花小金井丸十製パン

山口 義元 氏





1934年長野県生まれ。
15歳で上京。
池袋の丸十製パンで修業した後、
経堂の丸十製パンを経て
1962年に現店をオープン。



初代ホシノ天然酵母社長の薫陶を受け、日本初の天然酵母パンを作り出した山口さん。プクプクと発酵をしている酵母を無造作にカップで掬い、そして生地の様子を見ながら、手で粉を足していく・・・と一見アバウトとも思える作り方ですが、彼の作るパンのファンは多く、ほとんどのパンが予約販売だとか。味わってみると国内産小麦のほんのりとした甘さと、むっちりとしたお米のような食感が新鮮で、気がつくとトリコになっていそう!


天然酵母のパン業界では"大御所"的存在である山口さんの将来を方向づけたのは、小学校4年生の時起こった出来事でした。当時山口さんが生まれ育った黒姫には多くの外国人が居住しており、彼らは自分たちでパンを焼き、食していたそうです。とはいえ、日本人家庭に育った山口さんはパンを口にすることもなく日々を過ごしていたのですが、ある日、一人のドイツ人にパンを食べさせてもらったところ、その美味しさにビックリ、それが忘れられない一口となってしまったのです。

その後15歳で上京し、迷わずパン職人を目指して池袋にある丸十製パンでその一歩を踏み始めたわけですが・・・、「なんといっても戦後(昭和24年)の米もない時代だったから、パンといってもイモの粉を混ぜた情けないパンを作っていたよ。砂糖もなくてね、石窯で焼くのだけれど窯の中に手をつっこんでパンを焼いていたんだよ」昔を懐かしむようにお話をしてくれた山口さんですが、きっと苦労は並大抵ではなかったに違いありません。その後池袋の丸十を出たのち、他の丸十製パンで経験を積み、昭和37年晴れて現在の場所で「花小金井丸十製パン」を開店させたのでした。

現在では国内産小麦と天然酵母で作るパンのオーソリティーとして語られることの多い山口さんですが、開店当初は丸十で学んだ通り、普通にイーストを使い、外麦のパンを焼いていたそうです。そんな山口さんにきっかけを与えたのは、横浜で食べたフルーツ入り酵母のパンでした。スイス・リッチモンド製菓製パン学校で本場のパン作りを学び、帰国したのち山口さんはそのパンの味に感動し、すぐさま東京都町田市にある「ホシノ」を訪問、初代ホシノ社長と研究を重ね、とうとうホシノ天然酵母のみでパンを作ることを成功させたのです。

当時はイースト全盛時代で天然酵母を使ったパンといっても、ほとんどがイーストも混合して発酵させていたそうです。日本初の試みだけあり、「最初は糸をひくパンができたり、うまくいかなくて」と、試行錯誤をかなり繰り返したそうです。同時に環境問題や日本の食材を守るといった観点から国内産小麦を使うようになり、現在の花小金井丸十のパンのスタイルが確立されました。また、ヤマギシ会にホシノ天然酵母を紹介、一般向けに頒布ができるように努め、その時できたのが今ではすっかりパン業界でお馴染みとなった「星天会」という天然酵母の会を7人で発足したのでした。

日本の天然酵母パンの創始者と言っても過言ではない山口さんですが、目下の楽しみは故郷、黒姫に貨車を改造し作った山小屋での息抜きだそうです。朝日に照らされた雲海が眼下に広がる光景や、一面の花畑の写真など、実に楽しそうに見せてくれる山口さんはとても気さくな、普通のおじさん(失礼!)でした。「日本の食べ物を残す」ということで長い年月をかけ完成させた天然酵母・国内産小麦のパン、そのほんのり甘く、懐かしい味わいの秘密がなんとなく見えたような、そんな取材となりました。
取材日 1998年



山口さんの秘密