パーラーローレル
武藤邦弘シェフ

   



今年53才。97年にはじめてクープ・ド・モンドをフランスで見て以来、国際的コンクールを中心に、若手を育てることに今まで以上に力を入れています。
業界全体がどんどん国際化していますよね。そのクープ・ド・モンドでも、このところ上位には必ずといっていいほど日本が入るようになりました。審査員はヨーロッパの方中心。デキスタシオンで彼らを唸らせるのは難しいかもしれないけれど、上位5ヶ国の味はどれも遜色なく、あとは好みの問題だと言われます。ということは、本当に日本のパティシエの水準は、フランスなどにひけをとっていないんですよね。
わたしが協力している洋菓子協会には国際部、そして女性部というのも数年前にできました。パリ支部を作りたいねなんていう話も出ています。



こうやっていろいろとお世話役をしていますが、自分自身はコンクールに出たり、フランスで修業していたこともないんですよ。この世界でのスタートはフランス菓子の店ででしたが、そのあとシェ・リュイの立ち上げに携わりました。オープンから5年間シェフを務めさせてもらい、ビストロも立ち上げました。料理とデザートという店に関わって思ったのは、日本の食事とお菓子について。日本人とその食生活には、フランス技術をベースにしたお菓子でも、アルコール、糖度、酸味が高すぎないものがやはり好まれると思ったのです。現在もそういう路線の味。フランス人が食べたら「物足りない」っていうんじゃないかな。

シェ・リュイの後、1980年にこの店をオープンしましたが、当時「なぜフランス菓子」という看板を掲げないのかと言われることもありました。自分としては、フランスに固執しないで、おいしいもの、お客さんに要望されるものを提供できるのが技術者なのかなと思うから。当時はそんな言葉はなかったけれど、やっていたこと、やっていることは"フュージョン・パティスリー"なのかな、なんて思います。

開店当初から今に至るまで、ずっと掲げているモットーがあるんですよ。「誰も見たことがない、誰も食べたことのない味」です。例えばお父さんがケーキを買って家で箱を開いた時、シュークリームが入っていても嬉しいですよね。でもそれが、見たこともないようなケーキだとワクワク感が2倍にも3倍にもなるでしょう。食べておいしければなおのこと! そうやって喜んでもらえることが、私たちにとっての最大の喜びなんです。うちの店に、ピンク色の丸い玉のケーキがあるんです。ああいうの見ると、これなんだろう、って妙にひかれ、一刻も早く口に入れてみたいと思いませんか。そういう感覚、すごくいいと思うんです。

代官山のシェ・リュイからこちらに来た時、ここは高級住宅地だから、やはり青葉台など高級住宅地をひかえた代官山と何がそれほど変わることはないだろう、と思ってたんです。でも、全く違ったんですね。当初、代官山で受入れられてもここでは駄目というお菓子はいくらでもありました。

そのころのこのエリアには、田園調布にレピドール、自由が丘にダロワイヨ、それから尾山台のオーボンヴュータンとうちというのが代表的な洋菓子店でした。20年間、4店が中心になって、相乗効果でこのエリアを引っ張ってきたんじゃないか、と思うんです。今ではモンサンクレール、パティスリータカギなど、時代を引っ張る店も出て来た。アジアの人達が観光バスでやって来て、このあたりのパティスリー巡りするなんてこともあるんですよ。


住宅街ですから、店の6,7割は固定客です。ケーキは、定番アイテム、季節のアイテム、それから最新バージョンの新しいお菓子も常に置くようにしています。足繁く通うお客様にも「いつものがある」という安心感と、「いつも新しい魅力的なものがあって楽しい」という新鮮さの両方を持っていただけたらいいな、と思っています。
2年くらい前までは、オーナーシェフとして「どうだ、俺の味!」と、自分が作った味が一番おいしいと自信を持って推し進めていましたが、このところ舌の老化も感じていて、妻や従業員の意見を積極的に聞いて受入れるようになっています。自分の意見は4割、あとの6割は彼らの意見を取り入れて味を決めています。
若い人の舌というのは本当に敏感ですね。 店には10人のスタッフがいて、20代が多い。女性も4人います。厨房に入ったら性別は関係なし。わけ隔てなく仕事をしてもらいますし、わたしもそのように接しています。プロの仕事を目指すなら、そこでの甘えは許されません。
厳しい世界ですが、やるからにはがんばっていいパティシエになってほしい。これからも、若い人をどんどん育てていきますよ。


パーラーローレル
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