「こんなパン屋が東京にあったとは・・・」

何年か前、初めて店を訪れた時の感想である。けやき並木の街道沿いにある農家が営むパン屋。広い家の敷地には蔵が残り、蚕室を改装した建物に薪窯が設置されていた。薪窯特有の香ばしく燻したようなかおりに、心から感激したものだ。どのパンも表情が活き活きとし、自家栽培の野菜がふんだんに使われたパンは、素朴な温かさに包まれていた。
店の開店は8年前。農家の主婦であった理恵さんのお母さまが、薪窯のパン作りに出会い、独学で学び開いた店である。

  

今年9月、ゼルコバはリニューアルオープンした。店は理恵さんに引き継がれ、理恵さんと小野さんの二人三脚でのスタート。以前はカフェ兼ギャラリーとして使われていた場所に店舗を移し、薪を使った石窯に加え、電気の溶岩窯を導入した。
「もっと多くの人にゼルコバのパンを食べて欲しい」というふたり。新しいスタートを切るまでの道のりは、まっすぐではなかったようだ。

理恵さんは、オープン当時、別の仕事を持っていた関係で実家を離れていた。

「以前から何かをやりたいという気持ちはありましたが、食関係は全く考えていませんでした」

という。休日にカフェを手伝うことはあったが、パン作りにはノータッチ。しかし4年前ここに戻り、家の仕事やギャラリーの運営を担当。3年前から小野さんが店を手伝うようになりパンの種類も増え、自然とパン作りに加わるようになった。

「パン作りは楽しいけれど、本当に大変。手伝っていなかった頃は何も考えずに食べていましたが、今ではもったいなくて食べられません」

と、パンへの愛情は人一倍強い。





小野さんとゼルコバの出会いは、小野さんがかつて立川にある蕎麦屋で働いていた頃から。
蕎麦屋で働き始めたきっかけは、オーナーの人柄と蕎麦がきのおいしさに惹かれたことから。オーナーは蕎麦職人でありながら建築に興味があり、その蕎麦屋の雰囲気もとても気にいってしまったそうだ。その後、ルヴァンのパンを見て「フランスで出会った美味しいパンの表情に似ている」と感動し、自分もこんなパンを作ってみたいとルヴァンの門を叩いた。蕎麦とパン、どこか共通している部分は多い。見た目の単純さに似合わず、素材そのものを見る目、確かな技術、道具の扱いなど共通して職人技を必要とする。そんなところに小野さんは心動かされたに違いない。

ルヴァン時代にもゼルコバに足を運んでいた小野さんは、次第に鈴木さん一家と親しくなり、ゼルコバを手伝うことに。ルヴァンで働いていた頃は独立開業の気持ちが強かったそうだが、いつからか、その重石が外れた。

「好きな環境で、まわりのものを大切にしながら身軽でいたい」

そんな小野さんは、ゼルコバが自分の中でとても大切な存在だということに気がつき始めた。




リニューアルを機に導入した溶岩窯だが、一般的な窯は窯の両脇と下のみに溶岩を貼ってあるものだが、上にも溶岩を貼ってもらった。この窯、扱いが勘に頼るところが多くとても難しい。ルヴァンでも同様の窯を使っていた小野さんだが、まだ手探り状態だという。しかし、窯を前にして話す感じは職人そのものであった。 素材や製法は以前と変わらない。粉は主に八王子の多田製粉が扱う国産小麦、醍醐味を使用。ふすまは近所の小麦を作っている農家から分けてもらっている。全粒粉は国産の南部小麦とQAIの全粒粉(外麦)のブレンドを使っている。いつかは自分で小麦を栽培し、石臼で自家製粉もしてみたいという。塩は完全天日干のベトナム産、カンホアの塩を使用。素材選びの基準は、味が良いだけでなく、あくまでも身近で自然なものを選んでいるようだ。



酵母は天然酵母を使用。あこ天然酵母と自家製レーズン種を使い分ける。

「自分は適度に酸味がある方が好きですが、お客さんには苦手な方もいるので」

と、レーズン種だけでは酸味が強くなる場合は、併用することで軽く深みのある味わいに仕上げることもある。
もう一つゼルコバで大切な素材は、自家栽培の野菜。農薬や化学肥料を使わないEM栽培で作った野菜は、どれも味が濃い。店のキッチンに置いてあったサツマイモは不恰好だが、食べるとほっくりとして甘みが強かった。




ゼルコバの魅力はパンや窯だけではない。現在店舗として使用している建物は、かつて蚕室として使われていた場所。8年前のオープン時から理恵さんのご両親と知り合いの大工さんとのコラボレーションでこつこつと改築を続けてきたそうだ。中二階を取り外し、高い天井をもつ吹き抜けの部屋にし、真ん中には大きな梁が渡され、まさに古民家を再現した設え。そんな雰囲気の店内に、しっかりとした焼き色のパンがよく映える。店の中央には鉄製の薪ストーブがあり、それを囲むように並ぶテーブルと椅子は大谷石と木の板を重ねただけのもの。簡単にレイアウトを変えられるようにこのスタイルにしたそうだ。




また、店の外には広々としたデッキスペースと庭が広がる。几帳面に手入れをされた庭とは違う、植物の自然な姿を生かしたつくり。近所に住む知り合いの作家に作ってもらったというアイアンアートが、さりげなく置かれている。デッキのテーブル付近にはペットをつなぐフックもあり、大切な家族や友人と自然体で過ごせるような心配りがなされている。



店名のゼルコバとは、「けやき」のこと。家の門柱代わりにそびえる大きな2本のけやきの木から付けた名前だ。高くそびえるけやきは大人ふたりでようやく抱えられるほどの大木だが、とても穏やかな雰囲気を持っている。その穏やかさは、理恵さん、小野さんにも共通するように感じた。マイペースで自分の好きなものに向かって一歩づつ進むふたりは、まだスタートを切ったばかり。ゼルコバも、このけやきの木のようにゆっくりと大きく成長することだろう。(2004.11)


ゼルコバ
住所東京都立川市西砂町5-6-2
TEL042-531-2392
営業時間10:00 〜17:00
定休日火・水
アクセス西武拝島線西武立川駅 徒歩12分
JR青梅線昭島駅南口よりバス「松中団地」行き 西砂川下車
その他月・土の10:00〜EM野菜を販売しています。