内藤製あん 内藤 龍太さん 

   



父が旗の台に『内藤製あん』を創業したのは昭和35年、今は東京都内の製あん所は50軒ほどですが、当時は129軒もあったそうです。翌年、この上池台に移りました。この土地を選んだ理由は都内へ出やすいという"立地条件" と、おいしい"沸き水"が出る場所だったからだそうです。今も東京都指定の井戸水を使って"あん"を作ることができるので、恵まれた環境だと思います。

おいしい"あん"に必要なのは、おいしい"豆"と"水"、そして"職人の技"です。
"豆"に関しては、北海道で小豆を卸している親戚がいるので、幸いいつも良い豆を仕入れることができます。最近、アメリカ産の無農薬小豆も市場に出回っていますが、何と言っても北海道の小豆が一番おいしいです。

"あん"作りには大量の"水"を使います。小豆を炊く時にはもちろんですが、"さらしあん"作りの決め手とも言えるのが実は水。さらす工程で豆の何十倍もの水を使って、アクや色を抜き、冷やすので1年を通して温度の一定な冷たい水が大量にないと質のよい"あん"作りは難しいのです。
そして"職人の技"。"あん"を炊く際の"シブ"を切るタイミング、これが味と食感を決めると言っても過言ではないのですが、職人は沸騰してきたアクの状態でこれを見極めます。アクを見ただけで、"あん"が今どんな状態か正確にわかっているのですから、これは1年2年やったところで真似のできない職人技です。

僕が生まれた頃は、今よりも規模が大きく、和菓子店の他大手の製パン会社向けに大量に"あん"を作っていたそうです。時代の流れもあると思いますが、今のように質の良いものばかりと言う訳ではなく、いわゆる薄利多売のものも多かったようですね。現在は3人の職人でやっています。時代が変ったこともあり、素材選びから作り方まできっちりこだわって本当に美味しい商品を作れるようになりました。
そのせいか、今ではレギュラー商品よりも、お客さまの要望を聞いて作る特注の"あん"の需要が多くなってきています。豆や砂糖の種類やメーカー、さらには炊きあがりの色や固さまで指定されるその店のオリジナル商品です。

お客さまは、和菓子、パン屋、中華の飲食店と幅広く、素材や仕上がりに対する目はとても厳しいです。 自分はいつもお客さまに宿題をだしてもらっていると思っています。"こういう商品が欲しい"という要望を言って頂いてから、試作を重ね 満足のいくものを提供するようにしています。"おいしいものを作りたい"という真摯な気持ちが伝わってくるので、本当に頭が下がりますし、励みにもなる。それにそういうお客さまには、不思議と自分達の"あん"作りへの苦労や努力をいつも気にかけてくれる方が多いんですよね。だから、自分も「また頑張ろう!」という気になる。"真心をこめて作る"とうことが全てに通じるのだと、感じます。

本当は学校の先生になりたかったんです。
兄弟もいて、自分が父の跡を継がなくてはいけないというプレッシャーは全くなく、自分の好きなことをやろうと思っていました。
子供の頃から、工場は好きで よく幼稚園をズル休みして中で遊んだりしていたそうです。 本格的にこの仕事をやろう!と決めたのは大学生の頃でした。やるならここに閉じこもっていてはいけないと、2年ですっぱりと大学を辞め、大阪にある『ナニワ製あん』という、2代目が修業するので有名な非常に厳しい店に修業に出ました。2000坪程もある法隆寺工場には大きな釜が20個ほども並び、それこそ右も左も"あん"、"あん"のことなら知らないことはないような職人が大勢働いていました。東京と違い関西では、使用人と職人との間の格差があり、これには戸惑いました。"あん作り"について実家で見て知っていたものの、ここでは1からのスタート。寒い冬に窓の外の雪を見ながら、アカギレの手で冷たい水で豆洗いをしたことを今も思い出します。21歳から約3年間修業し、東京へ戻ったのは24歳でした。

それから10年になります。「あの店がおいしい」と言われる店の"あん"が、実は自分の店の商品だったときは、本当に嬉しいです。縁の下の力持ちでもいい、自分の商品を食べて少しでも「おいしい」と感じてもらえるのが一番だとしみじみ思います。


内藤製あん

内藤さんの秘密