ウィーン菓子工房 リリエンベルグ」
横溝 春雄 氏


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1948年、埼玉県生まれ。
'66年、神田「エスワイル」入社。
5年半勤務後、'71年渡欧。
チューリッヒ、西ベルリン、ジュネーブを経てウィーン「デメル」へ。
2年半修業の後、帰国。
'77年より「中村屋グロリエッテ」のシェフに。
'88年「リリエンベルグ」をオープン。



「リリエンベルグ」のケーキの特徴は何といっても新鮮なこと。「和菓子で '朝なま' っていう言葉があるんですが、朝つくったものを夕方売ってたらおかしいわけで常に作りたてをだしています。」と横溝シェフ。ショートケーキなどのカステラはその日の朝焼いたものを冷まして仕上げ、生クリームも仕上げのつど立てるという。またその時期にしかできない、季節の素材にもこだわりがある。いちごは香川のモリモトさん、桃は山梨・御坂町のナガヌマさんからとそれぞれの産地から新鮮なものが届けられている。開店して年月がたつにつれ、生産者の方と知り合うことができ、素材はよくなってきたという。

「新百合ヶ丘の駅からちょっと遠い、住宅地をあえて選んだとのことですが。」とお聞きすると「車だと便利なんですよ。わかりやすい場所だし、成城・国立・町田からも車なら30,40分、商圏はかなり広いんです。」とシェフ。なるほどそういわれてみれば、駐車場の少ない駅前より便利かもしれない。そして自分が住みたい環境で仕事をしたかったのもここを選んだ理由なのだそうだ。(ご自宅は店舗の裏2階)
取材中にも「リリエンベルグ」のできたてケーキを求めて、車でお客さんが絶え間なくやってくる。

横溝シェフといえば、ウィーンの「デメル」で日本人として初めて採用されたことでも有名。この世界に入ったきっかけは何だったのだろう?
シェフのご実家は埼玉県大宮でパン屋さんを営んでいた。小さい頃からご両親の働きぶりを見て、いずれは自分もものを作る仕事に就きたいと思っていたそう。4人兄弟で、今はもうやめてしまったがお兄さんが家を継ぎ、横溝シェフ、弟さんも皆お菓子屋さん。
初めに修業されたのはフランス菓子の「エスワイル」フランスに行くつもりで勉強していたが、ビザがとれた先はスイス・ドイツ語圏のチューリッヒ。その後西ベルリンを経て、ジュネーブの「ホテル デ ベルグ」へ。そこでオーストリアのコックさんから「デメル」の話を聞き、願書を出したところ、採用通知がきたのだそう。見えない糸で引かれるように「デメル」へ。「正直なところウィーン菓子は当初、何だか田舎っぽく感じられたんです。」という横溝シェフ。だがそこで生活するうち、次第にウィーン菓子の素朴さに惹かれていったのだった。
「リリエンベルグ」の看板商品・ザッハトルテも配合は本場のままに、でも日本人の口に合うよう軽く仕上げてある。こうしたところに、修業した本場の味を大切にしつつ、自分が食べておいしいと思う味を追求する横溝シェフの考えが表れている。

山小屋風の落ち着いたお店にテラス、ゆったりとした造りの「リリエンベルグ」はどこか森に来たようでのんびりくつろいでしまう。来年の年末くらいにお店を今の隣りに移し、現在の店舗はガレットタイプなど暖かみのあるお菓子を置いて、喫茶にしたいと考えている。「うちの一番の売りは秋なんです。」と教えてくれたシェフ。かぼちゃのパイやマロンのスフレに出会える頃、横溝シェフの軽やかなケーキに秘められた深い思いを味わいに、またうかがってみたいと思った。

取材日 1998年

横溝シェフの秘密