人形町、といえば甘酒横丁。江戸下町の風情を色濃く残した老舗が軒を並べ、飲食店にオフィス、少し道を外れると住宅地が現れる。その雑多さも不思議と心地よく、活気のある街並みを作っている。甘党ならば、人形町と聞けばあの“鯛焼き”や“白玉あんみつ”が浮かぶかもしれない。
2008年6月16日、スイーツの新顔がこの街に看板を掲げた。その名も「シュークリー」。フランス語で“砂糖職人”が語源。この街の甘党たちを、甘くくすぐりそうな店名だ。

「シュークリー」は江戸川区平井の人気パティスリー「ドゥーシュークル」の姉妹店としてオープン。ドゥーシュークルのアットホームなイメージとは趣向を変え、ホワイトを基調としたファサードがシックで落ち着いた印象。オフィスビルが立ち並ぶ景観ともしっくり馴染む。


シェフパティシエを務めるのは、河合秀樹さん。ドゥーシュークルで腕を磨いた後、ヨーロッパに渡り修業中のところを、姉妹店オープンにあたりドゥーシュークルの佐藤シェフから白羽の矢が立った。
「シュークリー」に並ぶ生ケーキの7割は、河合さんオリジナルの商品で構成されている。例えば、しっかりと火を入れたパイの中からぎっしりのナッツが顔を出す、ピラミッド型のミルフィーユ。例えば、香ばしいゴマのチュイールを纏ったサクサクのシュークリーム。食べやすさ、親しみやすさはそのままに、本物の味を知る大人もうなる、奥行きのある味わいのケーキが並ぶ。

ショウケースにはプチガトーが約20種類に、アントルメ、マカロンなどが並ぶ。季節ごとに旬のフルーツを使ったケーキが登場。工房から出来たてのフレッシュなケーキが並べられる


河合さんは、静岡県浜松市出身。小学生の頃から、おやつにホットケーキやプリンを焼いていたのだそう。「わかったさんシリーズ」がバイブルだった子供時代。中学生になる頃には、「料理の世界に入り、そしていつか自分の店を持ちたい」そう心に決めていたという。調理師専門学校の製菓技術コースを卒業後、京都の洋菓子店に入り、念願の菓子職人への第一歩を踏み出す。

「ところが、その店はまず1年間販売をしなくては製造にいけなかったんです。販売も、ただやればいいというのではなく、テストがあるなど厳しいものでした。オーナーは『菓子屋というのはサービス業だ』『サービス精神無くしては、いいものは作れない。お客さんに感動してもらうこともできない』と、常にこの思いを従業員全員に実践してもらおうとしていました」

仕事の動機が『人に喜んでもらうこと』だというのは、当時の河合さんにとって新しい価値観だった。“自分の職業は製造業であると共に、サービス業なのだ”この自覚が備わったことが、店で働いていた3年間で、もっとも大きかったという。


豊富な品揃えの焼き菓子は、場所柄詰め合わせのギフトタイプも人気。籠タイプや大小のボックス、わっぱ型の木箱など形状も様々で、選ぶのも楽しそう




「その店で作っていたのは、いわゆる昔ながらの洋菓子。イタリアンメレンゲやクレーム・オ・ブールなんかも使わなかったし、ショックフリーザーが無いから、ムースではなくババロワを作るくらい。それでも、最初の1年間くらいは自分の店のお菓子が一番だと思っていました。でもしばらく経つと、他のパティスリーやレストランに興味を持ち始めて、東京に出てケーキの食べ歩きをするようになりました。ルセットも、本を読んであれ?自分がやっているものと全く違う・・・と。その頃から徐々に東京へ出たいという思いが強くなってきました」

紹介で、ドゥーシュークルの佐藤シェフの元を訪れた。厨房を覗いた河合さんは、ところ狭しと並んでいた機材に驚いた。どれも、見たことも触ったこともないものばかりだ。

「コンベクションオーブンも、ショックフリーザーも使ったことがなくて、まずそれらの機材を使ってみたいというのが動機のひとつ(笑)。でも僕が入った頃は販売の人員が足りず、結局半年以上販売をやることになって・・・相当ジレンマを抱えました」


ヴィエノワズリーや、手作りのコンフィチュールも販売。クロワッサンはサックリと軽やかな外皮と、しっとりとした内層。カルピスバターと明治発酵バターを1:1で使用し、しつこさは無くコクはしっかり残す。トップの砂糖がけの優しい甘みが、菓子屋らしい仕上がり


人気店のドゥーシュークル。限られた人員とスペースで、忙殺される日々にあっという間に半年が経った。あとひと月販売が続いたら辞めてしまおうか・・・そんな思いに駆られた頃、ついに厨房に入れることになった。

「やっと!という感じでした。でも、とまどいもすごくありました。まず、それまでカードでの作業しかやったことがなかったのでパレットが使えない。初めて使う道具、機材の使い方は作業しながら覚えていきました。ホイップマシーンも初めてで。下から空気を送り込んで、高いオーバーランを可能にする海外製のもの。短時間で、きめ細く口溶けのいいクリームができるんですね。非常に合理的だと思いました」


誰からも愛される優しい味わいは、生地の軽さと口溶けの良さにある。しっとりふわふわの日本人が好む食感に、素材の味を活かしたフレッシュなケーキは、子供からお年寄りまで幅広い支持を得ている


「それから生地の種類もすごく多い。今までは、スポンジがベースで上にのせるものを変えて・・・という程度だったのが、お菓子によってはひとつの構成に2〜3種類の生地を使ったりもする。そして、メレンゲを多用するのに驚きました。佐藤シェフのお菓子の特長として“軽さ”というのがあるので、軽くさせるための考え方や技術というのはすごいなと思いました。キュイエール、ジェノワーズ、ダコワーズなどメレンゲの入れ方ひとつで全く違う食感になる。ギモーブには乾燥卵白を使っています。これも食感のためですが、独特なやり方だと思います」

なぜうまくいかないのか?どうやったらよくなるか?とにかく「自分の頭で考えさせる」というのが、佐藤シェフの教育法。とまどいながらも試行錯誤を繰り返し、フランス菓子の技を基礎から身につけていった。ドゥーシュークルで働くこと3年半。「いつか独立して自分の店をもちたい」という当初の思いは、変わらず河合さんの胸にあった。

人気のシュークリームは一日3回の焼き上げで、限定数を販売。トップのゴマのチュイールが香ばしく、皮は「完全に焼ききる一歩手前まで乾燥焼き」するのがコツだそう。外側をサックリ、中にほんの少ししっとり感を残し、軽い食感に


「故郷の静岡に帰って、早く独立したいと思っていたので、実家に帰ろうとしていたんです。次の店も静岡で決まっていたのですが、人員が足りていて半年程待って欲しいという話になって。佐藤シェフに相談したところ、それならヨーロッパに行ってこいと言われて」

もともと、ヨーロッパで修業するという考えは無かった。二の足を踏んでいた河合さんの背中をぽんと押したのは、「爺さんになったら、孫に話せるじゃないか」というシェフの一言。旅行にいくようなつもりで日本を発ったが、そこには、日本では経験し得なかった新しい世界と、たくさんの出会いが待っていた。

「佐藤シェフの紹介で、ルクセンブルグの『オーバーワイス』に入りました。オーバーワイスの工場は小学校の体育館程もあるという大規模なもの。市内にある6店舗全ての商品を生産し、100人もの人員が働いていました。2代目のジェフ氏は、合理化とシステム化に注力。常に海外の技術を勉強し、機械でもルセットでも、取り入れるのがとても上手でした。驚いたのは水圧でケーキをきる機械。コンピューターに入力するとどんな形でも自在に切れるんです。大量生産になるので、繊細な味ではありませんでしたが、パーツはおいしかったし、新しい技術も学べました」

ルクセンブルグの菓子文化はドイツ、フランス、ベルギーなど隣国の影響を色濃く受けている。オーバーワイスで作っていたのは、ほとんどフランス菓子。中でも強く印象に残っているのが「クレムー」の多用だった。クレムーはアングレーズを炊いてフルーツのピューレを足し、そこにたくさんのバターを入れて乳化させたもの。クリームを使わないためフルーツの味がストレートに出る。作業性もよく、ムースのセンターやミニャルディーズの仕上げなど用途も広い。

ショコラバナーヌ \420
センターに“バナナのクレムー”が組み込まれている。キャラメリゼしたバナナを、コクのあるなめらかなクリームが優しく包む。チョコレートにはヴァローナのミルクと不二製油のガーナ産「アクラ」を使用。間に忍ばせたフィヤンティーヌのサクサク感が食感のポイントに



「はじめは、言葉もわからないし作業も単純で、イライラして思わず日本語で怒ってしまうこともありました。3ヶ月程たって、言葉を覚えると同時に知り合いも出来、そこからどんどん楽しくなっていきました。工場で働いていた日本人は3人。とにかくまじめで仕事熱心な人が多いということで一目置かれていたようです。オーバーワイスでは飴細工をケーキにのせたものを売りにしていて、週末になると、飴やパスティアージュを使ってすごいピエスモンテを作るんです。それは日本人スタッフの仕事で、終わってから残業で作業していました」

この時に出会ったのが、「オーベックファン」で現シェフを務める京極伸彦さん。その後もヨーロッパの地でたくさんの日本人に出会ったが、京極さんの存在は最も刺激になったという。

「京極さんからはすごく影響を受けました。仕事はものすごく出来るのに自分にとても厳しい。その反面、人格者で面白く、職場のムードメーカー。人間的な部分でも技術の面でも、尊敬できる職人だと思いました。自分とそんなに年齢が変わらないのに、自分よりも仕事が出来て、ストイックにこなす姿勢はすごく刺激になりました」


その後、ベルギーに渡り、老舗洋菓子店「ダム」へ。そこではパティシエとして働くのは河合さんただ一人。ベルギーには、ミゼラブルやジャバネなど、独自のケーキが現存する保守的な菓子文化がある。そんな中、季節のケーキや新作となると河合さんが全て一人で考えなくてはならなかった。

「試作して自分のケーキを作る、というのをそこで初めてやりました。大変でしたが、面白かったですね。労働時間がはっきりしていたので、自分の時間も出来て、改めて食べ歩いたり、ルセットを学んだり、ケーキのことを考える時間ができたのが大きかった。いままで、何も考えずにお菓子を作ってきたんじゃないか・・・と思ってしまった程、改めて菓子の奥深さに目覚めました」

メルヴェイユ \420
“イボワール・キュイ”という製法で作ったホワイトチョコレートのガナッシュを使用。イボワールを焼いてキャラメリゼすると、ホワイトチョコの甘ったるさがなくなり、さらに冷ますとサラサラの粉末状になる。これを牛乳と合わせてガナッシュを作る。間のフランボワーズのジュレとビスキュイショコラが酸味と苦みのアクセント




もっと菓子の勉強がしたい、そんな気持ちが高まってきた頃、佐藤シェフから連絡が入った。

「『人形町で姉妹店をオープンするので、シェフをやらないか』と。経験も、実績もない自分に任せてくれるなんて・・・。ドゥーシュークルとは場所も客層も違うので、違うイメージでやりたい、包材もケーキも変えて展開したいという話でした。開店までまだ1年近く時間があったので、その間にチョコレートの勉強をしたいと、和光チョコレートショップで9ヶ月ほど働き、山崎シェフの元で勉強させていただきました。山崎シェフは、突き詰めて物事を考える人。仕込み、仕上げ、保存・・・すべての製造段階で隅々まで考えつくす。物作りはこうあるべきということを身をもって示してくれました」

9ヶ月では全然物足りない。まだまだ勉強したいという気持ちが残りつつ、気付くとオープンまであと2ヶ月。試作をしながら、急ピッチで開店準備をすすめ、開店に至った。

キャラメルのミルフィーユ \420
“パイを食べさせたい”という思いから、苦みが出るギリギリのところまで焼成して香ばしく。焼きあがりは必ず食べてチェックする。裏側はキャラメリゼして、泣かないように食感をキープ。中にはパティシエールと、塩バターソテーしたナッツがたっぷり入った大人の味わい





オープンしてまだ3ヶ月だが、昼時となると近隣の住民や、OLがひっきりなしに店を訪れていた。従業員の良く通る声が清々しく店内に響く。丁寧な接客。急な注文にも迅速に答えていた。2階の厨房からは、続々と出来たてのケーキが運び込まれ、そのたびに河合さんがしっかりと状況をチェックする。
「パティスリーはサービス第一」という、河合さんの精神が、シュークリーにはすみずみまで行き届いているようだ。 外を出ると、冷たい風に新しい季節の気配がした。“砂糖職人”たちが作り出すケーキを食べに、また人形町を訪れよう。(2008.10)







シュークリー
住所 東京都中央区日本橋人形町1-5-5セイントハイム人形町源1F
Tel03-5651-3123
Fax03-5651-3124
営業時間9:30〜19:00
定休日日曜日
アクセス 都営浅草線および東京メトロ日比谷線「人形町」駅より徒歩3分
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