をして終電で帰る毎日ではあったが充実していた。しかし、3年経ったところで、「菓子屋とは道が外れてきている」と思い始めてしまったのだ。
そんな時「オテル・ドゥ・ミクニ」を辞める寺井シェフから、またもやタイミングよく後任の話が持ちかけられた。もちろん、

「『ぜひやらせてください!』と引き受けました。仕事がきつい事を知っているので、引き受けた僕に寺井さん自身驚いていましたが(笑)、また自分を試せるいい機会だと思ったんです」

10人ほどだったスタッフも25人に増え、デパートにも出店するなど以前に比べ会社として大きくなっていた。

「1日に何かしら事件があるんですよ。スタッフが怪我をしたとかお客様からクレームがきたとか…。その対応に加え、もちろんお菓子作りも商品開発もしなければならないので、睡眠時間は2、3時間なのに仕事が間に合わないんです」

体力の限界まで無理をしてしまう自分を、「痩せ頑丈」と藤川さんは苦笑いした。

丁寧かつスマートな仕事も藤川さんの魅力


そして、そんな毎日が3年ほど続いた時「このままでは死ぬかもしれない」と思ったという。しかしそれがきっかけで独立を決意、36歳で「ラ スプランドゥール」を開店した。

「『オテル・ドゥ・ミクニ』でのシェフの経験は、会社組織の世界や社会の仕組みを知ることができたのも良かったと思っています。何も知らない奴が店をやるのは無理ですから。いろんな勉強を経た今で、ちょうど良い時期だったと思っています」



藤川さんの地元でもある久が原の町は、素朴で生活感が漂う所だ。その分お客様も地元の方が多い。

「まずおいしいものを知ってもらうことが大事だと思っているので、素材選びに関しては気をつけています。例えばいちごはアメリカ産を使うくらいならやらない方がましだと思っているので、全て国産を使っています。割高にはなりますが、生活していけるくらいのお給料がもらえればあとはお客様に還元していけたらいいと思っているんです。でも、何でもかんでもこだわり始めるとキリがないので、そこはセーブしていますけどね」

そう、確かに素材にこだわりを持つのも大切だが、藤川さんはそれ以上に“パティシエの価値”というものを常に考えている。

「三國シェフがよく“料理人の質“ということを言っていたんです。同じ食材を使ってどれだけいいものにできるかが料理人だ、と。いちごにしても生でそのまま食べるのが一番おいしいんです。だけど、いちごをどう加工して生とは違うどんなおいしさを出すか、それが大事なんですよ。例えば『アルモニー』というケーキに入っているいちごのマーマレードは、炊き上がり直前にカットした生のいちごを加えて味に強さとフレッシュ感をプラスしているんです。また、味の組み合わせは二つ、多くても三つまでと言われているんですが、このケーキは5種類の味を組み合わせてあるのでハーモニーへの挑戦でもあるんですよ」



アルモニー ¥450
  口どけのよいショコラブランムースの中にはピスタチオのブリュレとサクサクのフィヤンティーヌ。
そしていちごのマーマレードが爽やかさをプラスしています。



そしてミクニでの経験から得たことがもう一つ。

「お菓子もフランス料理と一緒だと考えています。ミクニの料理はクラシックでしっかりとしているのに、優しい味わい、柔らかく軽い味わいなどバランスよく盛り込まれていて最後まで食べられてしまうんです。それと同じように食感の違いや味の強弱など、それぞれのパーツでめりはりを出して全体としてまとまりが出るようにしたいと考えています」

一つのケーキにいろいろな要素を凝縮する、そんな藤川さんのケーキの代表作が『リシェス』。

「以前フランス料理でうさぎのパイ包みを食べたんです。うさぎのいろいろな部位をそれぞれの調理法で料理した後、また一つにまとめてパイで包んであるんです。さらにうさぎの肉からとったソースがかけてあって。一見シンプルなパイ料理なのに、食べてみて本当にびっくりしました。そんなケーキを目指して集大成のつもりで作ったのが『リシェス』。ヴァローナの『グランクリュ』を一度バラバラにするつもりで作ったガナッシュ、ムース、クリーム、生地などを、また一つにまとめ合わせたものなんです」

そのケーキの味に関係のない無意味な飾りは使わない、など「味重視」と断言するものの、ケーキを割った時に流れ出すソースやシンプルな見た目からは想像できない意外な素材の組み合わせ…藤川さんは食べる時の楽しみも忘れてはいない。

リシェス ¥500
  チョコレートを存分に楽しみたい時には最適



話が進むに従って藤川さんの言葉が次第に力強くなっていくように感じたのは気のせいではないだろう。「La splendeur」、フランス語で華麗、壮麗、そして輝き。藤川さんの内に秘めた熱い想いがこれからの「ラ スプランドゥール」をますます輝かせるに違いない。









ラ・スプランドゥール
住所 東京都大田区南久が原2-1-20
TEL&FAX03-3752-5119
営業時間10:00〜19:00
定休日水曜
アクセス東急池上線久が原駅より徒歩1分以内