「1904」
数字だけで構成された、パティスリーにはちょっと珍しい店名に、“ディズ ヌフ ソン キャトル”という難解な言葉の響き・・・。さらに、店を訪れたなら、ハードで男っぽいその雰囲気に新鮮な印象を受けるかもしれない。
いわゆるパティスリーとは、どこか違ったスタンスをもつ「1904」。
いったい、どこに秘密があるのだろうか。オーナーシェフの松野明さんにお話を伺った。

かっこいい、という言い方がシックリくる店舗。
黒がアクセントになっている



「実は、子供の頃からお菓子に興味があったというわけじゃないんですよ。それよりも、オートバイの方が好きで・・(笑)」
黒いキャップに、「1904」のロゴが入った黒いシャツ、さらに黒いギャルソンエプロンという姿で登場した、オーナーシェフの松野明さん。そう言われてみると、確かに、オートバイが似合いそうな雰囲気が漂っている。だが、そんな見た目のイメージとは反対に、物腰はやわらかく、目元もとてもやさしい。女性ファンが多いという評判も頷ける。

少し高い場所に作られた厨房は、まるで舞台のよう。“今ここで作っている”というライブ感、信頼感に加え、作り手の緊張感も維持できるのだとか



「高校卒業の頃まで、自分の中に“パティシエ”という選択肢はなかったんです」
だが、進路を選ぶ時期になって、松野さんはもの作り〜特にお菓子〜のことを考え始める。
「何か作ることが元々好きだったし、食にも興味がありました。でも、大きかったのは祖父の存在。実は和菓子職人だったんです」
迷う松野さんの頭に、ふと思い浮かんだのが、祖父の姿。和菓子職人だった祖父は、孫の松野さんに、おはぎなどを作ってくれたそうだ。
「それがすごくおいしかったんですよね。甘くておいしいものを作って、他の人から喜ばれるなんて、なんて楽しい仕事なんだろうと思ったんです」
そして松野さんは、基礎から洋菓子を学ぶべく専門学校に進んだ。ところが・・・、
「入学したものの、思っていたのと違うというか・・・。学校に全然馴染めなくて」
思い描く職人の姿と、机や実習室のなかで行なう学校での授業にギャップがあったのだろう。松野さんは、学校での勉強を、ちっとも楽しいと感じられないまま、卒業を迎えた。
「2年間で卒業しましたが、実は出席もギリギリでした(笑)」

焼菓子類の種類が豊富。
ギフト向けのアイテムも充実している



だが、学校での授業に馴染めなくても、パティシエへの夢は変わらなかった。松野さんは、卒業するとすぐに、地元横浜の洋菓子店で働き始めることに。だが、現場は学校よりもずっと厳しい場所。嫌になってしまうことはなかったのだろうか?
「逆ですね。実際に作れるようになると、楽しくて、楽しくて」
というのも、専門学校の授業では、4人のグループでひとつのお菓子を作るという事が多く、自分の実力が結果として見えにくい。良くも悪くも、自分らしさが出にくいのだ。逆に現場は、責任は重くとも、自分の力が店の商品として反映していく場所。それが松野さんの性にあっていたのだろう、気が付くと、すっかりパティシエの仕事にのめり込んでいった。
「仕事の大変さは、まったく苦にはなりませんでしたね。任されるプレッシャーを、むしろ心地よく感じました」

「よく種類が多いって言われるんですが、あまり自覚がなくて」と松野さん。店内には、ケーキ、焼菓子のほか、コンフィチュールやジュレ、ヴィエノワズリーなどのアイテムも並ぶ



最初の店で3年間、職人としての地盤を築いた後は、別の店でさらに3年間腕を磨き、銀座の「ル・ブラン」へ。ちょうど「ル・ブラン」は、新宿に新店舗とセントラルキッチンを作るなど、事業を拡大し、勢いに乗っていた時期。大きな流れの中で、松野さんは“心地よい”プレッシャーを背に、心身ともに充実した日々を送っていた。
「入って1年後にシェフになりました。渡仏して修業するパティシエも多かったので、フランスに行きたいという気持はもちろんありました。でも、そのときは、今自分が考え、作ったものを、メッセージとして伝えられる、ということの方が大きくて」
“伝えられること”は、お店に並ぶケーキだけではない。ちょうどその頃から、松野さんが興味をもち始めたのがコンテストだった。
「初めて出品した東日本洋菓子コンクールで優勝したんです。ジャンルは、プティガトーの味覚部門。自分でもびっくりしました」
上位入賞でもすごいのに、1回目で優勝というから驚く。味覚はもちろん、見栄えも大きく影響するコンクールという場所で評価を得たことは、大きな自信となったことだろう。 「店の後輩にも、コンテストをすすめました。一度、上位3人とも「ル・ブラン」のメンバーだったこともあったんです。その時は本当に嬉しかったですね」

フルーツを丸ごと使ったデザートは、
お持たせとしても人気が高い



そんな松野さんのケーキ作りの発想は様々なところにある。いい素材に出会えば、それをいかした味わいを考えるし、こんなシルエットがいいと思えば、それに見合った味作りをする。そのなかでも、昔の伝統菓子を現代風にアレンジする手法は、特に「1904」らしいといえるだろう。
「店名の『1904』の裏にある意味は、20世紀初頭に起こった工業化の波。アルチザン(職人)とインダストリアル(工業生産)を融合したお菓子が作れたら、と思ってつけた名前です」
職人と工業生産というと、相対する意味合いのように感じられるが、松野さんの気持はそうではない。
「工業製品には、無駄がないですよね。機能的でシャープ、というのが私の工業生産のイメージ。ケーキの形状や手法の中のそういう部分を、見直して作りたいという思いがあります」

伝統的なケーキ“マルジョレーヌ”には、当時の技術では作れなかったであろう半球型のムースを乗せて。今だから作れる味、形、食感が松野さんのテーマ


ケーキの名前“マイヨジョーヌ”とは、仏で開催される自転車レース“ツール・ド・フランス”で、個人総合成績1位の選手に与えられる黄色のリーダージャージのこと。1891年に開催された自転車レース“パリ-ブレスト”を記念して作られたお菓子“パリブレスト”を思わせるネーミングがユニーク



そんな、いわゆるパティシエとは別の角度からのアプローチは、店内の随所から感じられる。例えば、店の雰囲気もそうだ。

男性が手にしたり、プレゼントしたりしても気恥ずかしくないようなデザインにと、松野さん。実際、男性客も多いという



「男性がイメージする“女性らしさ”“子供っぽさ”というのが、どうしても苦手で。そういう店にはしたくなかったし、そういう場所に自分がいたくなかった。1日、12〜14時間いる場所だからこそ、自分の好きな空間にしたいと思っていました」
店内のイメージは、工場の中庭。シンプルで男っぽささえ感じさせる店内は、かっこいいという表現がふさわしい。

中庭に差し込む日ざしのような光が、
ハードさの中に温かみを与えている


アンティーク感のある黒い床。レンガは、
ショーケースのデザインとしても使用されている



そして、もうひとつ、松野さんの居心地のよさを作っているのが、膨大な量のアンティークだ。
「古いものが好きなんです。『1904』をオープンする前に、1ヶ月ほどパリに行っていたんですが、ほとんどをアンティークめぐりに費やしてしまったほど。アンティークを求めて、南仏の方まで足を伸ばしてしまって・・・」

さり気なく飾られたアンティークは、 松野さんの汗と涙の結晶!



もちろん、買い方だって男っぽい。あれこれとじっくり見定め、気に入ったものは潔く買っていく。その買い方が一般客とは明らかに違ったのだろう、買い付けに来ていたプロのバイヤーに、『絶対に同業者だ』と、間違えられたこともあったという。
「めん棒だけでも、何十本と買ってしまって」
と苦笑する松野さん。だが、その大量のめん棒は、新しくオープンしたロールケーキ専門店「ルウレ」に、晴れてディスプレイとして並ぶことになった。


入口を飾るアンティークの引き出しは、
中でもお気に入りの一品


「ルウレ」では伝統菓子オペラも、こんなスタイルに。池尻大橋駅から徒歩2分という立地の良さに加え、ロールケーキがメインという遊び心に溢れた「ルウレ」は今年の5月にオープンしたばかり



男っぽく、自由。既存の考えにとらわれず、わが道を進む松野さんは、この先はどんな方向に進んで行くのだろうか。
「そうですね。次はカフェもいいな、と思っているんです。大好きなアンティークを販売しながら、ケーキも楽しんでもらえるようなスタイルの。それから、甘いものはだいぶ作ってきたので、サレ系もやりたいですね」


無駄を省き、機能的に、シャープに・・・。
工業化の波が私たちに与えてくれたものは、
それによって生まれる自由だったのかもしれない。
「1904」。
そんな自由な風が、今日も松野さんの元には吹き抜けている。
(2010.08) 






パティスリー 1904(ディズ ヌフ ソン キャトル)
住所 東京都目黒区東山2-5-8
TEL&FAX03-3792-1904
営業時間10:00〜19:00
定休日火曜
アクセス
URL www.1904.jp


Roulé by 1904(ルウレ)
住所 東京都世田谷区池尻2-31-16
TEL&FAX03-3424-0246
営業時間10:30〜20:00
定休日火曜
アクセス 東急田園都市線池尻大橋駅より徒歩2分




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