熊坂孝明シェフはダロワイヨ出身。ダロワイヨは、フランスで200年余りの歴史と伝統を持つフランス菓子と高級惣菜の老舗である。そのパリのダロワイヨで5年半修業し、更に在仏中に洋菓子コンクール「シャルル・プルースト杯」で優勝、その後はダロワイヨ・ジャポンで8年半シェフ・パティシエを務めた輝かしい経歴の持ち主。それがシュークルダールのオーナーシェフ、熊坂さんだ。日本のフランス菓子業界を牽引してきた職人の一人である。


さいたま市の店を訪れた時、始めに奥様の陽子さんが迎えてくれた。明るい笑顔に促されて店内のサロンに腰を下ろす。暫くして熊坂さんが現れた。

「こういうの、あんまり得意じゃないんだよね・・・」

はにかんだ表情を浮かべながらぽつりぽつりと言葉を発する。口数が少なく、決して飾らない。飾らないけれど、自然体で温かみがある、そんな印象だった。こちらからの問い掛けに、ひとつひとつ静かに淡々と語り始めた。



「高校を卒業した後、2年間サラリーマン生活を送っていました。その頃、市内に洋菓子の個人店がぽつぽつでき始めてね。お店を見ていたら私も作りたいって思うようになったんですよ」

こうして20歳の時、熊坂さんのパティシエ人生はスタートした。地元の洋菓子店で2年、そして東京の店で約1年修業を積む。いつかフランスに渡りたいと夢見てフランス語の勉強も欠かさなかった。そして1973年にその夢が現実のものとなる。

「知人の紹介でアルザス地方にあるミュールーズ市の「カルロス」という店に入りました。日本の店と違っていたこと?それは種類の多さですね。カルロスにはケーキや焼き菓子の他にもチョコレートやアイスクリーム、カナッペやサンドイッチまで、豊富な品揃えに驚かされました。日本で働いていた店では、ほとんどがシュークリームやショートケーキ、モンブランといった定番物しかありませんでしたから」

品揃えの多さに加えて、味の違いも大きかった。

「とにかく甘い!酒が強い!初めは驚きましたよ。でもね、ちゃんと意味があるんです。甘いお菓子にしっかりと酒を効かせる。すると、味わい深くてキレの良いお菓子が出来上る。じんわりとおいしさが伝わってきて、それから後々まで続く余韻。ここでコーヒーや紅茶をひと口。もう最高だよね」




ミュールーズで充実した3年間を過ごした熊坂さん。次に向かった先はパリの老舗「ダロワイヨ」だった。のどかな地方の街から一転、世界の流行発信地であるパリでは見るもの聞くもの全てが新鮮に映ったに違いない。

「もちろん、作るお菓子は全然違いましたけれど。それ以上に衝撃だったのは人ですね。ひとことで言えば、彼らは意地が悪いんですよ」

決して冷たいわけではないが、意地が悪かったという。いったいパリジャンたちはどんな態度をとったのだろう。

「例えば、チョコレートを作る時。フランス人パティシエは一切レシピを見せてくれないんですよ。彼らは計量を終えると、私に“あれをやれ”“これをやれ”って指示を出す。もちろん、やり方なんて教えてくれない。そして終わったらレシピを引き出しに閉まって鍵を掛けて帰るという念の入れよう。君は日本のスパイだろって(笑)。ダロワイヨで5年半ほど勤めたけれど、結局ほとんど配合はわからずじまいだったなあ」

話を聞いているうちに、自然にある質問が飛び出した。

「意地悪をされて、もう辞めたいと思ったことはなかったんですか?」


すると熊坂さんはにやりと笑みを浮かべてこう答えた。


「面白いじゃない。やられたらやり返せばいいんだから」


職人としての芯の強さが垣間見えた瞬間だった。
自分から待っていたのでは何も与えてくれない。だからどんどん積極的に仕事を見つけよう。自分の仕事が終わったら、すかさず別のセクションに足を運んで手伝った。黙っていては理解してもらえないからと何度も喧嘩をした。熊坂さんに言わせると“楽しくて仕方がなかった”そうだ。




そうした逆境の中、1979年シャルルプルースト杯優勝、1980年アルパジョン・芸術部門優勝などの偉業を成し遂げる。

「彼らと対等に仕事をしたかったら、多少努力する程度じゃ駄目なんですよ。コンクールで受賞するくらいの実力をつけるとか、彼らができないことをやるくらいの覚悟がないと。だって、どう頑張ったって言葉はかなわないでしょう?」

熊坂さんが得意としたのは飴細工だ。仕事を終えた後、自分の部屋でひたすら練習する日々が続いた。もちろん、誰も教えてくれる人はいない。アルザスでかじった飴細工の記憶を頼りにしながら、繰り返すことで体で覚えていったそうだ。飴細工の最大の魅力は、きらきらと何ともいえない光沢を放つところにあるという。ちなみに、これまでに完成させた数々の作品の軌跡は、シュークルダールのサロンに並べられたアルバムから辿ることができる。



約9年間のフランス滞在中に多くの栄光を手にした熊坂さん。その実力が認められて、帰国後の1982年、ダロワイヨ・ジャポンの創設時にシェフ・パティシエとして迎えられることとなった。できる限り本場と同じ味を伝えるため、それまでなかなか手に入りにくかったチョコレートなどの原材料も業者を通して輸入してもらえるように手配した。そして8年間ダロワイヨ・ジャポンで指揮をとった後、ついに自身の店を浦和市(当時)に開業した。

「目指したのは日本人が食べてもフランス人が食べてもおいしいと思える味。その上でフランスで学んできた味をできるだけ忠実に伝えたいと思いました。でも、そのままだと日本人には甘すぎるお菓子もあるかもしれない。そんな時には甘さを控えるのではなくてサイズを少し小さくしたり、日本人にも馴染みやすいお菓子を選んだりと工夫しました」

今年で15年を迎えたシュークルダールだが、お菓子のラインナップは開店当初からほとんど変わっていない。顧客の大半は地元のリピーター。お客それぞれにお気に入りのお菓子があるというから、そう簡単には変えられないのだそうだ。




最後に、今後の展開について語っていただいた。

「今後の展開とか何とかは考えていないですよ(笑)。このままずっとやっていければいいなと思っています。私が渡仏していた頃と比べると、フランス菓子を取り巻く環境は随分変わってきました。フランス菓子が身近になって、日本とフランスの技術的な差や素材の差もあまり感じなくなってきた。味の面でもそう。最近では両国ともに甘さを控えたりアルコールを控えたりする傾向にありますよね。昔よりも軽くなったと言われるけれど、私からするとキレが悪くてかえって重く感じてしまう。私はこれからも自分がおいしいと思う味を信じて作り続けていきたいですね」

熊坂さんのお菓子には、フランスで初めて食べた時に感じた新鮮な驚き、フランスらしいおいしさを伝えていきたいという誇りがある。だから簡単には変えられない、変えてはならないのだ。味やデザインに流行が取り入れられめまぐるしく変化するスイーツ業界の中にあって、フランス菓子の本来の姿を見失わないように良き指標となってくれているのかもしれない。


シュークルダール
住所 さいたま市浦和区仲町2-11-14
TEL048-822-3070
営業時間10:00〜19:30(カフェのL.O18:00)
定休日第1、第3水曜(祝日の場合は営業)
アクセスJR浦和駅より徒歩7分