スリジェ 原 光雄さん 

   



店は1974年からこの場所でやっています。ケーキの販売と一緒になっているのが喫茶ではなく、れっきとしたレストランだというスタイルは珍しがられましたね。

あの頃、世の中でケーキに使うフルーツといえば、フレッシュはメロンとイチゴだけ。あとは缶詰。でも、実はうちでは缶詰は使いませんでした。早くからフレッシュのフランボワーズなんかを手に入れることが出来たんです。

というのも、青山にドンクっていうパン屋さんがあるでしょ、その店のためにフレッシュの食材をフランスから入れているところがあって、そこからうちも分けてもらえたから。日本でもフランボワーズのピュレなど作れて、そりゃあ嬉しかったですよ。でもね、食べ手にウケるかというと、辛いことにまたちょっと別なんだ。だって、ナチュラルチーズを使ったケーキを作ると「腐っている」とクレームが来た時代だからね。


今だと笑い話だけれど、当時うちのお菓子を見て、「"フランス菓子"っていうのは小さいことを言うんですか」と聞いてきたお客さんもいました。昔のセルクルって今見ても小さいんですよ。

数年後には河田さん(オーボンヴュータン)がフランスから帰ってきて、河田さんが作ったチョコレートをうちで売ったりしていたこともある。これは結構売れたんですよ。

あれから20年も30年も経って、この世界も相当変わりましたよねえ。

まず女性の進出が無視できないほど大きくなりましたね。今、洋菓子協会に携わっていますが、ここでも女性部を作りました。いい職人もたくさん出ているのを感じます。

それから、魅力ある洋菓子協会の一貫として、コンクール運営にも力を入れています。昔はホテル出身の人が出やすい環境だと言われましたが、町のお菓子屋さんでもがんばって時間を作って、なるべく多くの人に出て欲しいよね。通常の仕事をこなした上でというのは大変なことだとは思いますが。

最近も世界的コンクールに行く機会がありましたが、フランス、ベルギー、そして日本という3つの国が頭一つ出ているのを感じますね。ヨーロッパ以外の国である日本がここまで食い込めるのは本当にすごいことだと思う。

コンクールは、資金集めがなかなか大変です。それでも、出場者にとって大分環境が整ったと思う。例えば国内で優勝して海外大会に行く条件なども、昔は10万渡され、「残りは自分で」なんて時代もあったようですからね。それを思うと今は至れり尽くせりなんだよね。ちょっと甘やかしすぎかな?

コンクール自体のやり方も今後考えていかなくてはと思っています。一般のお客さんのいる前でアメ細工を作れたら、俄然盛り上がって楽しいでしょう。設備、会場などの関係から難しいのが現状ですが、今後実現したい課題ですよね。

と、今はこうして若手と業界自体の発展に力を入れている訳です。


私自身がお菓子職人になったきっかけですか。かなり昔の話になりますが…。
実はもともとは和菓子職人からスタートしました。和菓子っていうのは面白くて、例えば「初夏」とか、俳句のお題のようにお菓子の名前がお客様からきて、そのイメージに合うのを作るんです。自分たちもお茶や習字をやらされました。和菓子は結構楽しかったですよ、8年やりましたから。

ですが、洋菓子屋に友達がいて、なんとなく手伝ったのがきっかけ。同じお菓子だから大して変わらないだろうと思っていたら、全然違った。型を使う、使わない。油を使う、使わない。なんか洋菓子のほうが向いている気がして転向したんです。色使いとか、和菓子をやっていてためになったことはいくらでもあります。

今の若い人も、人生の色んなことを反映させて、いいお菓子を作ってほしいですね。


2003年3月取材


スリジェ
東京都調布市小島町1-35-8
0424-87-0675